第53話 合格発表

 三月上旬。うなじを掠める風が少しずつ暖かくなってきたこの日、俺と涼子と美墨先輩は大学最寄りの駅で待ち合わせをしていた。


 目の前では受験票を握りしめた若人達が浮かない顔で通り過ぎていく。


 そこに愛宕女学院の制服姿の空李さんがやってくる。


「金吾! 涼子さんに詩乃さんもおはよう!」


 久々に顔を合わせた空李さんに、三者三様の挨拶を送る。


 空李さんに会うのは二次試験当日ぶりである。試験が終わった後の空李さんは合否発表や卒業式を控えて一人の時間を欲していたため声をかけるのを控えていた。おかげでたった二週間ぶりなのに久しく会ってないようで懐かしささえ抱いた。


「いよいよ、合格発表ですね」


「うん……すごく緊張する」


 久々に会えて嬉しいはずなのに緊張のせいで妙にぎこちない。

 空李さんも息苦しそうな渋面を浮かべて俯いている。


 今日は北斉大学の合格発表の日だ。合否結果はインターネットでも公開されるが、古くからの伝統としてキャンパスの掲示板にも張り出されることになっている。

 俺達が出会ってから積み上げてきたものの集大成が明かされる日。講師陣も気が気でなく、空李さんも一人で確認するのが怖いからと皆で見にいくことにしたのだ。


「ねぇ、私大丈夫かな? 合格できてるかな……」


 キャンパスへの道中、空李さんがそんな弱気を口にする。あの明るい空李さんもさすがに神のみぞ知る運命の瞬間を目前にし、緊張でカチコチになってしまう。


「きっと合格できてますよ。手応えは十分だったんですから」


「そうよ、空李ちゃんならきっとね」


「果報は寝て待て、です。臆せず行きましょう」


 俺達先輩も同じ道を辿っただけに彼女の心境は痛いほど分かった。


 自分は本当にベストを尽くしたのか?

 もっとやれたのではないか?


 後悔は尽きないものだ。だが全ては後の祭り。運命の瞬間を過ぎた時点でできることはただ結果を待つのみである。

 ならばせめて明るい気持ちで運命を見届けてほしい。


「うん……きっと、大丈夫だよね」


 そうは言っても、やはり空李さんのプレッシャーを拭うには至らなかった。


 *


 大学正門を過ぎてすぐの広場にはすでに人で溢れ返っていた。


 受験生は制服だったり私服だったり入り混じっているが皆期待と不安を混ぜ合わせた複雑な面持ちなのは一緒だった。

 それは俺達も同じだ。空李さんは相変わらずだが、大学生組もキャンパスに着くや否や空気に飲まれて顔を強張らせ、呼吸を荒くしていた。


「空李さん、社会学部の掲示板はあちらです」


「う、うん。金吾、ついてきて」


「もちろんです」


 空李さんに手を握られ、人混みを縫うように進んでいく。彼女の手は頼りなく震えていた。


 大きな一枚の模造紙に書き込まれた数字の羅列。


 ここにきっと空李さんの番号があるはず。


 確信していても俺の呼吸は依然として荒い。


「よっしゃー! 合格だ! 春から大学生だぞ!」


「どうして……あんなに頑張ったのに……」


「どうしよう、能登先生! 私の番号無いよ!?」


「落ち着け、五十嵐。そこは工学部。理学部はあっちだぞ」


「あ、本当だ。……あった! あったよ、能登先生!」


「こら、抱きつくな!」


 周りの悲喜交々な空気を吸い込み、頭がくらくらしてきた。

 結果は二つに一つ。歓喜か、悲哀か……。


「空李さん、番号は?」


「1113……」


 1108……1110……1112……1113……あった……。


「空李さん、あそこ! 1113番ありました!」


「ウソ……どこ? 見えないよ?」


「ほら、あそこです!」


 俺は無我夢中で空李さんの肩を抱き寄せ、小さな顔の前で掲示板に向かって指を差す。彼女は両目をどんぐりみたいに大きく見開き、荒い呼吸のまま視線を辿らせた。


「……あった……ほんとうだ……。金吾、あったよ!」


「はい、ありました! 合格ですよ! おめでとうございます!」


 身体の内側から歓喜の熱が湧き起こる。

 空李さんはやってのけた。秋時点でC判定だったのがA判定になるほどに実力を伸ばした。共通試験では思わぬ誤算で結果が振るわず合格が危ぶまれたものの、天王山で実力を発揮して合格を掴み取った。


「本当にすごいです、空李さん――はっ!?」


 その時、俺はようやく彼女の肩に触れ、身体を密着させていたことに気づく。空李さんの小さくて可愛らしい顔が視界いっぱいに広がるほど間近にあることに気づいた。


 やばいっ! 我を忘れて抱き寄せるような真似を……。


 恋人でもない女の子に過剰なスキンシップを取ってしまい、罪悪感から焦りを感じる。すぐに離れないと。


「ご、ごめんなさ――」


 だが俺の心配とは裏腹に、空李さんは不快な様子を浮かべてない。いや、それどころか今度は空李さんの方から抱擁してきた。


「本当にありがとう、金吾! 金吾があの日、家庭教師をするって言ってくれなかったら今日ここにいなかったよ。全部、金吾のおかげ!」


 胸の中から見上げる彼女の瞳は歓喜の涙をいっぱいに湛えていた。

 ふっ、と俺の心が軽くなる。彼女は無事受験をやり遂げた。同時に家庭教師を完遂し、肩の荷が降りた気がした。


 *詩乃Side


 空李ちゃんが合格した。私と涼子さんは人混みの後ろで報告を待っていた。そこに満面の笑みを浮かべた空李ちゃんが戻ってきて合格を知らせてくれた。

 その空李ちゃんは涼子さんを引っ張って掲示板の方へ引き返していった。


 私はぼんやりと人だかりを眺めていた。


「校倉さん、無事に合格できたみたいね」


「姉さん」


 安堵の声を漏らす姉。平日だが受け持ちの三年生が全員卒業したためしばらく授業がない。来年度の準備があるはずだが、今日だけは合格発表のため愛宕女学院ではなくここにいる。


「空李ちゃん、すごいわね。逆境をいくつも乗り越えて、最後は合格を果たして。私だったらきっと諦めちゃってた……」


 空李ちゃんの粘り強さと勝負強さには頭が上がらない。二年前、受験生だった私は学力が伸び悩んでたし、共通試験の結果も振るわなかった。おかげで二次試験も振るわず不合格となった。

 本当に私とは大違い。


「当然よ、なんたって私の生徒だもん。校倉さんならきっと乗り越えられるって信じてたわ」


「え……?」


 あっけらかんと語る姉に虚をつかれる。


 どういうことだろう……。それではあべこべだ。


「姉さん、空李ちゃんじゃ北斉大合格は無理だと思ってたんじゃ?」


「えぇ!? そんなこと思ってないわよ?」


「うそ……。だって、空李ちゃんの模試の結果が悪いから『北斉大は難しい』って言ったんでしょう……?」


 そう、姉さんは空李ちゃんの学力が伸び悩んでいた頃にそう見切りをつけたはず。それで空李ちゃんは一度レベルの低い市立の大学に志望校を変更していたのだ。


 だから私は協力した。姉さんが合格させられないと踏んだあの子を私が合格させれば、姉さんを超えられる気がして……。


 そんなコンプレックスから生まれた強いエネルギーなどつゆ知らず、姉はポカンと不思議そうに首を傾げた。


「あら、校倉さんから聞いたのね。そうね、当時の校倉さんの学力だと北斉大は難しいと思ってたの。でも、C判定くらいなら挽回できるし、何よりあの子は人一倍粘り強いからテコ入れすれば無理じゃないと思って伝えたのよ?」


「な……」


 なんということだろう。姉さんは空李ちゃんを見捨ててなんかなかった。それどころか奮起すると信じていたのか。

 いや、よく考えれば当然のことか。姉さんは教え子を見放すような人じゃないことは妹の私が一番よく知ってるはず。それを失念していたのは見栄に取り憑かれていたせいだ。


 私って子供だ……。


「一度は諦めちゃったけど、すぐに再チャレンジするつもりになってくれたから本当に嬉しかったわ。きっと詩乃が支えてくれたおかげね。本当にありがとう」


 ニコニコと笑い、そう感謝を述べられる。妹相手にも慇懃にお礼が言えるなんて……大人だ。

 それにしても参りました……姉さんにこんなふうに改まってお礼を言われるなんて初めてのことだ。


「来年度からは私に代わってあなたが校倉さんを見守ってあげてね」


「え、私が?」


「えぇ。だってあなたは先輩なんだもの」


 そうだ……私は先輩になるのだ。学部は違えど助けられること、教えられることはきっとあるはず。


「うん、分かったわ」


 姉を超えたという優越感はどこにもない。けれどもより崇高な想いが私の胸に芽生えていた。


 姉からバトンを受け取った瞬間であった。


「あ、美墨先生だ!」


「本当だ! 先生、私達合格したよ!」


「今年の愛宕生、全員合格だって!」


 と、そこに愛宕女学院の制服を着た女の子達がわらわらと駆け寄ってきた……


「先生、寂しいよー」


「今までありがとうございました!」


「えっと……えっと……私は先生じゃないんですが……」


「皆さーん。美墨先生はこっちですよー……」


 隣で姉が寂しそうな顔で佇んでいる。私達ってそんなに似てるのかな?


†――――――――――――――†

 next... 裏切者Side the final

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