第7話 (涼子Side)クールな涼子のウェットな一面(後編)

 入学式の日も同じことを言われた。


 ――――私とバンドをしませんか


 キラキラして、まっすぐな瞳は真夏の天の川のような輝きを放っている。目を合わせた誰もが曇りのない美しさに心を奪われることだろう。

 しかしそれを見た私は、息が詰まるような苦しさに襲われた。さながら宇宙の底知れない神秘を目の当たりにしたかのような、理由のない臆病風に吹かれたように。


「ごめん、空李ちゃん。やっぱりバンドやるつもりにはなれないわ……」


 ふわりと柔らかな春の夜風が頬を撫でる。

 風に乗った桜の花びらが私と空李ちゃんの間を舞い落ちた。

 その向こうで空李ちゃんは寂しそうに俯いていた。


 また失望させてしまった。


 昔はそういう顔を見たくないから頑張ってた。でも頑張れば頑張るほど、失望の雪だるまは大きくなることを知って、頑張るのをやめた。


 人生そこそこ。

 今の自分のポテンシャルと程々の努力で無様にならない程度のポジションを得るのが私の処世術。


 そんな私が空李ちゃんのバンドに入っても足手纏いになるのは目に見えている。


 それに音楽には嫌な思い出しかない。


「ごめんね、格好悪い先輩で。でももう音楽の道に戻るつもりはないの。聞く分には楽しめるから応援するわ。ライブするなら絶対見に行く」


「格好悪いだなんてことありません! 私の方こそ断られたのにしつこくしちゃってごめんなさい! もうこの話はしないようにしますね」


 ぺこりと頭を下げた空李ちゃんはそうはっきりと約束してくれた。


 後輩にここまで気を遣わせるなんて、やっぱり格好悪い先輩だなぁ……。



 *金吾Side



 夜も深まったことで宴もたけなわであるが新歓はお開きとなった。


「二次会はカラオケ行きまーす! 参加する人はこっちに集まってくださーい!」


 幹事なのか、それとも騒ぎ足りない参加者なのかが音頭を取ると半分ぐらいの学生がそちらに流れていく。あれだけ騒いでその上歌うとは、皆元気だなぁ。


「校倉さん、二次会行きますか!?」


「ていうか一緒に行こうよ!」


 参加を検討する一団の中で男どもが集まって騒ぎ始める。こちらではまだ空李さんとお喋りし足りない連中が猛アプローチをかけていた。

 春は出会いの季節。新しい環境で新しい出会いに期待してついボルテージが上がってしまうもの。

 特にこの男どもはどうにか空李さんを振り向かせようと躍起なのは一目瞭然だ。


 彼らの心境が分かるが故に恋路の邪魔をするのは憚られた。

 空李さんは元々物怖じしない性格だし、シルクロードは雰囲気の良い場所だから俺が保護者ヅラするのもいい加減やめ時かもしれない。

 空李さんが望むなら二次会に行かせてあげよう。


「うーん、今日はやめとこうかな。いっぱいお喋りして少し疲れちゃったし」


「そう言わずに!(スクリュードライバー!)」

「人が歌ってるの聞いてるだけでも楽しいよ!?(先っちょだけ!)」

「一緒に行こうよ(ハァハァ)!」


 ……前言撤回。何があっても空李さんは連れて帰る。


「それじゃあ俺が途中まで――」


「空李さん、俺も帰るので送っていきますよ」


「うん、それじゃあ一緒に帰ろう」


 鼻の下を伸ばした男子の声を遮る。その男子は疎ましげに一瞬俺を睨むが知らんぷり。彼も空李さんの手前、荒っぽい物言いはできずすごすご引き下がったのだった。


 公園の出口まで夜桜を見上げながら二人で並んで歩く。今年は冬が長かった分桜が遅咲きで四月になってもまだ見頃だ。

 かと思えば夜風に弄ばれた枝からはヒラヒラと花びらが散り、春の終わりを予感させる。桜の見頃は一瞬だ。


「あーあ、あっという間に終わっちゃった。でも色んな人と話せて楽しかったな!」


 ぴょこんぴょこん、とウサギのようなスキップに彼女の気持ちは如実に表れていた。

 元々開放的で元気の塊みたいな空李さんだから交流の場はおあつらえ向きだ。学年学部問わず交流してさぞ充実した時間を過ごしたことだろう。


「金吾はたくさんお話しした?」


「えぇ、まぁ」


 涼子が中座した後、俺は榛名にウザ絡みされてげっそりだ。

 榛名め、涼子のことを詮索しても何も出ないと分かると俺の恋愛歴を根掘り葉掘り聞いてきおった。おかげで俺は浮気した元カノの結愛の話をするハメになった。

 しまいには「この中の女子で誰が一番好み?」という悪ノリの最高峰みたいな質問をされてクタクタだ。


 それはともかく、気がかりなことが。


「涼子とは話せましたか?」


「うん、話したよ。もう一度バンドに誘ってみたけど、やっぱりダメだった」


 月が雲に隠れる。淡い月光が遮られて空李さんの表情は窺い知れない。だが声の調子で心境は窺えた。


「涼子さん、もう音楽をするつもりはないんだって」


「知ってます。俺も以前同じようなことを言われたので。空李さんが誘えば心変わりするかと思いましたが、やっぱりダメでしたか」


「ダメでした。涼子さんってピアノしてたんだよね? あまり楽しくなかったのかな?」


「そうですね……。俺と涼子が同じピアノ教室に通っていた話はしましたよね?」


「うん、聞いたよ」


 俺と涼子の馴れ初めは小学生低学年にまで遡る。当時の俺達は通っていた学校は違っていたが、俺が隣の校区にある教室に通い始めて知り合ったのだ。

 といっても当時は今ほど仲良くなかった。というかほとんど話したこともなかった。


「当時の涼子はどこかプレッシャーを感じながら……いや、鬼気迫る様子でピアノの練習に打ち込んでました。何が彼女をそうさせたのかは分かりませんが、少なくとも音楽を楽しんでいる様子ではありませんでしたね」


「そっか……。でも、楽しくバンドする分には興味持ってくれないかな?」


「……それも難しいでしょうね。昔、信彦が涼子をキーボーディストとしてスカウトしたことがありました」


「信彦が?」


 空李さんが眉を顰めて聞き入る。


 信彦というのは俺のかつての友人でリコリス・ダークネス――リコネスのリーダーだった男だ。俺達は同じ高校に通っていて、涼子とも顔馴染みだった。


「涼子はライブハウスだけでなく軽音部の部室にも顔を出してリコネスを気にかけてくれてました。だから『仲間になりたいんじゃないか』と推察して誘ったんです」


「でも断った」


「はい。『バンドを見ているのが好きで、やりたいわけじゃない』だそうです」


 どこまで本心か定かじゃないが、門戸を開いても踏み込まない辺りそのつもりはないのだろう。今も、昔も……。

 そんな経緯があるから俺からはあえて涼子に声をかけなかったのだった。


 その後、俺達は言葉少なに帰路を歩み、電車に乗って目的の駅で降りた。このまま空李さんの家の近所まで見送るつもりだ。


「それにしても、メンバー集めどうしよう。ギタリスト確保したからこのままトントン拍子で進むと思ったのになぁ」


「メンバー集めはどこも悩みの種ですよ。音楽経験者を見つけるだけでも一苦労ですし」


「そうだよねー。キーボードは一旦保留として、あとはドラムだね」


「誰か目星はついてるので?」


「うん! 詩乃さんにお願いする!」


「おろろ……」


 美墨先輩、ですか? ドラムどころか音楽のイメージすらないが……。


「とりあえず詩乃さんが入って、私がベースやれば3Pバンドは完成だね!」


 いくらなんでも青写真過ぎるような……。

 まぁ、この猪突猛進ぶりが空李さんの持ち味だ。ウジウジ悩むくらいなら行動する思考回路はこれから活動するのにプラスになるだろう。


 空李さんの率いるバンド。一体どんなバンドになってどんな音楽を奏でるのか、俺は楽しみだった。


 そうこうしているうちに空李さんのアパートに到着した。築浅で二階建ての綺麗なアパートにこの春から彼女は住み始めた。

 アパートだがエントランスはオートロックなため一人暮らしが初めてな女性にうってつけな住まいである。だが気になるのは……


「毎度毎度思いますが、わざわざうちの近所に引っ越さなくても……」


「え、どうして? 近い方が遊びに行きやすいでしょ?」


「まぁ……そうですが……」


 なぜか空李さんは俺と同じ最寄駅のアパートに引っ越してきた。初めて知った時は驚いたものだ。


「それに、ここだと金吾と涼子さんの部屋の中間地点だから向こうにも遊びに行きやすいんだよね。ほんと、良い物件が空いてて良かった!」


 上がり込む魂胆を隠すつもりなど毛頭ない。普通図々しく思えてしまうが、人懐っこい空李さんだとつい許せてしまう。

 だがしかし年頃の娘さんが男の部屋に気軽に上がり込むのはいかがなものか。


 いや、それは俺への信頼の証か。

 かつての俺は空李さんの推し。ステージで精一杯演奏する憧れのロックスターだった。

 その後色々あって家庭教師を務め、今やバンドを組むことになった。

 今まで良い人の顔しておいて、今になって妙な気を起こして傷つけてはいけない。


 それにバンド内恋愛はもう懲りた……。

 空李さんとは友達兼バンド仲間として気軽にやっていくつもりなのだ。


†――――――――――――――†

 音楽の道を歩むつもりのない涼子。

 メンバー集めに難儀する空李。

 空李との距離感に少し悩む金吾。

 第2章はここから始まるのです!

†――――――――――――――†

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