第54話 (裏切者side)希望の船

 ふと、城址公園の東屋に立ち寄った。

 俺が子供の頃からここに建っている東屋は屋根と柱が少し苔むしている。


 俺が今日ここに来たのは運命だったのかもしれない。

 ここはリコネスが生まれた場所。

 そこに立ち寄ったまさにその時、信彦から着信があったのだ。


 約束の日まではまだ幾分も猶予がある。こんなに早いタイミングであいつが電話をかけてくるのには嫌な予感を禁じ得なかった。


『金吾……頼むよ。もう一度俺とバンドを組んでくれ……。結愛とは連絡がつかないし、五木は地元に帰っちまった……。もう俺はひとりぼっちだ。演奏もできない。だから頼むよ……もうお前しか頼れないんだよ……』


 スマホの向こうの信彦は泣いていた。きっと顔をくしゃくしゃにして涙と鼻汁を垂らして無惨な顔をしているのだろう。あの強気な性格の信彦には信じられない姿だ。


 想像すると可哀想だった。何より……悔しかった。


 *


 高校に入学する直前、俺は交通事故に遭った。そのおかげで足の骨を折って入院する羽目になったが幸い完治した。

 だが高校生活のスタートダッシュに乗り遅れた俺のその後は憂鬱だった。

 元々内省的な性格で人と話すのが苦手な性分だったため、人間関係が固まりきったクラスに馴染めなかったのだ。当時はまだ涼子とも親しい仲ではなかったため、俺は日に日に日陰に逃げ込んだ。


 学校に行っても誰とも会話せず、昼休みになっても一人で弁当を食べる。


 なんで学校に行くんだろう……。


 日を追うごとに通学路を歩む足が重くなっていった。


 だがその日だけは違った。


『小早川、お前、ピアノやってたんだって? だったら俺のバンドでギターやれよ』


 いつものように教室の隅で弁当を突いていると信彦あいつはやってきた。


 なんだこいつは。なんでそんなこと知ってるんだ? というかなんだよ、その無礼な物言いは。しかもギター? キーボードじゃなくて? ギターなんかやったことないぞ。


 俺が返答しあぐねているとあいつは好き勝手にバンドの話を始めた。こんな曲を弾きたい、文化祭のステージに上りたいなどと無邪気に。


 結局俺は断りきれず軽音部に仮入部させられ、そこに同じく引き摺り込まれた結愛も加えて3Pバンドを組む羽目になったのだ。


 来る日も来る日も練習練習。音楽のことは多少分かるけどギターは初心者。指先痛いし、なんなら弦で切れるし、Fコード押さえられないし。

 ステージに上がったら上がったで演奏の出来はイマイチ。オリジナル曲の反応もスカンで大恥かいた。


 でも、そのおかげで俺は変われた。

 学校に行く理由ができて毎日が楽しくなったし、その気持ちが表に出たせいかクラスにも少しずつ馴染めた。ピアノは「女の子っぽいから」という理由でやめてしまったが、ギターだと音楽の楽しさを魂で味わえるようになった。


 それが俺の青春だった。

 全てはお前のおかげだよ、信彦。


 お前は俺のロックスターだった。俺の推しだったんだぜ。


 もっともっと、お前とバンドしたかったよ……。


 *


「信彦、


 でも……もう彼に差し伸べる手はない。


「お前のことは友達だと思ってた。それなのにあんな仕打ちをされてすごく悲しかったよ。それでもお前にチャンスをやったのは、お前からたくさんのものをもらったことへの恩義と、音楽への情熱に免じてやったからだ。だがその期待さえもお前は……」


『そ、そんなこと言わないでくれ! ラストチャンスを俺に――』


「『チャンスは自ら掴むもの』。そう教えてくれたのもお前だ。ここから先は自らの手で道を切り開け。お前にその気があるのなら、またどこかで出会うだろう。達者でな」


『ま、待て! せめて金を借し――』


 ぶつり、と電話を切る。


 もうこれ以上あいつの情けない声を聞くのは我慢ならない。

 お前の無様な声を聞いてると綺麗だった過去の記憶がどんどん汚される。


 だから、さようなら、信彦。さようなら、リコネス。


 四年近くを費やした俺の青春はここで区切りがついたのだ。


 俺はお堀の淵の欄干に手を着き、水面を凝視した。濁った水は錆びた鏡のように春の青空を反射している。そんな足元の青空は雲一つないのに、ポタポタと雫がとめどなく落ちていき、幾つもの波紋を作り出していた。



 *信彦Side



 ツーツー、と電子音が鼓膜を震わせる。一縷の望みを抱いて金吾に電話をかけたが呆気なく見捨てられた。


 信彦は甘かった。『バンドマンとしてチャンスをやる』と格好つけたことを言っていたが、内心仲直りをしたがっているなどと思い上がっていた。


 それはあながち間違いではない。だが二人の心はすでに途方もなく乖離していたのだった。


「お友達は助けてくれなかったな。いや、もうお友達じゃないのか」


 闇夜を駆けるミニバンの後部座席。スピーカーから会話を聞いていた丑峰が冷酷に呟いた。


「信彦、お前は身勝手過ぎる。『自分が相手の立場だったら』と思う想像力が欠けてるから平気で人の物を奪うし、無体に扱う。挙げ句の果てに『なんとかなるだろう』と当事者意識のない行動に走る。誰かが手助けしてくれると楽観してな」


 淡々と丑峰は説教を垂れる。

 信彦はガタガタ震えて一言も耳に入らなかった。


 先日、部屋に戻って丑峰の会社に連れて行かれた信彦は散々詰められ、返済能力が無いことが確定すると丑峰に軟禁された。何日も続いた軟禁生活だが、今日になって突然部屋から出されて車に乗せられた。


「社長、つきました」


「よし。信彦、降りろ」


 車から降ろされて感じたのは潮とオイルの匂い。当たりにはコンテナが積み上げられている。


「ここ……港ですか」


「そうだ。これからお前はあの船に乗るんだぜ」


 船……。怖気が走った。まさかコンテナに詰め込まれて外国に売られるのか? それとも遠洋漁業の漁船に乗せられるのか?


 信彦は震えながら丑峰が指差す先を見た。そこに停泊していたのは信彦が想像したような貨物船でも漁船でもなかった。


 それは客船だ。しかも見上げるほど大きく、煌びやかな照明で装飾されたクルーザーで、まるで映画に出てくるタイタニック号そのままだ。船体には船の名前なのか『espoir』とペイントされている。


「え……これって豪華客船?」


 予想を裏切られ、信彦は呆気に取られた。


「そうだ。この中でゲーム大会やるからそれに参加しろ。船に乗ればお前の借金はチャラ。ゲームに勝てば賞金も出る。一発逆転してこい」


「そ、そんな美味しい話があるなんて……!」


 信じられない。きっと何か裏があるはずだ。


「負けた場合はどうなるんです!?」


「あん? そんなこと聞いてどうする? お前は何もかも失った。恋人も、友達も、音楽も全てお前がふいにした。お前はもうゼロなんだ。失うものなんて何も無い。いいか、ゼロには何をかけてもゼロだ。お前みたいなゼロ人間が一発逆転するにはチャンスに飛びつくしかないんだよ」


 チャンス……。一度は失った希望に信彦の心は揺さぶられた。


 信彦は一度自らの手でチャンスを潰した。それどころか唯一無二だったバンドを崩壊させた。こんな自分がビッグになるチャンスはこの先二度と来ないはずだった。


 だが、そのチャンスがまた巡ってきた。


 信彦は生唾を飲み下した。


「信彦、あそこに書かれてる『espoirエスポワール』ってのはフランス語で『希望』という意味だそうだ」


「希望……」


「そうだ。全てを失ったお前を導く希望の船だ。あれに乗って取り戻してこい。お前の未来をな」


「……………………分かりました、行ってきます!」


 覚悟を決め、信彦はタラップに向かって歩き出す。その先に何が待っているのかも知らずに……。


 丑峰達はそんな信彦の背中を凝視していた。今から逃げ出すようなら全力で阻止する構えだ。だが杞憂に終わった。信彦はタラップから船内に入ったのだった。


「社長、あの船なんなんですか?」


「とある大富豪が労働者を集めるためのゲーム大会を開くそうだ。東京一円から借金まみれのクズを集めてる。俺らみたいなのが参加者を集めると紹介料がもらえるんだ」


「へぇ、それで信彦への債権は回収ってわけですね。信彦はゲームに勝ったら賞金が手に入る、と。負けたらどうなるんすか?」


「知らね」


 噂ではどこかの採掘場のような場所で働かされるらしい。だがどこで何をするのかまでは耳に入ってない。

 確かなことは負ければ元締めにより莫大な負債を負わされ、徹底的に搾取されることだろう。


「ふふふ……。ゼロの下はマイナスだ。それがわからないから無闇に借金するし、安易に人を裏切るんだぜ、信彦。プラスにするには途方もない時間と労力がいる。そのくせ積み重なるのは雀の涙。だがマイナスは一瞬で途方もなく膨れ上がる。学んでこいよ」


†――――――――――――――†

 次回、第一部エピローグ

†――――――――――――――†

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