第39話 「早くシたいな……」

 突然遁走した石原は放っておいて俺達は参道を進んだ。

 格式ある神社とだけあって多くの参拝客で賑わっており、参道は先頭が見えないくらいの列で埋め尽くされていた。


「ねぇ、あそこお茶屋さんだって。お参りしたら休憩しましょうよ」


「お団子と抹茶か。美味そう」


「ほんとだ、美味しそう。あとで皆で寄ろうね!」


 そんな雑談を交えながら待つこと三十分、ようやく境内が見えてきた。

 手水舎で手を清め、拝殿へ進み、賽銭を投げ込んで柏手を打つ。




 空李さんが合格できますように……。




 俺の願いはこれだけ……のはずだった。

 だが石原に言われた嫌味がいやに引っかかるせいで余念が生まれた。


 俺の中では空李さんの合格が第一だ。そのことに嘘偽りはない。

 だが先ほど石原になじられたせいで急に自己を省みるようになった。


 不覚だがあいつに小馬鹿にされてひどく悔しかった。

 しかし言い換えれば俺自身が今の自分に納得いってない証拠である。


 ついこの前まで俺には『リコネスのギタリスト』という肩書きがあった。

 ステージの上に立って注目を浴び、ほんのいっときでもヒーローになれる存在。

 ひたすら夢を追い続けている表現者。


 そんな自分が好きだった。

 当然だ。じゃなきゃ来る日も来る日もバンドのために曲を考えたり、指先を痛めて練習したりできない。

 もちろん音楽が好きというのもある。同時に人に注目され、人に認められる自分が好きなのだ。


 では今の自分はどうなのか。


 今の自分は一介の大学生。その辺を歩いている二十歳間近の普通の男。


 うーむ……つまらない。俺の人生それでいいのか?


 大学生といえば社会人になる前段階で自由な時間を手にした身分。夢破れたから失意してただ時間を浪費するのはもったいない。では石原が言うように学問や就職活動に打ち込めば良いが、それは俺らしくない。

 俺からギターを取ったら何も残らない気がする。じゃあやっぱりギターを取るしかない。


 でもギターを取って何をしよう……。

 またバンドを組むか?

 誰と?


 今まで結愛と信彦以外と演奏するなんて考えたことなかったので他の誰かとステージに立っている姿が全くイメージできない。


 改めて思う。

 俺はリコネスが好きだったんだ。

 リコネスのギタリストとしてステージに立ち、オーディエンスから声援を送られる自分が好きだったんだ。


 じゃあ、今の自分は……。


 リコネスのメンバーじゃなくなって、結愛に振られ、ギターを持たなくなった自分は嫌いなのか?


 別に嫌いなわけじゃない。俺は案外自分のことが好きだ。バンドをやめても毎日それなりに楽しいし。


 でもやっぱり何かが足りてない気がする。

 今は空李さんの家庭教師で忙しくしてるおかげで忘れてるけど、欠けたものを埋めるには至らない。


 そう……俺に欠けているものは――


「ちょっと、金吾、いつまでお参りしてるの? 他のお客さんが困ってるじゃない」


 涼子の呆れ声に意識を引き戻される。いつの間にか涼子達はお参りを終えて列から外れていた。残された俺を他の参拝客が怪訝そうに目配せしていた。


「何を熱心にお祈りしてたの?」


 追いついた俺に空李さんが尋ねる。


「えっと、空李さんの合格と……」


「合格と?」


「……み、実りある一年になりますように、的な」


 適当な答えだが気持ちに嘘はない。


 空李さんの受験が終われば今度こそ俺はただの大学生になる。

 そんなの俺らしくない。

 だから春になったら何か始めよう。

 何をするかは全然思い浮かばないけど、じっとしてるのはもったいないぞ。


「そうなんだ。いい一年になりますように。私もね、合格祈願と大学生活が楽しくなるようにってお願いしたの」


「きっと叶いますよ。俺も空李さんとキャンパスを歩くのを楽しみにしてます」


「えへへ、私も楽しみ♪」


 *


 その後、俺達は境内から参道に戻り、お茶屋さんで一服することにした。

 抹茶と名物らしい団子に舌鼓を打ち、正月の思い出なんぞを語って話を弾ませたのだった。


「それじゃあお会計ね。ここは大学生三人で割り勘する感じでよき?」


 伝票を持つ涼子が俺と先輩に尋ねる。


「異議なーし」


「私もそれで結構ですよ」


 すんなり承諾し、話はまとまった。かに思えた。

 だが奢られる立場になった空李さんは恐縮して異を唱える。


「わ、私も払いますよ! お年玉もらってきたから出せますよ!」


「遠慮しなくていいのよ、空李ちゃん。ここは大学生のお兄さんお姉さんにご馳走になっときなさい」


 涼子にスパッと宥められ二の足を踏む空李さん。最年少といえどご馳走になるのは申し訳ないらしい。

 そんな彼女の気が晴れればと思い、俺はこんなことを言った。


「こんな待遇は高校生の間だけですよ。春から大学生になったらきっちり割り勘になるから今のうちに甘えておいた方がいいですよ?」


 高校生と大学生では経済力が違う。だから一人分ご馳走するくらいなら痛くも痒くもない。無論、それはバイトしづらい受験生相手だからという理解ゆえでもある。

 だが大学生になってしまえば対等の間柄なのでご馳走する理由はなくなる。後輩といえどもポンポン奢れないので出してもらえるうちが花だ。


「そ、そう? それじゃあここはご馳走になります」


「素直でよろしい。タダで家庭教師してくれる上にお茶とお団子までご馳走してくれるなんて……空李ちゃんは良い先輩を持ったわねぇ〜」


「自分で良い先輩っていうなよ」


 千円札を渡しながらツッコむ。しかし我ながら人の好いことをしている自覚はあった。ここにいる三人、空李さんのために時間もお金も投げ打ってるのだから。


「えへへ、私幸せです。こんなに良い先輩に囲まれて」


「「空李ちゃん……」」


 うるっときてる涼子と先輩。屈託のない笑顔でこんなこと言われたら俺だって感動しちゃうじゃないか!


「涼子さん、詩乃さん、金吾。大好きです。大学生になって早く皆と割り勘がしたいです!」


「ありがとうございます、空李さん。でも割り勘ってそんなに楽しみにすることじゃないですよ」


 空李さん、やっぱり面白い子。


 茶屋を後にした俺達は参道沿いの土産屋を冷やかしながら元来た道を歩いた。


「アクセサリーショップですって。見ていきましょうよ」


「さんせー!」


 涼子の誘いに二つ返事で乗っかる空李さん。この二人はアクセサリーとか好きそうだな。先輩も興味津々だ。やっぱり女子だな。


 熱心に物色する三人とは対照的に俺はボケっと陳列を流し見る。品物は当然女物ばかりなので俺にはさっぱりだ。結愛とこういうお店を覗いたことは何度もあったが、やはり男の俺には面白くもなんともない。


 なので冷めた心持ちで見ていたのだが、ふと一つのアイテムが目に留まった。

 桜の意匠を施したヘアピンだ。


 俺は衝動的にそれを手に取るとまっすぐレジに向かい、会計を済ませた。


「何、あんた買ったの?」


 不思議そうに涼子が尋ねる。俺に贈る恋人はいないのでそんな顔をするのは当然か。


「うん、空李さんにと思って」


「へ、私!?」


 急に指名されてドキリとする空李さん。


「はい。よろしければこれを」


 ヘアピンを空李さんの手のひらに差し出す。彼女は呆然とそれを見つめ、


「可愛い……」


 と声を漏らした。


「『サクラサク』の願掛けです」


「嬉しい……」


「空李ちゃん、着けてあげましょうか」


 先輩の手によって前髪の位置にヘアピンが留まる。陽光をきらりと反射する桜のワンポイントは空李さんの明るい雰囲気によく似合っていた。


「ど、どうかな? 似合ってる?」


「とてもお似合いですよ」


「えへへ、ありがとう! これ受験本番にも着けていくね!」


 よかった。合格と桜なんてありきたりな組み合わせだが、喜んでもらえたみたいだ。


 大学受験はもう間もなく火蓋が切って落とされる。

 あと二週間ほどで共通試験が、それから一月後には二次試験が実施される。不安に苛まれる二ヶ月間が始まるが、空李さんならきっと大丈夫だろう。


 俺は安堵しつつ、最後まで支える決意を新たにした。


「(くそぅ、小早川め……。今に見てろよ。最後には真面目に勉強してた奴が勝つことを教えてやるからな……)」


「ん?」


 俺はふと参道を振り返る。


「小早川君、どうしたんですか?」


「いえ、今脂っこい視線を感じたのですが……」


 多分気のせいだろう。


†――――――――――――――†

 春からの抱負を抱く金吾、頼もしいお守りを得た空李。

 気持ちを新たに彼らの新しい一年が始まります。


 次回から受験本番のエピソードをお届けします。

 え? 裏切り者がどうなったか知りたい?

 仕方ありませんね。それでは予定を変えて信彦の正月の様子をお届けします!

†――――――――――――――†

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