第44話 (裏切者side)座礁

 一月が終わり、二月を迎えた。

 東京の街は早々に正月気分を忘れ、ビジネスマンの忙しさと若者の活気に包まれた日常を取り戻していた。


 そんないつものごった返した恵比寿のオフィス街。芸能事務所『トレミー・エージェンシー』に信彦、結愛、そして新人ギタリストの五木広重は足を運んでいた。


 今日はいよいよリコネスのデビューに関する契約の日だ。


 信彦は自信満々で。

 結愛は緊張して。

 広重は能天気な顔で。

 それぞれ異なる心持ちで、しかしてデビューという同じ大きな夢を持ってトレミーの敷居を跨いだのだった。


 受付を済ませ、応接室に通される。革張りのソファとガラステーブルが高級品なことは目利きでない信彦でさえ理解した。


 一流の人間が触れるもの。

 それに自分も触れている。

 これから自分はミュージシャンとしてワンランク上の人生を歩むのだと信じて疑わなかった。


 待つこと五分。ノックと共に戸が開かれる。


「いやぁ、お待たせ! ようこそ、トレミー・エージェンシーへ!」


 姿を現したのはプロデューサーの松平潤。去る夏に北斉市に足を運んでくれた折り、リコネスのことをスカウトしてくれたプロデューサーだ。


「松平さん、お久しぶりです!」


「信彦君、お久しぶり! 元気そうでよかったよ!」


 満面の笑みで握手を交わす。松平とは電話やメールでデビューに向けた話を詰めていたので実際に会うのはこれが二度目だ。


「こちら、うちのプロデューサーの本多研一。君達の担当じゃないんだけどどうしても一目会いたいというから同席させるね」


 松平は一緒に入ってきた本多を紹介した。本多は優しそうな顔つきだが、松平に負けず劣らず精力溢れるオーラを醸している。そんな人達と接する自分が急に都会人の仲間入りをした気がした。


 本多は信彦に簡単に挨拶すると結愛に目を向けた。


「本多です。主に女性タレントのプロデュースをやってます。いやぁ、結愛ちゃんは逸材だ! うんうん、先が楽しみだなぁ!」


 と、どこか方向性の違う喜び方をしているが、信彦はさして気に留めなかった。


「で、そちらが金吾君ね! 本多です、よろしく!」


 ピキッ――


 リコネスの面々に緊張が走る。他方、松平は妙な違和感を表情に浮かべていた。


「あれ……金吾君ってそんな雰囲気だっけ? 髪染めた?」


 広重の金髪を穴が空くほど見つめる松平。その横で本多が素早くスマホを操作し、リコネスのインスタグラムアカウントを開いた。


「いや、別人です。金吾君じゃないですよ、彼!」


 呆気に取られる松平と本多。当然だ。ここに来るべき人間がおらず、代わりに何処の馬の骨とも知れぬ男がいるのだ。


「信彦君、これはどういうことだ? というか君は誰だ?」


 眉間に皺を寄せた松平が二人に詰め寄る。

 信彦はいよいよ来たかと腹を括り、プロデューサー達に説明した。


「えっと、彼は金吾と入れ替わりで参画したギタリストの五木君です」


「か、代わり!?」


「はい。今後のリコネスはこの三人でやっていきます。それで契約と今後のライブについてですが――」


「待って待って! え、なんで金吾君やめたの? まずはその説明からでしょ?」


 信彦の言葉を松平が抜き差しならぬ剣幕で遮る。このまま押し通して契約の話までするつもりだったが、そうは問屋が卸さない。


「なんで金吾君やめたの? 作詞作曲やってるギタリストがいないっておかしいじゃん」


「その……金吾は直前になって自信がないからと身を引きました。ですが自分らとしてはまたとない機会ですし、松平さんのご好意を無碍にはできないのでこのような形に」


「いや、機会とか好意とかじゃなくて、なんで言ってくれないの?」


 あんぐり口を開けて苦言を呈する松平。

 中核となるメンバーが離脱するなどバンドの一大事だ。それほどの重大事案はプロデュースする立場の人間に早めに相談するのは常識だ。松平は今日まで全く報告しなかった信彦に苛立ちを覚えた。


「き、金吾がいなくてもリコネスはやっていけます! 五木君のギターの腕前は金吾に見劣りしませんし」


「そういう問題じゃ……。いや、まぁ、いい。百歩譲ってギタリストは確保したとして、曲はどうするの? 今までの曲は? 新曲は?」


「新曲は自分が作ります! 場合によってはクリエイターを紹介してもらうことになるかもしれませんが、それでも基本は俺がやります。これまでの作曲は俺と金吾ででやってきたので、あいつが欠けたからと言って新曲が出せないことはありませんよ!」


 とんでもないハッタリだ。信彦も多少新曲の作成に関わったのは事実だ。だがやったことは「ここはもっとアガる感じに」など口出ししただけで、協力したとはお世辞にも言えない。


「でも、曲の名義は全部彼になってたよね?」


 本多が訝しんだ。


「それは、あいつがどうしてもって言うから仕方なく。そういう見栄張りたがるところがあるんですよ、困ったもんです」


 信彦は精一杯の愛想笑いと出鱈目でどうにかこの場を乗り越えようとしていた。ここさえ乗り越え、契約書にハンコを押せば峠は越える。もう少しの辛抱だ。


「でも、以前金吾君と話した時は『作詞作曲は自分がしてる』と言われたがね」


「で、ですからそれはあいつの見栄なんですって!」


 まさか初対面の時にそんな話をしていたとは……。矛盾する発言に松平は不信感をどんどん募らせる。挙げ句、


「一旦この話は無かったことにしましょう」


 と信彦を絶望のどん底に叩き落とす発言をした。


「白紙撤回ですか!? どうして!?」


「金吾君がいないからだよ」


 理由は至極単純だった。


「作詞作曲してた人がいないんじゃ、僕が目をつけたリコネスはもうプロデュースできないでしょ?」


「いえ、ですから曲は自分がこれまで通り――」


「そもそも僕は金吾君に期待してたんだよ。彼の書く詞、作る曲、ギタープレイに目をつけた。その彼がいないんじゃ、話にならない」


 言い切る松平に信彦は絶句した。


(金吾に目をつけた……だと?)


 信彦は金吾を「代わりの効く人材」と冷酷に評して切り捨てた。だが現実には注目されていたのが彼だったなんて想定外であった。

 これは非常にまずい。


「そもそも弾ける曲もないんだろう?」


「曲はあります! リコネスの曲はこれまで通り演奏していいことになっているんです!」


 信彦は癇癪を起こして怒鳴り口調で弁明した。


 これが信彦の最後のカードだ。もはや松平に差し出せるものはかつて金吾が作った曲しか残されていない。


 だが松平の顔は渋い。全く興味を示してくれない。

 しかしその隣の本多が思いがけず救いの手を差し伸べた。


「それじゃあ、リコネスとはエージェント契約ということにしますか? で、当面は旧作でライブしつつ、活動しながら信彦君が新曲を書く。正式な所属は実績次第でどうでしょう?」


「ふーむ。それならリスクは少ないからなぁ……」


 エージェント契約? 正式な所属?


 本多の口から飛び出した言葉を飲み込めず首を捻る。だが態度を硬化させていた松平の顔つきが緩むのを見て信彦は安堵した。

 もうこの際なんでもいい。東京でステージに立てるなら悪魔とだって契約するつもりだ。


「分かった、エージェント契約で行こう。正式な所属とプロデュースは新生リコネスのポテンシャルを見て決める。それで良いかな?」


「も、もちろんです!」


 信彦はグッと拳を握りしめた。

 エージェント契約なる形態に譲歩されたのが引っかかるが、ともあれ念願叶って芸能人の仲間入りだ。

 夢にまで見た晴れ舞台。自分を田舎者とバカにしてきた連中を見返すことができるのだ。


 だが神様はどこまでも意地悪だった。




「それじゃあ、を出してね」




 本多の口からまた聞いたことのない単語が飛び出す。

 何を出せと言った? 著作物? 許諾書?


「あの……それはなんですか?」


「え、著作物利用許諾書のこと?」


「はい」


「えっと……簡単にいうと楽曲を使っていいですよっていうお墨付きのことだよ」


「はぁ、著作物。それは市役所に行けばもらえるんでしょうか?」


 トンチンカンな信彦の質問に好意的だった本多の顔が強張る。「こんなバカ見たことない」と言いたげにあんぐり口を開いていた。


「利用許諾なんだから作った人のところに行くしかないでしょ?」


「作った人……まさか、金吾ですか!?」


「他に誰がいるの? まぁ、正式な許諾契約はうちの法務部の人間と金吾君とでするから、先立って利用許諾の覚書が欲しいんだけど……無いの? さっき使わせてもらう約束したって言ったよね?」


 呆気に取られた本多。信彦は背中に氷が入り込んで滑り落ちた気がした。


 金吾を追放した夜、彼からデビュー後も引き続き曲を使っても良いとの言質を確かに引き出した。

 だがそれだけだ。その約束を書面にしたわけじゃないし、録音さえしていない。


 約束を形に残すことを思いつかなかったのはまさに信彦が田舎者な証左であろう。狭い社会では口約束を破ることはタブーだ。不義理の噂は瞬く間に広がり、コミュニティでの居場所を無くす。


 だがそれは皆が顔見知りの地域コミュニティ独特の文化だ。全員が他人同士の世界では口約束は水物。まして他人同士が多額のお金を動かすビジネスの世界で口約束はあてにならない。世間知らずなお子様には考え及ばないことだった。


「紙なんて野暮なもんは俺達には入りませんぜ」


 だからこんな見当違いな答えを返す。


「書面無いの?」


「えっと……俺と金吾は昔っからのマブダチで、『生まれた時はだが死ぬ時はだ』って誓ったくらいなんですよ」


「何を当たり前のこと言ってるんだい。ともかく口約束は困るよ? お金に関わるし、許諾無しで演奏したら著作権侵害になっちゃう。うちはコンプラに厳しいからそこ固めないと契約できないよ」


 さすがの本多もイライラした。彼は都会で揉まれた大人だから、多額のお金が絡むと口約束など平気で反故にされると理解している。もっとも、小早川金吾は金に目が眩むような男ではないが、そんなことは本多の預かり知らぬこと。信用できるのは決定的な証拠だけだ。


「はぁ……。そういうことだから、まずは地元に帰って金吾君に覚書にサインをもらってきて。できたら連れ戻してほしいけど……まぁ、どういう形にするかは任せるよ」


 松平は心底落胆して部屋を後にした。もうリコネスに何の興味も価値も見出してないと顔に書いてある。


 信彦はここに来てようやく、裏切った親友の価値、そして己の見通しと脇の甘さを自覚したのだった……。


 *


「どーすんの!? 何が『俺に任せとけ!』よ!? 大見得きっといて白紙撤回ってありえないんですけど!?」


 摘み出されるようにしてトレミーのオフィスから退去したリコネス。直後、入り口の脇で結愛が盛大に喚き散らしていた。


「曲は自分が書くとか言ってたけど結局一曲もできてないじゃん!」


「結愛、よせ! 聞かれるかもしれないだろ! あと白紙じゃなくてエージェント契約だ」


 怒り心頭な恋人を宥めるも全く収まる気配がない。嘘八百を並び立てた信彦への信頼は地に堕ちた。


「そのエージェントなんちゃらも金吾の曲を使わせてもらえないんじゃ結べないんでしょ?」


「逆に言えばあいつのサインさえあれば契約できるんだぜ」


「あんた正気? 金吾が私達のためにサインしてくれるわけないでしょ!?」


「それは……ほら、お前から頼んでくれよ、結愛。お前から頼まれればあいつも断れないだろ」


 信彦は決まり悪そうな強張った笑みを浮かべる。滅裂な思考回路に結愛は嫌悪を感じ、顔を凍り付かせた。


「あんた、バカじゃないの? 自分捨てて他の男に乗り換えた女のために大事な契約結んでくれるはずないでしょ……」


「大丈夫だよ! 金吾のことだから結愛に未練タラタラで、今頃一人寂しく駅前で弾き語りでもやってんじゃないの? ちょっと北斉まで行って思い出話でもして、一晩しっぽりヤって一筆もらって来てくれ」


「な……」


 信じられない思いで結愛は絶句した。自分の恋人を色仕掛けに使うなんて。


「なんでそんなこと言うの? 信彦、私のこと大切じゃないの? 私がお金のために金吾とエッチして信彦悲しくないの? 私って何?」


「今はそんなこと言ってる場合じゃないんだよ! 頼む、北斉に行ってサインをもらってきてくれ!」


 なりふり構わず自分を駒のように扱う信彦に、結愛の心は急速に冷めた。


(こんな男のどこが良かったんだろう……)


 大学生になって忙しくなり、あまり構ってくれなくなった元彼。その隙間を信彦は埋めてくれた。

 だが振り返ると隙だらけな心にするりと入り込んで自分をたぶらかしたように思えてならない。


 今になってようやく結愛は自らの過ちに気づいた。

 信彦は自分を大切になんかしてくれない。己の欲を満たすためならなんでもするケダモノだ。


「もういい、バンドやめる」


「は!?」


「もうバンドなんかやりたくない。リコネスも知らない。信彦一人でやれば?」


 先ほどの一言で結愛の目は覚めてしまった。そして冷たく吐き捨てると踵を返し、迷いのない足取りで恵比寿の雑踏へ消えていった。

 信彦は絶句して引き留めることさえできなかった。


「えっと……リコネスどうなるんすか? ていうか修羅場?」


 そばで呆然としていた広重が気まずそうに問うが、その答えを知るものはどこにもいない。


†――――――――――――――†

 リコネス解散の危機!?

 いいえ、とっくに危機的状況だったのです。

 しかし気づいた時には時すでに遅し。

 どうする、信彦!?


 いよいよ第一部クライマックス突入!

 受験に臨む空李、

 追い詰められた信彦、

 ファンのためにライブを企画する金吾。


 それぞれの運命が交錯します!


 でもその前に箸休め。次回からSSを3本立てでお届けします!

†――――――――――――――†

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