第22話 「好き」を求めて(1)

 大学最寄りバス停からターミナル駅に降り立ち、俺と先輩は駅の路線図を眺めていた。


「小早川君、行き先は?」


「えっと……とりあえず下り線で海に行きましょう」


「アバウト!?」


 確かにアバウトだ。実際どこにいくかは決めていない。とりあえず海を目指すことだけを考えていた。


「アバウト上等。俺達はインスピレーションを探すことが目的です。どこにいくかは問題じゃないと思いませんか?」


「確かに……。目的地を決めず、当て所もなく何かを探し回る方が『旅』らしいですね!」


 先輩も俺の意図を分かってくれたらしい。


 これはインスピレーションを探す『旅』だ。


『旅』と『旅行』は似て非なる。


『旅行』は目的ありきで移動する。『京都で清水寺を観光する』とか設定した目的地に到達すること目的なのだ。


 対して『旅』には目的が無いものだ。当て所もなく『ここではないどこか』へ赴くことが意義であり、そこに目的はない。

 俺達の『旅』はインスピレーションを見つけるという目的があるので旅行に思われる。だがインスピレーションは目的地に辿り着けば見つかるものじゃない。むしろ移動する過程で見つかることだろう。

 だから行き先をはっきりと決めず、気の赴くままに歩いて『何か』を見つける『旅』に出ようと言うのだ。


 先輩は皆まで言わずその意図を汲んでくれた。やっぱり先輩とは気が合うな。


「とりあえず下り線に乗って終点の藻屑もくず駅まで行ってみましょう」


「なんだか海の底みたいな場所ですね。一体何があるのでしょう?」


 海に近い終点駅なんて縁もゆかりもない場所だ。何があるか予想もつかないし、何もないかもしれない。でも確かなことは俺達にとってそこは未知の領域であることだ。そういう場所にこそインスピレーションはあるものだ。

 そう考えるだけで俺はワクワクした。


「それじゃあ行きましょうか、藻屑駅」


「はい、行きましょう、藻屑駅」


 先輩も未知との遭遇に早くも期待を抱いているのか、表情はとても明るかった。


 *


 電車は北斉市との境目のトンネルを抜けるとやがて海沿いの線路を走り始めた。陽光が波に反射して海がキラキラと輝いておりまるで万華鏡のようだ。

 何個目かの駅を抜けると線路は複線から単線に変わった。すれ違いの電車の待ち合わせを挟みつつ、のんびり海を眺めながら走り、やがて藻屑駅に到着した。


 その藻屑駅だが……


「何もないですね、藻屑駅」


「はい、何もありませんね、藻屑駅」


 何もないうらびれた駅だった。

 駅舎は木造。壁や柱の塗装が所々剥がれ落ち、海風に侵食されて少々朽ちている気がする。構内には売店の一つもなく、窓口にはプロ野球を見ながらサボるハゲた駅員さんがいるだけだった。


「とりあえず移動しましょうか」


「そうですね。商店街の方へ行ってみますか?」


 掲示された簡易地図を眺めながら相談した結果、駅の南口から大通りを進んで商店街へ行くことに。行き先は決めてないので異論はなく、俺は先輩に従って歩き出す。


 商店街への道のりでも大して目新しいものは見つからなかった。あたりは背の低い人家ばかりで目立つものがない。おかげで山がはっきりと見えたが山なんて市内からでも見えるので新鮮味はない。

 商店街も活気に乏しくシャッターだらけの寂しい場所だった。いくつかのお店は暖簾を下げているが、繁盛しているとはお世辞にも言い難い。


 寂れた辺境の漁師町。それが俺が抱いた藻屑町の印象だった。


「なんだか寂れた場所ですね」


「えぇ。でもぬくもりのある場所です。人と人の距離が近いような……」


 確かに先輩の言う通りだ。軒先では店主と客が楽しそうにおしゃべりに興じていたり、すれ違った買い物客同士が立ち話をしている。この町の人達は皆顔見知りで話す相手に事欠かないのだ。

 それなのに活気がないと思ったのは俺がよく見てなかったせいだ。つぶさに観察すると皆活き活きと日々を過ごしているのはすぐに分かるのに。


「そこのカップルさん! お昼ご飯食べていきませんか?」


 突然真横から元気の良いおじさんに呼び止められる。定食屋の軒先に水を撒くついでに呼び込みをされてしまった。


「カッ?」「プル?」


 俺達のことか? 男女二人で歩いているからそう見えたのかな?


「今日はいい鯛が入ったから食べていきなよ。あら汁もおまけするよ!」


「鯛だそうですよ、先輩」


「あら汁ですって、小早川君」


 そういえばまだ昼食を撮ってなかった。先輩もまだだと言ってたので二人とも腹ペコ。見合わせた先輩の口角は緩んでおり、食欲を抑えきれないご様子だ。


「それではランチにしましょうか」


 迷うことなく定食屋さんの暖簾をくぐる。店は相当年季が入っており、お座敷の畳や梁はかなり古い。だが古民家の風情を醸しており不思議と落ち着くのだった。


「なんだかおばあちゃんの家に来た気分ですね」


「分かります。畳や木材の香りでリラックスできますね」


 やはり日本人だから木造和室に和みを感じてしまうのだ。それにしても先輩とはやはり気が合うな。


「お兄さん達、今日は何しに? こんな辺鄙なところでデートかい?」


 お茶を出しに来たおじさんがそんなことを聞いてくる。


「いえ、デートというわけでは。俺達付き合ってるわけじゃありませんし」


 先ほど訂正しそびれたので改めて。美墨先輩も少し顔を赤くしてはにかんでいた。


「そうでしたか。それじゃあますますどうして藻屑町なんかに?」


 おじさんは大層不思議そうにする。


 先輩はしばし首を傾げて思案した。やがてこう答えた。


「ここに何があるのか、どんな場所なのか。それが知りたくてここまで来ました。まだ知らない場所に私の『好き』があるかもしれない。そんな気がして……」


「はぁ、お嬢さんの好きなもの、ですか? こんな寂れた町にお若いお嬢さんが気にいるものがあるか分からんが、まぁゆっくり見てってください。うまい魚はたくさん獲れるから食うには困りませんよ」


 そう言っておじさんは厨房へ引っ込んでいった。


 先輩の言葉におじさんはピンと来なかったようだが俺の心には響くものがあった。

 自分の心持ちを自分なりの言葉で表す先輩の持ち味に再会し、嬉しかった。

 誰かにおもねるような飾りだらけの言葉ではなく、自分のための言葉で。


 そんな言葉が出てくるのは案外先輩がすでにインスピレーションを得ているためかもしれない。

 地元の人でさえ何もないというような小さな港町に、先輩は『好き』を見つけたのだろうか。


 それが何なのか、この場で教えてほしいと強く願った。だが聞くのはよそう。


「はい、お待たせしました! 鯛の煮付け定食とお刺身定食。あら汁は別料金だけど今日はおまけね」


「「ありがとうございます!」」


 いただきますを言い、早速刺身を頂く。鯛らしいさっぱりした旨味と歯応えが何とも美味。やはり漁港が近いだけあって魚は新鮮だ。


「お刺身すごく美味しいです」


「こっちの煮付けも良い味付けです。どんな調味料使ってるんでしょう……」


 先輩は鯛の身をじっくり咀嚼してお店の味を盗もうとしている。例のカレーの詩から推察していたがやはり料理好きらしい。


「そんなに美味しいんですか?」


「はい、絶品です。一口どうぞ」


 差し出された煮付けの皿から身を人摘み頂戴した。確かに美味しい。醤油ベースの甘辛い味付けだが鯛の旨みを全く邪魔しない。下処理も完璧で魚臭さが全く邪魔しないのもポイントだ。


「先輩もお刺身どうぞ。新鮮で美味しいですよ」


「では一切れ。まぁ、本当。美味しいわ」


 花より団子、歌詞よりも鯛。俺達は新鮮な鯛尽くしの定食に舌鼓を打ち、腹を満たした。


「ふふ、姉さんにも食べさせてあげたかったわ」


 普通に観光を楽しんでる俺達であった。だが当初の目的を忘れるのも『旅』の醍醐味だ。

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