第46話 北斉への風が吹く(後編・信彦side)

 夜の丸の内、東京駅。


 牛丼屋でアルバイトを終えた信彦は幽鬼のごとき生気の失せた顔でぼんやりと駅舎を眺めていた。

 その原因は労働による疲労に留まらない。このところ彼はずっとこの調子だ。


 思い起こすと北斉から上京した折、この駅に降り立った。

『東京』の名を冠するここは経済と交通の要衝。東京の中の東京。自分の輝かしい人生はここからスタートするはずだった。


 だが蓋を開けてみれば苦難の連続だった。

 結愛をものにして金吾を排除した自分に待っていたのは東京での苦しい生活。

 来る日も来る日もバイトで音楽はおざなり。

 時間を見つけてギタリストをリクルートしたが、これがズブの素人ときた。


 やむをえず間に合わせのメンバーでデビューに臨んだが、そこで現実を思い知らされた。

 事務所が期待していたのはなんと金吾だった。自分が「代わりの利く」と酷評した男こそがキーマンだったなんて、つゆほども思わなかった。


「俺の目が間違ってたのか……?」


 どうにか白紙撤回は回避したものの、ピンチは脱していない。エージェント契約なるものを締結するには金吾の曲が必要不可欠ときた。自分が無体に扱った彼のサインが必要なのだ。

 だが彼の許諾を得るなど土台無理な話。自分を無碍にした男に魂とも言える楽曲を提供してくれるお人好しがこの世にいるだろうか?


「トレミーからのデビューはもう無理なのか……」


 スカウトなんてこの先二度とないだろう。チャンスを活かしきれなかった己の人生は暗澹として見えた。


「はぁ……俺はこの先、東京で細々生きていくのかなぁ……」


「いや、借金を返すためにあくせく働くんだぜ、信彦」


 突然背後から響く重く平坦な声。

 びくぅ、っと信彦の肩が跳ね上がる。ガタガタ震えて振り返るとそこにはモーモーファイナンスの丑峰が佇んでいた。


「う、丑峰さん!? ここここんにちは!?」


「おう」


 丑峰は相変わらずの無表情だ。リムフレームの眼鏡の奥底の瞳はブラックホールみたいに光を宿しておらず、ただただまっすぐ信彦のことを見つめていた。


「り、利息の支払いって今日でしたっけ?」


「いや、明日だよ」


「そ、それじゃあなんで……」


「見かけたから声かけてやったんだよ、悪いか? それにお前、この前支払い忘れてただろ? だからわざわざ教えてやってんだよ」


 丑峰は声に好意も怒りも滲ませず、ずっしり重い声で淡々と語る。その一言一句が鎖のようで、信彦をがんじがらめに縛りつけた。


「あ、あの……利息なんですけど、少しだけ待ってもらえませんか? 給料日になったら払いますので……」


 精一杯の愛想笑いを浮かべて頼み込む信彦。だがそこに間髪入れず丑峰の丸太のような腕が伸びて信彦の胸ぐらを掴んだ。


「ダメだ。支払いは一日も待てねぇ。元金と利息、合わせて189,318円きっちり持ってこい」


「じゃ……ジャンプさせてください……」


「それもダメだ。もう待てない」


「そ……そんなお金、ありません」


「だったら女に払わせろ」


 耳を疑った。だが丑峰の声には全くブレがない。悪い冗談や脅しではなく、本当に結愛に払わせようとしている。


 確かに結愛なら二十万円くらいのお金はなんとかなるかもしれない。ガールズバーの仕事が板につき、信彦との経済格差は日に日に開いていた。


 しかし結愛とはほぼ没交渉状態だ。あの日以来、信彦は部屋から追い出され、五木広重やバイト先の同僚の家を渡り歩いて寝泊まりしている。


 しかし結愛と恋人関係は。つまりまだ別れていない。

 これは何も信彦の自惚れではなく、結愛も完全に絶縁までしたつもりはない。その証拠に結愛は少しずつ態度を軟化させ、LINEで連絡をしてもらえるまでになった。


 松山結愛という少女は主体性がなく流されやすい性格だ。信彦に不信感を募らせているものの、一人で東京で生きていくのは怖いので最後の心の拠り所にしている。

 アパートから自分の荷物が処分されてないのを確認した信彦はほとぼりが冷めたら仲直りできると踏んでいた。実際、関係は回復に向かいつつある。

 しかし借金があり、なおかつその弁済を引き受けを切り出せばさすがの結愛も愛想を尽かすのは目に見えている。自らが東京で生きていくためにはそれだけは回避せねば。


 かといって無い袖は触れない。財布の中には三千円しか残ってない。


「それじゃあ明日、事務所まで来い。逃げられると思うなよ?」


 丑峰は突き飛ばすように信彦を解放すると踵を返してズンズンと歩き去った。尻餅ついた信彦は全身の力が抜けていくのを感じ、駅前広場で大の字になって横たわった。


 丑峰のあの気迫、地球の裏側まで取り立てに来てもおかしくない。

 逃げ場所などないのは明白だ。


「ちくしょう……どうすれば良いんだよ……」


 東京のオフィス街でその声に応える者はいない。

 完全なる孤立無縁。

 憧れ続けた大都会で信彦は袋小路で孤独に喘いでいた。


 その時、乾いた風がひゅうっと吹く。その風に乗って一枚の紙切れが飛ばされ、信彦の顔の上に乗っかった。


「うわ、なんだこれ」


 びっくりして慌てて払いのける。そしてその正体を確かめた。お札よりも小さく、とても固い紙質のそれは……


「新幹線の乗車券か。どっから飛んできた? いや、それよりもこれは……」


 行き先を見て信彦の口から心臓が飛び出しそうになった。そこは自分達が上京する際に乗った駅。北斉市民が新幹線に乗る際に必ず利用する駅だ。


 懐かしい駅の名前を見て、信彦は胸が締め付けられる苦しさを覚えた。田舎と蔑んだ北斉市の街並みが急に懐かしく思えてならなかった。


「これに乗れば北斉へ帰れる」


 だが帰ってどうする? 帰ったところでデビューの道筋が立つわけじゃないし、借金も有耶無耶になるわけではない。親とは喧嘩が絶えず、借金を立て替えてくれるとは思えないし、頭を下げるのはプライドが許さなかった。


 ふと、ある男の顔が目に浮かんだ。星一つない東京の夜空に金吾の背中が見える。そして信彦の視線に気づいたように振り返り、じっとこちらを見つめていた。


「金吾、俺を呼んでいるのか?」


 きっとそうだ。ピンチになった自分を見兼ねて助けを差し伸べようとしているのだ。風が切符を運んできたのは彼と再会するのが運命だからだ。


 そんなはずのない妄想に取り憑かれた信彦は勢いよく立ち上がると全速力で東京駅に駆け込んだ。そのまま新幹線に飛び乗り、友の待つ故郷の北斉市へ向かったのだった。


†――――――――――――――†

 ついに金吾と信彦が再会……


 次回は結愛のお話です。

 彼女の運命も大きく動き出します。

†――――――――――――――†

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