第21話 「好き」を言葉に

 練習と作曲に明け暮れたGWが終わり、キャンパスに通う日々が過ぎていく。

 連休気分が抜けきれないのは皆同じで学生達はどこか覇気の抜けた緩んだ顔でキャンパスを歩いている。加えて一年生も新入生気分を連休に置いてきたらしく、もう青々と初々しい雰囲気は消え去っていた。その代わりに小慣れたはしゃぎ方をし、すっかり大学に馴染んでいたのだった。


 午前の講義を受け、今は昼休み。午後はゼミの一コマが終われば放課で自由時間になる。大学の良いところは時間割次第で自分の時間を好きに作れるところだ。


 午後の授業が始まる前に腹ごしらえを済ませてしまおう。そんな腹づもりで生協に足を運ぼうとしたその時だ。


「小早川君!」


 背後から俺を呼び止める声。風のような優しさと涼やかさは美墨先輩だ。もう声だけで分かるようになった。

 だが今日の先輩の声にはどこか落ち着きがない。振り返り認めたその表情もやや緊張したような色が浮かんでいた。


「先輩、こんにちは」


「こんにちは。小早川君、今から少しお時間よろしいですか? 実は歌詞が出来上がったので読んでほしく……」


「もうできたんですか!?」


 先輩はこっくんと深く頷く。


 驚いた。俺も連休中に考えてたけどほとんど進捗してない。先輩の熱意に俺は感心した。


「早速見せてください!」


「は、はい! もちろんです……」


 俺は空腹を忘れて手近なベンチに先輩を誘い、並んで座った。それから薄藤色のノートを借りてそっと開く。


 例のカレーの詩の後には無数の単語やフレーズが散りばめられていた。それらは線で消されたり、あるいは下線で強調されたりして先輩が試行錯誤した足跡となっていた。


 そして最後のページに整然とした清書が記されていた。


 これが美墨先輩の作詞か。


 俺は聖域に踏み込むような引き締まった思いで詞を読んだ。一文字、一語、一フレーズを噛み締めるように。


 ………………………………んん?


 だが読み進めるうちに妙な違和感を抱く。なんだ、この甘ったるくてふわふわ浮ついた歌詞は。読んでるとホールケーキを一気喰いしてるみたいな気分になる。


 全て読み終えた俺は軽く胸焼けした気持ちでノートを閉じ、一呼吸を置いた。


「どうでしたか?」


 無言なのを心配してか美墨先輩がおずおずと感想を聞いてきた。


 だが俺は何も答えない。答えられない。


 不完全燃焼というか消化不良というか……先輩の歌詞は全く心に響いてこなかった。


 しかしダンマリしてても進まない。何か言わないとな。


「えっと……想像とだいぶ違ったので驚いてます。もっと素朴で情緒的な歌詞になるのかなと思ってましたので」


 先輩の書いた詞はいわゆる青春ソングに分類される。

 女の子がグルメやスイーツに舌鼓を打ったり、コスメで磨きをかけたり、恋や友情を育んで青春を謳歌する情景が浮かんでくる。


「ダメでしょうか……?」


「ダメとは言いません。ただ……」


「ただ?」


「これが先輩らしい歌詞なのかちょっと疑問です」


 違和感の原因は楽しいものをこれでもかと詰め込んだ甘ったるさ。ケーキで例えると砂糖のほかにハチミツやチョコレートをしこたま入れたみたいだった。


「先輩は何に着想を得てこの歌詞を書かれたんでしょう?」


 チグハグな味付けの原因は完成系の味を想像できないからだろう。先輩が妙なものから着想を得て、言葉で表すのに不十分な理解と共感しかできてないのなら良い歌詞ができるとは思えない。

 さて、先輩は何をイメージして詞を書いたのか。


「これは……空李ちゃんをイメージしました」


「空李さんを!?」


 だいぶ意外だ。先輩の目には空李さんはこんな甘ったるい女の子に見えてたのか?

 いや、それよりも疑問は別にある。


「どうして空李さんをモチーフに?」


「どうして、ですか? それは……ノノイのボーカルが空李さんだから……空李さんが歌っている姿の想像できる歌詞が良いと思いまして」


「なるほど……。はっきり申し上げますが、そういう作詞は今はやめておいた方が良いと思います」


「え……!?」


 先輩は目を見開いて声を漏らした。俺の言い方は歌詞を否定しているのと変わらない。ショックを受けるのは当然だ。

 一生懸命考えた詞を否定されるのが辛いことは俺にもよく分かる。でも言わずにいられないのだ。


「モチーフがあって作詞するのはプロもやってる方法ですが、対象を分析して言葉で表現するのってすごく難しいです。実際、苦労したんじゃありませんか?」


「はい……。空李ちゃんのことをもっとよく知ろうとして影からこっそり空李ちゃんを観察してました。大学でも、大学の外でも」


 それってストーカーですよね?

 先輩、頑張りすぎて迷走してませんか?


「そのおかげで空李ちゃんを知ったつもりになったのですが……やはりダメですか?」


「ダメというか、先輩らしさが出てないような。それに空李さんってこんな遊んで回ってるような女の子でしたっけ?」


 空李さんをイメージした歌です、と言われても納得がいかない。


 歌詞に出てくる女の子はスイーツや恋などいかにも女子ウケしそうなものに飛びつく少女漫画のヒロインのようでありきたりに見える。


 だが現実の空李さんはもう少し深みのあるユニークな人だ。受験中は臆病になって泣いたこともあるし、とてつもないエネルギーで奮起したりもした。人らしく落ち込んだり悩んだりもする。


 そういう点を知ってるから、「空李ちゃんをイメージして書きました」と言われると俺としては受け入れ難い。相手が先輩じゃなければ「もっとよく観察してくれ」と怒っていただろう。


「人物の理解が甘かったのですね。もう少し時間をかけて向き合わないとダメでしょうか?」


「一理ありますが、モチーフを空李さんに絞る必要はないでしょう。先輩のインスピレーションのままに書いてみれば良いのでは?」


「インスピレーション?」


 お題を設定すると肩肘張ってしまい創作意欲が空回りすることがある。

 そういう時はお題なんか捨てて発想の赴くままに書いてみれば良い。

 つまりはインスピレーションだ。


「先輩のカレーの詩は、料理中に思い浮かんだんじゃありませんか? 無心で何かしている時にふと浮かんだ発想が先輩らしさなんですよ。俺は先輩らしい歌詞が読みたくて作詞を勧めたつもりです」


 先輩らしさとは何か。


 俺に先輩の何を知っているのかと尋ねられると答えに窮する。正直言葉にできない。

 でも彼女の詩を読んで『美墨詩乃らしさ』を直感で感じたのだ。

 その直感から彼女に作詞してもらいたいと思ったのだ。


「……分かりました。もう少し考えてみます」


 先輩は少し肩を落として、でもどこか憑き物が落ちたような清々しい顔で会釈をして去ろうとした。


 きっと彼女はこれからしばらく悩むことになるだろう。これでもクリエイターの端くれだ。産みの苦しみは分かっている。

 何か力になれれば良いのだが。


 と、思ったその時だ。ポケットのスマホがブルブルと震えた。確認するとLINEにメッセージが届いていた。

 内容を確認し、俺はある閃きをえた。

 そして衝動のままに立ち上がり、先輩を追いかける。


「先輩! LINE見ましたか?」


 こちらを振り返った先輩もスマホを確認した。


 メッセージはゼミ長からの通知だった。そしてメッセージの内容だが、


『本日、先生の急用のためゼミはお休みになります。振替は後日通達します』


 というもの。


「まぁ、お休みですか」


「そうですね。これで午後の予定はまるまる消えました。先輩はこの後授業ありますか?」


「五限に一コマだけ」


「そうですか……。先輩、こんなお願いするのはあれですが、サボれます?」


「…………はい?」


 突拍子のないお願いに戸惑う先輩。そりゃそうだ、いきなり授業をサボってほしいなんて言われて「分かりました」と頷く人はいない。


 でもどうしてもサボって時間を作ってほしい。


「サボってどうするのです?」


 当然の疑問を口にする先輩。

 対して俺は……


「サボって、俺と旅に出ましょう!」


†――――――――――――――†

 次回から金吾と詩乃の旅が始まります!🚃

†――――――――――――――†

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