第45話 北斉への風が吹く(前編・金吾side)

 行きつけの楽器屋さんのレンタルスタジオ。外部と音響的に遮断された空間にエレキギターの音が溶け込んでいく。


 防音空間というのは非常に独特の空気に満ちている場所だ。外部の音がシャットアウトされているから雑音がない。そればかりか防音壁の効果で内部の音が反響しない。なのでギターを掻き鳴らしてもすぐに静寂が訪れる。


 音を鳴らす場所にありながら無音の場所。

 音を遮断するのは周辺に迷惑かけないためなのだが、それ以上に周囲から邪魔されない空間を作り出すように設計されているようで俺は好きだ。


 自分の音に集中するこの空間が、俺は好き。


 こういう空間に来るのは随分久々だ。リコネス時代は音楽室やスタジオを借りて練習に明け暮れた。それが遠い昔のことに思えてならない。


 いや、リコネスを追われたのは四ヶ月近く前のことなので随分時間が経った。

 その間、俺は大学と自宅を往復する日常にあって非日常を送っていた。


 ファンの空李さんと触れ合い、最低限の関係だった美墨先輩と仲良くなり、かねてよりの友達の涼子も交えて家庭教師をすることになった。


 なぜこんな人間関係ができたのか、よくよく考えると不思議だ。

 

 俺はファンの空李さんの力になりたくて。

 先輩は彼女を焚き付けた責任と、お姉さんへの対抗意識を燃やして。でも今は純粋に空李さんを応援したくて。

 涼子は俺がとちらないために。何より仲良くなった空李さんのために。


 立場は少しずつ違えど、空李さんの力になりたい気持ちが自然と芽生えたのは奇跡のような出来事である。その奇跡が生んだ関係は順調に育まれた。


 明日は二次試験本番。明日の勝負でこれまでの努力が試される。結果は全て空李さん次第で家庭教師の俺達にできることはもう残されていない。

 だが俺にはもう一つだけやるべきことがあった。


『試験の前に応援の歌を歌ってほしいなぁ……』


 共通試験の結果が振るわず挫けそうになったが奮起した空李さん。そんな彼女のささやかなお願いを俺は叶えてあげたい。

 そのために今日は久々にエレキギターを担いでスタジオで練習していた。


「腕は鈍ってないわね」


 スタジオの端っこの椅子に腰掛けた涼子がにっこり微笑む。涼子には明日色々手伝ってもらうので打ち合わせも兼ねて付き合ってもらった。


「また練習してたから。にしてもブランクって怖いな。久々にギター握ったらさ、指先痛いし、指の関節開かないしですっかり鈍くなってたよ」


「それで勘を取り戻せるあんたは凄いわ。私なんて、もう何年も鍵盤に触ってない。今やっても指動かないわ、きっと」


 涼子は右の手の平に視線を落としてしみじみ呟いた。その声は思い出をいつくしみつつも忸怩する曖昧さを孕んでいた。


「ピアノ、もうやらないの?」


 それが妙に引っかかって、自ずとそんなことを尋ねていた。


「やんないわよ。家にあったピアノも随分前に下取りに出しちゃったし」


「そっか。それは残念。また涼子のピアノ聴きたかったな」


 記憶をたぐれば涼子の細長い綺麗な指が鍵盤の上で踊る光景と奏でる旋律が蘇る。俺は涼子の演奏が結構好きだった。


「私は聴く側の人間で十分よ」


 ほっこりほぐれた微笑みを浮かべた涼子。

 俺の希望とは相反し、当人にまたピアノを始める意思はないらしい。涼子はこの話題を避けている節があり、いつも小心になる。俺も本人の意に反するならばと無闇に踏み込むのを避けてきた。


 俺達はそういう間柄だ。お互い恋人がいてもいなくても、一緒にいるだけで居心地の良い関係。肩肘張らず、本心を語り合える異性の友達。


 そう思っているが故に彼女のデリケートな心の領域を避けるのは矛盾か、それとも大人になった証拠なのだろうか……。


「でも明日は歌う側になってもらうけどな」


 ウェットな涼子にイタズラっぽく笑いかける。涼子は顔を赤くして明後日の方角へ視線を逸らした。


「ねぇ、本当に私も歌うの?」


「何を今更。練習いい感じだったろ? それにこの曲はコーラスあった方が格好良いしさ。涼子にしか頼めないよ」


「……まぁ、そこまで言うなら腹括るわ。空李ちゃんのためだもん」


「頼むぜ、相棒」


†――――――――――――――†

 次回は信彦sideです。

 本日18時ごろに投稿予定です!


 ドチャクソ可愛い空李のイラストできたので見て!

 https://kakuyomu.jp/users/junpei_hojo/news/16817330666319828534

†――――――――――――――†

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