エピローグ 次のステージ

 春、何かが始まる気がする季節。


 満開の桜が時の周期を宣言し、北斉大学に新しい風が吹き込んだ。


 四月初旬、北斉大学では新入生を迎える入学式が執り行われた。


 三年間着古した制服を脱いで真新しいスーツに袖を通した新一年生が期待と緊張で胸を膨らませ、キャンパスのメインストリートを歩いてゆく。


 一方、キャンパスの表立った場所では部活やサークルの勧誘の在校生が待機している。部員の多さはその後の活動に響くため、どの団体も気合十分だ。

 かくいう俺達、紅茶同好会”ボストン”もテントとテーブルを設営し、紅茶を振る舞う準備を進めている。


「まもなく入学式が終わって新入生が顔出します。声掛けとお茶出しとチラシ配りを各々お願いしますね!」


 あらかたの準備を終え、会長がメンバーを鼓舞する。ボストンは俺達が生まれる前から北斉大で活動する老舗サークルだ。それだけ長い歴史を刻めるのは先輩達が毎年この日に頑張って新入生を勧誘したおかげだ。その歴史を絶やすまいと会長は意気込んでいる。

 俺もサークルの一員としてしっかり役目を果たさねばならない。

 といってもお茶を汲んだ紙コップを渡すだけの仕事なのだが。


 準備をあらかた終わらせた俺は新入生が来るまでの間、桜をぼんやり眺めていた。

 今年の桜はやや遅咲きなおかげで満開が入学式と重なってくれた。おかげで晴れやかな気分だ。


 そこにチラシ配り係の涼子が話しかけてきた。


「ねぇ、あれから信彦とはどうなったの?」


 涼子には先日の信彦との訣別は告げていない。あまりにも呆気ない幕引きだったし、俺自身、リコネスはもう終わったと思っているので記憶の明るみに出そうと思わなかったのだ。


「…………連絡は来ない」


 逡巡し、俺は嘘をついた。


「連絡がない?」


「あぁ。信彦は東京で自分の道を見つけたんだろう。新しい仲間、新しい目標。いつまでもリコネスに縋るのはやめて次の一歩に踏み出したんだろうさ」


「いや、それはないでしょ。どうせ新しいバンドがグダグダ過ぎてあんたに聞かせらんないから逃げたんでしょ? それか結愛にも逃げられてんじゃない?」


 と、涼子はいつまでも信彦に辛辣なのだった。


 なぜこんな嘘をついたのか、自分でもよく分からない。曲がりなりにも仲間だった男の名誉を守りたいと思ったのだろうか?

 いや、彼のことはもうどうでも良かった。

 本当は自分がそうありたいと願っているのかもしれない。


 何かが始まりそうな季節、俺もリコネスを綺麗さっぱり忘れて新しい自分に生まれ変わりたいのだろう。

 そのために何か新しいことでも始めたいが、いかんせんピンと来るものが思い浮かばず足踏みしていた。


 というよりも待っているのだ。かつて俺に新しい道を示してくれた信彦のような存在が現れるのを。


 渇望ではなく期待、あるいは予感している。


 この春は何かが変わりそうだと。


「それはそうと、噂聞いたか?」


「なんの噂かしら?」


「新入生代表、ちょっとだそうだ」


 神妙な面持ちを作って俺は語る。


 入学式では毎年、二次試験の最優秀者が代表として登壇し挨拶するのが慣わしだ。選出する学部は例年持ち回りなため、代表者は実力と強運の持ち主とされ、入学後しばらくはもてはやされるのが恒例である。


「今年の代表者はかなりの曲者らしい」


「どう曲者なのよ?」


「入学初日から髪染めてピアスまで空けて来たんだと」


「げ……。そんな人いるの? 学長どんな顔してたのかしら?」


「さあな。想像するだけで笑える」


 何かと校則の厳しい高校を卒業し、我慢の必要が無くなったから派手に着飾る人は珍しくない。だが入学式の日からアクセル全開で大学デビューする人は珍しい。まして代表挨拶するのは事前に知らされてるわけだから、普通抑え目にするものだろう。


「どこにでも常識の通用しない人っているのね」


「ロックだよな」


 呆れる涼子と愉快な俺。確かにその人の意識は常識外れと評される。だが別に悪さをしたわけじゃない。一世一代の舞台で少しとんがったことをする勇気にはむしろ感心してしまう俺だった。


「おーい、一年生がやってきたぞー!」


 会長の声に意識を惹かれて視線を移すと、講堂の方からスーツを着た新一年生達の群れが来るところだった。そんな彼らに先輩達は勧誘の触手を伸ばし、もみくちゃにしていた。これもお約束の光景だ。


 あの中に空李さんがいるはずだ。


 合格発表の日以来、空李さんとは会っていない。引っ越しや入学準備、友達との卒業旅行などやることがいっぱいで時間を作れなかったためだ。どうせなら桜が見頃なうちに花見でもしたかったが、多忙の身では仕方がない。その代わりに次に会うのはキャンパスでと約束していた。


 その小さな約束が果たされるのを俺は心待ちにしていた。


「(なぁ、聞いたか? 今年の一年にメチャメチャ可愛い子がいるらしいぞ!)」


「(知ってる! 愛宕の五十嵐さんだろ? というか今年は愛宕OGがたくさんいるらしいから楽しみだな!)」


 どこからともなく男子学生が鼻息荒くしてのおしゃべりが漂ってきた。

 愛宕女学院は北斉男子の憧れで、新入生の顔ぶれにOGが並ぶ。なので当然男どもは色めき立つのだ。


「(新入生代表の女の子も愛宕OGらしいな。ちょっと変わった名前の)」


「(あぁ、初日から髪染めピアスでばっちりメイクの。地雷系かと思ったけど中身はいい子なのかも)」


「(なんて名前だっけ? ちょっと変わった名前だったよな。あぜ……あ――ら?)」


 あれあれ? よく聞こえないけど他人事とは思えない話題な気がするぞぉ?


 愛宕OGで突飛な行動力の持ち主。『あ』で始まる名字の女の子……。


 考え込んでいる、その時だ。


「金吾!」


 聞き馴染んだ少女の声が耳朶を打つ。


 ドクン……。心臓が力強いビートを打つ。


 有り余る元気を抑えられない明るい声の持ち主は……。


「空李さん! お久しぶり……で……す?」


 待ち侘びた声の主の顔を見て俺は気色ばむ。元気の塊みたいな人にしばらく会えなかったので寂しく思っていたところだった。


 だが目に映ったその風体はやや予想とは異なるものだった。

 服装は新入生らしい真新しいスーツなのだが、艶々の黒髪に赤いインナーカラーを入れ、両耳にはワイヤーフレームの少し大きめなピアスを装着している。化粧はギャル風ではないがやや濃いめで気合い入れてメイクしてきたことが伺えた。


「えっと……空李さんですよね?」


「そうだよ!? もう顔忘れちゃったの?」


「いえ、だいぶイメチェンしてるので? 髪、染めたんですね」


「うん、ずっと染めてみたいと思ってたの! でも愛宕は髪染めNGだから卒業するまで待ってたんだ」


 だからって入学式に染めてくることないのに。荒れた地域の成人式じゃないんですよ?


 ん? 初日から突飛な格好をした人って……


「新入生代表ってもしかして……空李さん?」


「そうだよ!」


「マジですか?」


 まさか、例の新入生代表は空李さんだったのか!

 ということは今年彼女は学部トップの入試成績を収めたのか。共通試験の日に泣いていたのが嘘みたいだ。


 空李さん、恐ろしい子。


「へへーん、学長に挨拶してきた!」


 その格好だと違う意味の挨拶になりませんか?

『夜露死苦』的な。


「それはそうと金吾、紅茶同好会にはここで入れてもらえるの?」


「いえ、ここはあくまでPRの場です。今度、新歓のお茶会を開くことになってるので、新入生にはそこで雰囲気を見て入会を決めてもらうことになってます」


「ふーん。私はすぐに入ってもいいのにな。入学したらまずボストンに入りたかったのに」


 いや、うちってそんな意気込んで入るようなサークルじゃありませんよ。

 伝統とゆるさに定評のあるサークルですよ。


 空李さん、やっぱり変わった子。


「それよりもさ、金吾。あの約束、覚えてる?」


 空李さんはモジモジしながらそう尋ねてきた。


 約束……。もちろん覚えている。二次試験の日、空李さんは俺に伝えたいことがあると予告した。それは合格してからキャンパスで教えてもらうことになっている。

 今日が、その日だ。


「もちろん、覚えてます。だから今日を楽しみにしていました」


「そっか……良かった」


 空李さんはほくっと温もりのある笑顔を浮かべた。

 だが直後その笑顔にキリリとした張りが浮かぶ。

 澄んだ瞳で俺を真っ直ぐに見つめ、挑戦的に口角を上げ、彼女はこう言ったのだ。


「金吾、私とバンドやろうよ!」


(第1章 了)

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