第8話 新しい友達


 少し遡って、とある夏の日の話。

 お子に新しい友達ができた。とても仲の良いお友達の従兄弟で、二つ年上のお兄さん。新しい友達ができて嬉しいと、お子はその日何度も素敵な笑顔を見せた。

 夏休みの終わりころ、プールで偶然会い、お友達家族はご主人の妹さんの家族と一緒だった。その妹さんの息子さんが、お子の新しい友達のKくんだ。

 Kくんはとてもフレンドリーで、兄貴肌で、プールでも水が苦手なお子をぐいぐい引っ張ってくれた。私は心の中で彼を兄貴と呼ぶことにした。

 ご厚意に甘え、お昼ご飯も共にした。子供たちは三人で一つのワンタン麺をつつきあった。店内はサウナかってくらい暑くて、全員汗だくになりながら食べた。

 問題はここからだ。汗だくで黒い服がさらに黒くなっていることよりも問題だった。

 どうやらお友達御一行はこの後お家で遊ぶ予定らしく、兄貴に一緒にどう? と誘ってもらった。もちろんお子は、遊ぶ気満々。しかし、そうはいかないのが大人の面倒なところだ。

 家族、親戚を家に入れることと、友人を家に入れることは訳が違う。家族なら、床におもちゃが散乱していようが、朝ごはんの食器を片付けていなかろうが、脱ぎ散らかした靴が玄関いっぱいに広がっていようが、特に気にしない(そうでない人もいるかもしれないが)。

 お友達のママさんは真っ青になった。

「ちょっと狭いから……」

「今少し散らかってて……」

と、冷や汗を垂らしている。これはいかん。貴重なママ友との間に亀裂を生みかねない案件だ。掛ける言葉を悶々と考えていると、神が降りたった。

「結構遠いけど、うちにする?」

 妹さんだ。兄貴も、「いーよいーよ!」と乗り気だ。ゲームの腕前を披露したいらしい。

 ママさんは安堵の表情を浮かべ、後光の差す妹さんを眩しげに見つめた。私もこの後なんの予定もなく、運転好きなので遠くても全く問題ないので大きく頷いた。

 一件落着! 妹さんのご自宅に向かおうと大人たちが車の鍵を取り出した時だった。

「ふぇ〜ん」

 赤子が泣き出した。お友達の弟で、生後八ヶ月くらい。どうやらプールからのサウナ(の中で、自分以外が汗鼻水を垂らしながらラーメンを啜るところをじっと静かに見ている)というハードスケジュールで、疲れてしまったようだ。

 ママさんは弟くんと二人で先に帰ってしまった。現場に残ったのは、パワー有り余る子供達三人と、ご主人、妹さん、私。正直、ママさんが居たからこそ成り立っていた四角形が、いびつな三角形になってしまったのだ。

 私は大人である。しかし、コミュニケーション能力が著しく低い大人だ。しかも歳を重ねるほどに、口から余計な一言ばかり出るようになり、もう新しい人付き合いはしばらくいい……などと諦めの境地に立っていた、そんな大人だ。

 そんな私が、今日はじめてお会いした妹さんのご自宅に……? 靴下もはいていないべとべとの素足で、汗じみの目立つ黒い服で……? 子供同士が夢中で遊んでいる中、兄妹水入らずの中にお邪魔虫すぎやしないか……? しかもご主人の車はママさんが乗って帰ってしまったので、ママさんがまた黄昏時のぐずぐずの真っ只中であろう赤子を連れて結構遠い従兄弟宅にご主人とお友達を迎えに行かなければないのだ。そんなの拷問に等しい。斯(か)くなる上は……

「う、う、う、うちに来ませんか!? すぐ近くであります……!」

 サウナ(ラーメン屋)から車で約三分ほどの我が家に行くほかない。お友達の家とは大きな公園と小さな川を挟んだ、徒歩十分くらいの距離で、帰りはお父さんと二人で歩いて帰れるだろう。

 また余計なことを……妹さんのご好意を無駄にしてしまったかとヒヤヒヤしたが、大人も子供たちも喜んでくれた。兄貴も「switchある!?」と目を輝かせている。

 そんなわけで私のチョロQのような軽自動車は、妹さんの高級車を引き連れて我が家にやってきた。道中は、家の中は大丈夫だったよな、今は確かそれなりに片付いていたよなと、朝のリビングの光景を思い出していたのでお子がなにか後ろで言っているのはまったく耳に入らなかった(ごめん)。

 先導という大役も無事に終え、ついに御一行様を我が家へ招き入れた。が、やばい。思っていた以上に床が汚いぞ。髪の抜け毛があちらこちらに落ちている(我が家は髪が抜けやすい体質の家系、第三話の抜けし一族参照)……! 今更掃除機もかけられず、足の裏をススーっと床に滑らせ、見える範囲の抜け毛を角に集めてさっと摘んでゴミ箱に捨てたりしている間、住宅関係の仕事をしているというご主人は「ここいいですね」、「あれいいですね」とお褒めくださり、妹さんも三人掛けの青いソファーをお気に召してくれたようで早速くつろいでくれた。ふぅ、よかった。

 子供たちは上や下やを走り回り、人形遊びからゾンビごっこ、兄貴ご所望のゲームはなんちゃらカードがなくて出来なかったけれど、とても楽しそうだった。ご主人がママさんに連絡してくれ、我々が近くにいると知り、安心したようだ。ふぅ、よかったよかった。

 お昼ご飯を食べて少しお昼寝をしてご機嫌も体力も回復した赤子を連れ、ママさんも途中参加してくれた。なんの飲み物もなく、ウォーターサーバーの水しか出せなかった私に代わり、色々な飲み物やお菓子まで買ってきてくれた。少し眠くなってきていた大人たちの場が一気に華やいだ。綺麗な四角形がまた完成された……と、ほっとしたのも束の間。

「お泊まりしたい!」

 口にじゃがりこを詰め込んだお子のその無邪気な一言でまた大人たちがぐっと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。な、なにを言うのだ……! そんな私の心の声はもちろん届かない。

「したいしたーい!」

 きゃっきゃとはしゃぐ二人。また今度ね、しっかり準備してからにしようねという大人たちの声を完全にシャットダウンしている。

「俺も!」

 こうなってはもちろん兄貴も手を挙げるだろう。三人は輪になってぐるぐると回っている。この

数時間でこんなに仲良くなれるなんて、親としては嬉しいのだがまず布団がない。パートナーの許可も得なければならないし、今日のところはまず無理だろう。

「もう少し涼しくなってからにしようね」

 そう声をかけると、三人はぐるぐる回るのをやめて不満そうに頷いた。ふぅ、よかった。とりあえず今日のところはそろそろお開きにしようかという雰囲気になった頃、

「やっぱり今日泊まりたい」

 兄貴が言った。一度帰ったらもう遊べなくなるかもしれないと思ったのかもしれない。

「……あなたは男の子だから、女の子とはお泊まりできないよ」

 妹さんはこちらに気を使い、兄貴にそう言い聞かせた。

「男だからとか女だからとか、そういうのよくないよ!!!」

 兄貴はそう真っ直ぐに言い、私はハッとした。

 その通りだね。ごめんなさい。

 私は妹さんが兄貴に言ってくれたことに対し、ほっとしてしまった。いい子であれども、少しやんちゃな男の子とお子を一晩同じ部屋で寝かせることに少なからず不安があった。しかし彼らはもうれっきとした友達で、男だろうが女だろうが、一日中一緒に遊んで一緒に寝て朝を迎えたいとただ純粋に楽しいことだけを考えてそう言っているのだ。心配なら、水を差すようだが私も同じ部屋で眠ればいいし、どのようにもできるのに、子供の友人関係に対し男だの女だのと大人の主観で言ってしまった。猛省すべきことである。

 妹さんも兄貴にすぐ謝っていた。私も妹さんの立場だったならきっと同じことを言っていただろうし、反論されたらすぐに謝れる自信もない。すぐに謝れる妹さんが素敵だと思ったし、大人たちの前ではっきりと意見を述べれる兄貴を心から尊敬した。

 そろそろ涼しいを通り越して寒くなってきたので、ぜひ三人でのお泊まり会を実施したい。


 兄貴! 今後ともお子を宜しくお願いします!

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る