第52話 (裏切者side)さよなら、リコネス

 金吾がキャンパスで空李のためにバンドマン魂を炸裂させた頃……。


 信彦はなけなしの金をはたいて東京行きの電車に飛び乗った。

 ただし路銀は限られているため新幹線ではなく在来線を乗り継いでという強行軍である。おかげで途方もない時間を費やし、都内に入った頃には太陽が箱根山に沈みかけていた。


 ずっとシートに座っていたおかげで尻の感覚が麻痺していた。まるで皮膚が剥がれたと錯覚するほどだ。


「あー、クソ。尻が痛え。貧乏旅行は嫌になるぜ」


 結愛と同棲しているアパートの最寄駅に到着した信彦はやっと電車から解放された安堵からそんな悪態をついた。住まいの近くだというのに久々に足を運び、馴染みが薄いにも関わらず妙に感慨深い。住めば都とはよく言ったものだ。


 金吾とバンドマンの熱い約束を交わした信彦。その心持ちは……


「くそっ! 金吾のやつ、黙ってサインしてればいいものを舐めた条件ふっかけてきやがって! 何がバンドマンの輝きだ、ガキみたいなことほざきやがって!」


 全然改心してなかった!!!!


「なーにが曲を貸すに値しないだ、偉そうに。俺が東京で苦労したのは、元はと言えばお前が書面にすること忘れたせいじゃないか。償いに全部の権利を寄越すくらいのことしろってんだ」


 それどころか何の収穫も無かったせいで苛立ちを募らせ、傲慢さに拍車がかかる始末である。本当に何も反省していないのだろうか?


「まぁ良い。そんなに新しいリコネスの演奏が聴きたいなら聴かせてやるさ。自分がいないリコネスに価値がないだなんて思い上がりもいい所だ。その慢心が自分の非力さを自覚させることになるんだぜ」


 くくく、と邪悪な笑みを口角から漏らす。


 いや、彼も少しは考えを改めた。傲慢な口調でバンドマン魂を綺麗事と嘲笑しているが、今の信彦には演奏で金吾の鼻を明かしてやろうという気概があった。完璧な演奏を聴いた金吾がほぞを噛む姿を想像して悦に浸った。

 皮肉なことに青臭いと嘲笑した金吾の綺麗事が信彦の埋もれていたバンドマン魂を呼び覚ましたのだった。


 だがそれにはリコネスを再び結集しなければならない。まずは結愛と仲直りだ。結愛とは先日喧嘩して部屋を追い出されてから隙間風が吹いていた。その後少しずつメッセージ交換をして関係修復の兆しが見えていた。だが最近は忙しさにかまけて疎かにしてしまい、また臍を曲げていることだろう。


(そろそろ仲直りの頃合いだ)


 ほとぼりも冷めた頃だからきっと元の関係に戻れるだろう。それで十分機嫌を取ってから金吾との約束を耳に入れることにしよう。演奏を聴かせるということは彼女に元彼との再会を強いるわけだが、プロ活動したいのは結愛も同じだ。きっと受け入れてくれるはず。


 そんな青写真を描きながら部屋へ急いだ。ボロアパートの今にも崩れそうなブリキの階段を昇り、部屋の前に立つ。それから呼び鈴を押し込んだ。


「結愛、俺だ。信彦だ。開けてくれないか。お前と話がしたい」


 インターホンなんて無いからドア越しに声を張って呼びかける。だが返事が無い。


「おかしいな。バイトは夜からのはずなのに……」


 怪訝に思って呼び鈴を再度押すが、やはり反応は無い。

 仕方なく信彦は鍵を使って部屋に入ることにした。追い出されたものの鍵まで取り上げられたわけではない。それでも自分の鍵を使わなかったのは仲直りしないうちは遠慮されたせいだ。


「結愛、入るぞ。結愛の顔が見たくて来たんだ」


 努めて穏やかな声で機嫌の取れそうな言葉を選びながら部屋に入る。だがそこに結愛の姿は無かった。


「あれー、やっぱしバイトだったか」


 ポリポリと頭を掻きながら部屋を見渡す。その時、妙な違和感に襲われた。


 部屋の物が少なくなっている。


 結愛の服、コスメ、スーツケース、そして部屋の隅に立てかけてあったエレキベースのケースが消えていた。


 ぞわり……。


 信彦の全身に鳥肌が立った。


(まさか……)


 そんなはずないと自分に言い聞かせる。寂しがり屋で一人では何もできない結愛がそんなことするはずがない、と……。


 ふとちゃぶ台の上に白い封筒が置かれているのに気づいた。封筒の表面には『信彦へ』と少女のような丸っこい字で宛名されていた。


「っ……」


 首を絞められたような息苦しさに襲われた。想像するだけで恐ろしいことが現実味を帯びてしまい、封筒を破り捨てたい衝動に駆られる。だが心とは裏腹に彼の手は震えながら封筒に手を伸ばした。


 中には便箋が入っており、手紙がしたためられていた。


 *


 信彦へ。


 こうしてお手紙を書くのは初めてですね。

 その初めての手紙がお別れのメッセージになったことをどうか許してください。


 あなたと二人で東京へ出てきたけど、私達だけではデビューできそうにありません。

 信彦は作曲も契約もできませんでした。でもできないなりに精一杯努力し、デビューしようと頑張ってくれましたね。その姿勢は尊敬します。


 一方の私は何もできませんでした。上京しても相変わらず人任せで何の役にも立てませんでした。ごめんなさい。


 もし私が何か一つでも協力できたらと思うと悔しくて仕方がありません。

 何か信彦の役に立てることをしたいとは思いました。

 でも私は鈍臭くて頭が悪いから何もできませんでした。本当にごめんなさい。


 この先私が信彦のそばにいてもきっと役に立つことはないでしょう。それどころか足を引っ張ってしまうと思います。

 これ以上バンドマン原田信彦の重荷にはなりたくないので私は別の道を歩もうと思います。

 私のことは忘れてください。


 でも私はあなたのことを忘れません。

 高校一年生の頃、軽音部に温かく迎えてくれたことは今でもはっきり覚えています。

 あの時あなたが誘ってくれなければ私は音楽の楽しさを知らないまま大人になっていたことでしょう。そう考えるとゾッとします。

 音楽の楽しさを知るきっかけを作ってくれたのはあなたには本当に感謝します。どうか東京で成功し、他の素敵な女性と幸せになってください。


 君にもよろしくお伝えください。


 結愛


 P.S.

 当面の生活のためお金を入れておきます。

 少ないですが大事にやりくりしてください。


 *


「嘘だろ……結愛……」


 手が震え、手紙がカサカサと音を立てた。


 信じられなかった。

 高校時代からバンドの仲間としてともに歩んできた結愛が……恋焦がれ、ついに親友から奪い取った結愛が……


「いなくなっちゃったのか……?」


 呆然と部屋を眺める。よく見ると部屋のそこかしこには結愛の痕跡がまだ残っていた。

 ファッション雑誌、化粧用のコットン、どこぞのブティックの紙袋。この部屋に結愛がいた痕跡があった。だがそれらは取るに足りない、彼女が不要と判断して切り捨てたもの。

 部屋に残されたのは彼女に捨てられたものばかり。他ならぬ、自分さえも。


 認めたくない。


「いるんだろ、結愛!?」


 きっと部屋の中にまだいるはずだ。自分を脅かすため、どこかに隠れているに違いない。そう妄信して信彦は部屋中をくまなく探した。

 押入れ、キッチン下の収納。そんなところにいるはずもないのに。


「結愛……出てきてくれよ、結愛……。俺、チャンスを掴んだぜ! だからさ、もう一度俺とバンドやろうぜ!」


 トリュフを探す豚のように部屋中を這いずり回るがやはり結愛の姿は見当たらない。

 当然だ。もう、彼女はここにはいない……。

 ボロボロ涙を流して信彦は受け入れ難い事実を認めた。


 自分の人生はなんと転倒の多きことか。それもこれも、全ては自分の思慮の浅さゆえであった。

 友から夢と恋人を奪い、恋人も散々に振り回した。これでは人が離れていくのは必定である。

 信彦はこここれに至り、ようやく自らの愚かさに気づいたのだ。


「うぅ……金吾、結愛……本当にすまん。俺が悪かったよぉ……。だから戻ってきてくれぇ……」


 うぉぉ、と野太い慟哭が四畳半にこだまする。信彦はついにひとりぼっちになってしまった。


 ピンポーン。


 その時だ。ドアベルが鳴り、来訪者を伝えた。


「結愛……? 結愛なのか!?」


 きっと結愛に違いない。しみったれた書き付けで別れを残したが寂しくなって戻ってきたのだ。


(畜生、心配させやがって! 今夜はたっぷり抱いてやる!)


 そう予感した信彦は満面の笑みを浮かべてドアを開ける。だが、そこにいたのは……


「よぉ、信彦」


「う、丑峰……さん……」


 借金取りの丑峰だった。彼はいつもの感情の読めない無表情であるが、心なしかいつもより苛立っているように見えた。


「信彦ぉ……おめぇ、なんで事務所来ないんだよ。今日返済あるから事務所来いって昨日言ったよな? まさかもう忘れたのか?」


 そのまさかだ。昨夜、新幹線のチケットを拾って歓喜してすっかり失念していた。


「いらねぇ手間かけさせやがって。ほら、今日が返済日だ。元金と利息、きっちり払え」


 返済額はおよそ十九万円。とてもじゃないが払えない。

 信彦は思わぬところから現れた危機に怯え、尻餅をついて後ずさった。それを丑峰は律儀に靴を脱ぎ、部屋に上がって追った。


「ずいぶん寂しい部屋だな。彼女と同棲してるんじゃなかったのか?」


「えっと……色々ありまして。それより返済の件なのですが……」


「うん?」


「い、今お金がなくて払えません! どうか待って頂けませんか!?」


 渾身の土下座で懇願した。午前中金吾に土下座して、今度は丑峰相手だ。一日に二度も土下座する日が来るとは思わなんだ。


 丑峰は何も言わなかった。怪訝に思った信彦は恐る恐る彼の様子を伺う。すると彼は信彦が落とした結愛からの手紙を拾って熱心に読んでいた。

 それからおもむろにちゃぶ台の封筒を手に取ると、同封されていた紙幣を全て抜き取った。


「利息分はこれで十分だ。だが元金分が無い。信彦、今すぐ女に連絡取れ。それで女に払わせろ」


「は、はい……」


 言われるがまま、信彦はスマホで結愛に発信した。だが何度コールしても結愛は出ない。着信拒否されているのだ。


「で、出ません……」


「女の職場は……」


「カフェとガールズバーです。でもどこの店かは聞いてません……」


 結愛には稼いでくれさえばいいと思っていたので詳細には聞き入らなかった。頼りきりの後ろめたさから目を背けてプライドを保てていたが、それが裏目に出た。


 財布の中はもちろん銀行口座にもお金は無い。バイト代が出るのも当分先で、それを全額叩いても完済は無理だ。とうとう信彦は首が回らなくなってしまった。


 丑峰はゾッとするような座った目で信彦を見下ろし、冷たく言い放つ。


「信彦、いっぺん事務所来い。話がある」


†――――――――――――――†

 信彦の運命やいかに!?


 面白いと思った方は⭐️レビューと❤️応援よろしくお願いします!

†――――――――――――――†

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