第50話 (金吾&信彦)誰ガ為のギタリスト(後編)

「貸せないというのは『今のお前には』って意味だ、信彦」


 信彦の慟哭がぴたりと止む。そして面を上げて俺を穴が空くほどに見つめた。


 止んだのは信彦の鳴き声だけじゃない。風も、鳥のさえずりさえも聞こえない無音の世界に包まれた。

 何もかもが沈黙した世界で俺と信彦は見つめ合っていた。


「ちょっと、金吾。あんた何言ってるの?」


 その沈黙を破ったのは涼子だった。横目に双眸を目一杯広げた涼子の顔が映っていた。まるで死人に出会したような信じ難い心持ちがありありと浮かんでいた。


「あんた、まさかこのに及んで曲を使わせてやるつもりなの?」


「そうだ」


「あんたバカ!? あんたに酷い仕打ちして、しかも今度は騙して自分だけ報われようとした男に手助けしてどうするのよ!? 助けることなんてないわ、ほら、大学に行くわよ!」


「涼子は黙っててくれ!」


 涼子が俺の腕を掴んだ。だがその手を俺は振り払い、依然として信彦と視線を交わし続けた。


 涼子は俺のために信彦から遠ざけようとしてくれたのだ。その優しさには感謝の念が湧く。それでも今は従うわけにはいかない。


 ここで信彦に背を向ければ、俺きっと終生後悔するだろう。


「今の俺にはってどういうことだよ? どうして今の俺には貸してもらえないんだ!?」


 自分の声で喉が裂けるのではと危ぶまれるほどに信彦は叫んだ。


 痛ましいまでの必死さは見ているこちらが辛くなるほどだ。だがそれでは俺の心は動かなかった。今の信彦には明らかに足りてないものがある。いや、失ったと言う方が正しい。




「それはな、今のお前にバンドマンの輝きが無いからだよ」




 それが俺の答えだ。


 信彦は何も答えられなかった。隣に立っている涼子も言葉を失っていた。

 驚いているのか呆れているのか、あるいは両方なのか。

 そんな二人に見つめられる俺は、心底穏やかな気分だった。


「信彦、東京で随分苦労したみたいだな。そのせいですっかりつまんない男になっちまったよ。いきなり顔出したと思えば、やれ金だ、やれメンツだってみみっちい話ばかりして、がっかりさせられた」


「何言ってるんだ、お前……」


「俺の言いたいことが分からないなら、それはお前が変わっちまったせいだよ。以前のお前は金が無いなりに工夫した。メンツなんて気にせず、自分の信じた道を突き進んだ。覚えてるか、信彦? 俺達の最初のライブ……高校一年生の頃の文化祭を」


「文……化祭?」


「ひどいライブだったよな? カチコチに緊張してお前は拍間違うし、俺はリズムについていけない。結愛は歌うのに必死で指動いてなかったろ?」


 苦い思い出は青く未熟な果実のよう。俺の顔には苦笑が浮かんでいるが胸は妙に温かかった。


「終わったらクラスの奴らに『下手くそ、やめちまえ』ってバカにされてさ。俺、あの時恥ずかしくて本当にやめようか悩んでたんだぜ。でもお前は違った。そいつらに食ってかかったよな。『うるせぇ、来年はもっと上手くなるから覚えてよろ』って。どこからその自信が来るのか不思議だった。でもそんなお前がリーダーだったから俺は続けられた。格好良いロックスターのお前と一緒だったから……」


 空李さんが俺を崇めてくれるように、俺は信彦を崇めていた。彼の背中を追いかけ、同じステージに立つことが俺の誇りだった。


「でも今のお前にその輝きは見当たらない。道を切り拓く気骨が失せたばかりか、懇願して温情に縋ろうとしてる。そんなの全然ロックじゃない。今のお前は曲を貸すに値するバンドマンじゃない」


 彼に曲を貸そうと思ったのはそれに足るバンドマンだと信じていたからだ。

 例えバンドを追い出されようと、例え女を寝取られようと、音楽に対する情熱とギラギラした野望を持ち合わせる彼は本物のバンドマンだと信じて疑わなかった。

 人として憎み、男として憎んでも、彼の音楽への情熱までは否定できなかったのだ。

 言い換えれば、たったそれだけの要素が曲を貸す理由だった。


 この世のどこかに俺の曲を聞きたい人がいのなら、誰かに届けてもらわないといけない。

 その役目は――悔しいけど――バンドマン原田信彦になら託せると思っていた。

 そのためなら俺はお金も名声もいらなかった。


 だがそれも先ほどまでの話。バンドマンとしてまだ見所のある奴と思っていたが、情熱を感じさせない彼の醜態を見てそんな気持ちは失せた。


 もう彼はバンドマンでもなんでもない。


 音楽に熱意のない人に曲は貸せない。


「そんな……。それじゃあどうすれば認めてもらえるんだ? お、俺は本気だぞ!? 大舞台に上がる夢は捨てちゃいない!」


「口だけなら何度でも言えるよ、信彦。お前、口先だけのバンドマンがうじゃうじゃいることは百も承知だろ?」


「それじゃあどうすれば!?」


「決まってる。バンドマンなら言葉じゃなくて音で語れ! 新しいリコネスを結束させて、俺を唸らせる演奏をしてみせろ。それで曲を託していいと思えば……その時は俺もバンドマンだ、快く貸してやる」


 信彦は唇を噛み締め、涙を湛えた瞳で俺を穴が空くほど見つめた。

 新しいリコネスは上手くいってないことはその渋面ぶりから察せられた。事務所との契約がまとまらなかったのだ、それが原因で亀裂が入ったのだろうな。


 その状況で与えられた試練は彼には随分高いハードルだろう。少々酷にも思える。

 しかし大事な曲を貸すバンドにはそれくらいの壁は乗り越えてもらわないと提供する俺のプライドが納得しない。


 信彦はその条件を受け入れた。おもむろに立ち上がり、涙を拭いた手を俺に差し出したのだった。


「分かった。お前の心に音響かせて必ず納得させてやる。だから待っててくれ」


 俺はその手を握り返した。力強く、決して解かんとばかりに。


「あぁ。ただしリミットは一ヶ月だ。一ヶ月後の今日、俺を東京に呼べ。そこで新しいリコネスを見極めてやる」


 これはバンドマン同士、男同士の約束だ。お互い二言はない。


 それで俺達はしばしの別れとあいなった。


 だいぶ時間をロスしてしまった。もう行かないと。


 俺は助手席に飛び乗り、シートベルトを締める。隣では涼子が不服顔で同じようにシートベルトを締めた。


「あんた、本当にあいつに曲を貸すの?」


 涼子はプリプリと怒っている。信彦に怒りを募らせている……というわけではなさそうだ。


「まだ貸すと決めたわけじゃない。貸すに値するか見極める。全ては彼次第だ」


「なんでそこまでするのよ? あいつのことまだ友達だと思ってるわけ? それとも約束を破るのが後ろめたい?」


 涼子の拳がハンドルを叩いた。怒りを浮かべていた瞳には悲哀とも悔しさともつかぬたぎるような感情が混ざり、うっすら涙が滲んでいた。


「なぜ、か。自分でもよく分からない。大事なライブの前にしこりを残したくなかったのかもな。仕返しの権利が俺にあったとしても、信彦を絶望の淵に叩き落としたその口で空李さんを激励するなんて二枚舌、俺にはできないよ」


 俺にとって今一番大事なのは空李さんに歌を届けに行くことだ。彼女が人生の壁を乗り越えられるよう励ましに行くのに、その一方で人の夢に終止符を打つのは違う気がする。

 人に理解されない決断でも、空李さんに胸を張れるような行動を積み重ねてマイクの前に立たないと嘘になる。


「それに可能性を潰したくなかった」


「可能性? あいつのバンドマンとしての?」


「そうだ。ここで俺が信彦憎しで曲を貸さないのは簡単だ。だがそれは一人のバンドマンの可能性を潰すことになる。かつて、俺の可能性を潰した信彦と同じだ」


「どっちもどっちが嫌ってこと?」


「それもある。だがそれ以上に信彦に気づいてほしいんだ。他人の音を掻き消すのはバンドマンらしくないってことに。俺が教えるのは簡単だけど、その哲学は自分で悟らないと意味がない。それを悟るのはバンドマンとしてきちんと挫折した時だと思う。だから信彦にはきちんと挫折してほしい。その上で、本当のロックスターになってほしい。その可能性を潰したくはないよ、同じバンドマンとして」


「ごめん、マジで意味分かんない。過去一で意味分かんない」


「俺も分かんないよ。結構衝動的に喋ったから。でもこれが俺の本心だ。心の中で響いてる音なんだよ」


「ホント、音楽バカ。東京には私も一緒に行くから。一人であいつらに会うんじゃないわよ!」


「え、付き合ってくれるの?」


「当たり前でしょ! あんた一人、危なっかしくて会わせらんないわ。書類にも言われるがままサインしちゃうし……。あんた、今後何かの契約する時は必ず私に一言相談しなさいよね!」


 おやおや、過保護なお母さんみたいなこと言い出したぞ。

 まったく、心配性だな。さっきは混乱して言われるがままにサインしたが、この先同じことは無いよ。…………きっと。


「ていうか許すにせよあんたはもっと怒りなさいよ! あんな虫の良いやつ、殴ってやろうとか思わないの!?」


「俺が怒る必要はないさ。だって涼子が代わりに怒って殴ってくれたからな。おかげでスッキリした」


「はぁ……。ほんと、ぽやんとしてるんだから、あんたは……。時間ロスしたわ、出すわよ」


「あぁ、時間が無い。大学に行こう。空李さんが待ってる」


「まったく……あいつが売れたら暴露本書いてやるわ」


 涼子の口ぶりは未だぷりぷりしていた。でもルームミラーに映る目元が少し笑っているのを俺は見逃さなかった。

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