第13話 「ホテル行こうよ」
北斉市繁華街とオフィス街の境目付近に俺のアルバイト先がある。
そこは昨年のクリスマスシーズンに臨時でアルバイトをさせてもらったレストランだ。
臨時のアルバイトのはずだったが春になって氷室さんなど働き手が辞めてしまったのと、昨年の俺の働きぶりが評価されてお声がかかったのだ。
リコネスをクビになったと思えば、今度はレストランからスカウトが来る。
まさに捨てる神あれば拾う神ありだ。まぁ、大学卒業する頃には辞めるだろうけど。
さて、そんなレストランだが働き始めたきっかけは先に働いている涼子から誘われたこと。
つまりこの春からは同じバイト先の同僚でもある。
妙な腐れ縁もあったものだ。
*
クロージングミーティングが終わり、従業員達が勝手口からゾロゾロと出ていく。
「疲れたー」
「お客さん多すぎー」
まだまだ歓迎会シーズン真っ盛り。今日も今日とて企業のお客さんがお店を貸し切って歓迎会を開いていた。おかげで営業時間中はひっきりなしに食事やドリンクを運ぶことになり、脚がクタクタである。
「ねぇねぇ、涼子ちゃん! 今からちょっと飲みに行かない?」
男性のアルバイトの一人が退勤準備を終えた涼子に声をかけていた。彼は涼子と同じ時期に入店した人で、以前から彼女に気のある素振りを見せていた。
「ごめんなさい。先約があるの」
そんな彼のお誘いを丁重にお断りした涼子は、勝手口で待っていた俺の元へパタパタと小走りで駆け寄ってきた。
「金吾、お待たせ。行きましょ」
先約とはもちろん俺とのことだ。彼の方をチラリと窺うと口をへの字にして俺を睨んでいた。
そんな顔すんなよ。また別の機会にしなって。
勝手口から外に出た俺達はメインストリートに差し掛かり、並んで歩き出した。
「それで、付き合えって言ったけどどこに行くの?」
そう言えば行き先を伝えてなかったな。もう目星はつけてあるので秘密にすることもあるまい。
「ホテル」
「はぁ!?」
突然素っ頓狂な声を上げる涼子。いきなり大きな声出してびっくりするじゃないか。
俺がこれから案内するのは北斉シティホテルというちょっと高級なホテルののミドルフロアにある『ハーバーサイド』というバーだ。以前テレビ番組で紹介されていたので一度行ってみたいと思っていたのだ。
「あ、あ、あんた、なんてところに誘うのよ!?」
「え、嫌か?」
意外な反応に俺は戸惑った。だって涼子はお酒好きだし、お店のインテリアもシックで落ち着きがあったので気にいると思っていたのだが。
「嫌とかじゃなくて、急に誘われるとびっくりするのよ! こっちにも心の準備ってものが……」
「そんな気負っていくような場所じゃないだろ。前にも行ったし」
「そ、そうだけど……一緒に行ったけど……」
つい先日のこと、一緒にバーに行ったじゃないか。その時は小慣れた感じ出してたのに。
でもそういうお店って一品一品が高いからな。給料日前だからお財布厳しいのかな?
「大丈夫。お代は俺が持つから」
「お金の問題じゃないのよ!?」
なおも顔を赤くして喚く涼子。心なしかモジモジと
うーん、どうしたんだろう。友達に一方的に奢られるのは釈然としないのかな? 涼子らしい遠慮の仕方だ。
「それにほら、私、今日はこんな格好だから。……着てるものがみっともないと恥ずかしいでしょ? それに今日の下着……ゴニョゴニョ」
そういう涼子の服装は大学に着ていくカジュアルスタイルだ。スリムフィットのジーンズとオフホワイトのカーディガンという春コーデ。
まぁ、ホテルのバーにもドレスコードはあるらしいけど、極端にラフな格好じゃなければ怒られることもあるまい。
「大丈夫だよ。今の涼子のままで十分だ」
「普段の私を楽しもうとすんな!」
えぇ、どういうこと!? 俺は今の涼子と話がしたいだけなのに。
「そ、そっか、ごめん。それじゃあ場所を変えようか」
「そうして頂戴。さすがに心の準備ってあるし、段階も……」
「段階?」
うーん。空李さんが二度誘って、今度は俺から相談するという流れだから段階は十分に踏んでいる気がする。涼子としては何かが引っ掛かっているのかな。
まぁ、ともかくバーが嫌ならもっと別なところを見繕わないとな。
「じゃ、じゃあさ、金吾の部屋はどう? そこなら……私もリラックスできそうだし」
赤面した涼子の提案には頷くところがある。確かに自分の部屋ならお金もかからないし、落ち着いて話ができる。もちろんドレスコードも気にしなくていい。朝までいたって誰にも怒られない。
でも今うち散らかってるんだよなぁ……。それに地味に遠いし。
「移動する時間がもどかしいんだよな」
「それくらい我慢しなさいよ!?」
「ごめん我慢できない。ずっと(バンドへの)気持ちを抑えてたから」
「ずっと!? ずっとしたかったの!?」
『したかったのか』と聞かれればイエスだ。やっぱり俺は音楽が好きだ。ロックバンドが好きだ。
リコネスを抜けて一時は音楽から離れた。もうやめようかとさえ思った。でも春から再開するとなり、胸が高鳴って仕方がない。こんなことならもっと早くから空李さんを誘ってみれば良かったとさえ思ってる。受験生だから無理だったけど。
「わ、分かった。そこまでいうなら近場にしましょう」
と涼子は折れてくれた。
では別の候補はどこにしよう。
気軽に入れて、静かで、お金のかからない場所……。
「そうだ、この近くの公園にしよう!」
ビルとビルの間にポツンと小さな公園があるのだ。ベンチと鉄棒だけのこぢんまりした公園である。
我ながら良い提案だと思った。これなら涼子も遠慮や気後れもしないだろう。
しかしながら予想とは裏腹に涼子はあんぐり口を開けて呆然と俺を見つめていた。どうしてそんなビックリ人間コンテストの審査員みたいな顔するの?
「こ、公園なんて一番ダメに決まってるでしょ!? 他に人が来ちゃうじゃない!?」
「大丈夫。もう夜中だし、人が来ることはないよ。あ、でも突然人が現れたらびっくりするな」
「極限のスリル楽しもうとすんな! 人に見られたら恥ずかしいでしょ!?」
ただ話するだけな所を見られるのが恥ずかしいのか?
まぁ、夜の公園に男女二人が隣り合って座るなんていかにも逢瀬であるから誤解されても仕方がない。しかしそんなこと気にするなんて中学生みたいだ。なんか可愛い。
「見られるのが嫌なら、樹木の陰でこっそりする?」
「だから極限のスリル楽しもうとすんな! それに声聞かれたらどうするの!?」
「大丈夫だよ。声のボリュームは抑えれば」
「
もう、さっきからあれは嫌だこれも嫌だと。一体今日の涼子はどうしたんだろうか。これじゃあいつまで経ってもバンドの話ができないぞ。
「もういいわ。これじゃあ埒が明かない。最初の予定通りホテルに行きましょ」
あ、それでいいんだ。俺としては腰を据えて話ができればどこでもいいのだが。
行き先も決まったところで歩き出そうとした。だがその瞬間、突然涼子が俺の手を握ってきた。細くて絹のようなすべすべした女性の手の感触に思わずドキリとしてしまう。
「その……分からないからリードしてよね」
「もちろんだよ。俺に任せて!」
「…………うん、金吾に任せる」
北斉シティホテルの場所を分かっているのは俺なんだからきちんと
にしても涼子の手、やけに汗ばんでいるな。顔も赤いし。体調悪いのかな?
「涼子、大丈夫? 熱でもある?」
「今更紳士ぶるな!」
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次回に続きます
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