第38話 「正月からマウント取ってんじゃねぇ!」

 クリスマスを終え、大晦日を越え、迎えたお正月。


 元日の空は雲ひとつない。澄んだ空気を通して見上げる空は青々と晴れ渡り、とても見通しの良い一年を予想させる。なんとも気分の良い正月だ。


 そんな一月一日の午前。俺は北斉市で一番大きくて古い神社に足を運んでいた。参道は参拝客で大変賑わっており、正月ムード全開だ。


 本日はいつもの四人で初詣。今は待ち合わせ中である。


「あれ、小早川じゃね?」


 両手をポケットに突っ込んで寒さを堪えている俺の名を呼ぶ、野太い男の声。

 自然と振り返るとそこには見たこともない男が立っていた。


「やっぱ小早川じゃん。久しぶり」


「……えっと……どちら様?」


 俺の名前を知っているということは初対面じゃない。しかしいかんせん見覚えのない顔だ。


「なんだよー。忘れるとか酷いじゃん。中高で一緒だった石原だよ」


「お、おぉ石原か……久しぶり」


 記憶をたぐり寄せて得心した。

 石原は同じ中学と高校に通っていた同窓生だ。大して仲良しではなかったが同じ中学ということで親近感が湧き、高校生の頃は多少交流を持っていた。

 そんな石原の顔がすぐに思い出せなかった理由は……


「石原、太ったな」


 彼の変貌ぶりだった。記憶の中の石原はひょろっと背の高い青年だったが、目の前にいるのは丸々太った巨漢であった。


「受験勉強のストレスでな」


「あぁ、浪人してたっけ。三十キロくらい増量?」


「残念、五十キロ」


「太り過ぎだろ!?」


 どうりで分からないはずだ。


「今年は合格できそうか?」


「まぁな。模試の判定はA判定だった。今年こそは絶対合格だ」


「今時浪人なんてよくやるぜ。志望校京都大学だろ? お前なら北斉大に余裕で合格できるからとっとと進学しちまえばいいのに」


 石原はいわゆる神童だ。俺のいた高校の生徒の学力はピンキリで、何年かに一回は上澄の連中から最難関大学への合格者が出たりする。

 石原はその一人になるはずだった。しかし結果はあえなく不合格。後期入試も挑戦したが結果は振るわず浪人を選んだ。


「いやだよ、あんなバカが行く大学」


「…………」


 失礼なやつだ、と悪態を吐こうとするが口をつぐむ。


 そういえばこういうやつだっけ。


 石原は頭は良いが性格が悪い。定期試験でいつも一位だったがそれを鼻にかけるので友達が全然いなかったのだ。女子にも平気でマウント取るので当然モテない。

 俺も最初のうちは愛想良くしてたがだんだん嫌気がさして隔たりができた。バンドに打ち込むのを「時間の無駄」とバカにされたりもして辟易したものだ。

 決定的になったのは……あぁ、結愛と付き合い始めたからだ。一方的にそれをひがんで最後は石原の方から話しかけてこなくなったんだ。


「お前もバンドなんかやらずしっかり勉強すればもっといい大学行けたのにな」


「大きなお世話だよ。それに俺は北斉大を気に入ってるんだ。環境良いし、友達も先輩もいるし」


「強がるなよ。本当は志望校下げたんだろ?」


 本当に嫌なやつだな!

 正月からマウント取ってんじゃねぇよ!


「俺はお前のこと認めてたんだぜ? バンドにうつつを抜かさず、学生らしく勉強してればもっと上を目指せたのに」


「大きなお世話だ」


「バンドなんて社会人になるまでのお遊びだろ。頑張ったところでプロになれるわけでもなし。しかも結局んじゃわけないよな」


「だぁ、もう! 正月から嫌味ばっかり垂れて面白くないやつだな……って、ちょっと待て! どうしてお前がそれを知ってる!?」


 俺の背中に冷たいものが走る。今、石原の口から聞きづてならない言葉が聞こえた。


「ん、お前がバンド追い出されたって話か?」


「そうだよ! どうしてお前が知ってるんだ!?」


「どうしてって……風の噂? 予備校に同高オナコーの人がいて、そいつがお仲間の友達らしいぞ。そいつから聞いた」


 ぎゅうっと心臓を冷たい手で鷲掴みにされた。

 結愛か信彦が俺をクビにしたことを言いふらしたらしい。

 俺にとって絶対知られたくない秘密が一人歩きしていると思うとゾッとした。


「ひひ。残念だったな、小早川。音楽にあれだけ打ち込んだのに水の泡。お前の青春は無駄になったわけだ」


「う、うるさい……」


「バンドやめたってことはボーカルの彼女とも別れたんだろ? 一気に二つも不幸が訪れて可哀想だなぁ」


 図星を突かれて俺は奥歯を噛み締めた。


「まぁ、逆に良かったんじゃないかな。バンドと女がなくなったから勉強と就活に打ち込めるってもんだ。田舎から首都圏就職は大変だろうから頑張れよ」


 蛇のように絡みついてくる嫌味のオンパレード。

 高校在学中、石原はずっと俺を僻んでいた。バンドと彼女に夢中になっている俺を。

 当時は何を言われても一蹴できた。打ち込むもののあった俺の耳にこいつが発するノイズは届かなかったのだ。

 だが宝物を失った今の俺には耳をつんざくようだった。


「ま、これからはせいぜい就職活動に向けてガクチカエピソードを培うことだな」


 ワハハ、と石原は大笑いする。その声は嫌に耳障りだ。頬と顎の贅肉がプルプル震える様でさえ目障りであった。


 どうして正月からこんな嫌味を言われないといけないのか。


 俺はどうしようもなく惨めな気持ちになり、今すぐ帰りたい衝動に駆られた。


 だがそこに天使が舞い降りる。


「金吾、あけおめ!」


 どこまでも明るく純粋な声。ハッとなって振り向くと赤を基調とした振袖姿の空李さんがこちらに向かってくるところだった。


「空李さん、あけましておめでとうございます」


「うん、おめでとう金吾! ねぇねぇ、どう? この振袖!」


 空李さんは慣れない草履足でゆったり一回転して晴れ姿を見せてくれた。それだけで俺の心は洗われ、弾んだ気持ちになったのだった。


「とてもお似合いですよ! 和服も似合うんですね!」


「えへへ、良かった。金吾に見せてあげようと思っておばあちゃんに着せてもらったの」


 かんざしの飾りをひょこひょこ揺らしながら喜ぶ空李さん。正月からいいものを見せてくれて俺はもうほっこり気分だ。


 ふと空李さんの視線が隣を向く。


「あれ、そちらの人はお友達?」


 視線の先にいるのは石原だ。そういえばこいつと立ち話してたんだっけ。振袖姿の空李さんに釘付けになって忘れてた。


「一応紹介します。彼は同窓生の石原です。石原、こちらは校倉空李さん」


「こんにちは、空李です! 愛宕女学院に通ってます」


 ぺこりと恭しく挨拶する空李さん。対して石原は、


「い、石原っす……」


 と蚊の羽音のような返事をした。

 素っ気ないな。初対面で緊張しているのか?


「こ、小早川。この人とどういう関係なん?」


「話せば長くなるけど、家庭教師として空李さんの受験を手伝ってるんだ」


「へ、へぇ……家庭教師やってるんだ」


 石原はどこは安堵したように呟く。一体何に動揺しているんだ?


「ちなみにどこの大学受けるん?」


「北斉大を受けます!」


「ふーん」


 尋ねた割に味気ない石原を俺は睨んだ。

 石原にとって北斉大は低レベルだそうだ。こいつが北斉大をどう思おうと勝手だが、受験に燃える空李さんのやる気を削ぐような真似は見過ごせない。だからあらかじめ「余計なこと言うなよ」と釘を刺したのだ。


「まぁ、頑張ってね。俺も浪人してて今年受験だからお互い……ね」


「はい! 石原さんも頑張ってくださいね!」


 それが通じたのか、石原はぶっきらぼうだがエールを送るに留めた。こいつが言うと嫌味にしか聞こえないが、空李さんは喜んでいるのでよしとしよう。


「小早川君、空李ちゃん。あけましておめでとうございます」


 と、そこに美墨先輩がやってきた。


 先輩も振袖姿で、すみれ色ベースの晴れ姿は華やかだが清浄さを醸している。


「先輩、あけましておめでとうございます」


「詩乃さん、おめでとう! 振袖すっごく似合ってるよ!」


「ありがとう、空李ちゃん。空李ちゃんもすごく素敵よ」


 振袖姿で居並ぶ二人から俺は目を離せない。いや、俺だけでなく参拝客は軒並み二人に目を奪われている。

 振袖は目立つが、もともと容姿に優れた二人だからその美しさに釘付けになるのは自然の摂理であった。

 特に先輩は和風美人然とした美貌の持ち主だから和服が似合わないはずがない。


「お、おい、小早川……! あ、あのお方は……」


「ん、あぁ、美墨先輩。同じ学科の二年生だよ」


「なん……だと……。北斉大にはあんな人が……」


 青ざめた顔でワナワナ呟く石原。

 するとそこに……


「金吾、空李ちゃん、美墨先輩、あけましておめでとう」


 私服姿の涼子がやってきた。涼子は到着早々大欠伸をかました。


「涼子、あけおめ。眠そうだな」


「友達と神社で年越し。そこからオールでカラオケして寝ずに来たのよ」


「元気だな!?」


 涼子はまたあくびをして目を擦った。


「あら、そちらの人は?」


 涼子の視線が石原に向く。


「高校の頃同じクラスだった石原だよ。覚えてない?」


「えっと……ご無沙汰してます〜」


 決まり悪そうに愛想笑いする涼子。一、二年生のころ同じクラスだったけど絶対覚えてないやつだ。


「か……神田涼子……」


 対して石原はなぜか青ざめた顔で恐ろしげに名前を呟いた。まるでトラウマでも刺激されたみたいな反応だ。


「お、おい、小早川! お前、バンドやめたんじゃなかったのか!?」


「う、うん、やめたけど」


「じゃあなんでこんな女子に囲まれてるんだよ!?」


 なぜそこに食いついてくるのだ。バンドと関係なくない?


 別に話すのはやぶさかじゃないが、長くなるからどうしたものかな。


 そう思案する俺をよそに、女子グループはキャアキャアとおしゃべりに興じていた。


「詩乃さん、肩に巻いてるストールって金吾のクリスマスプレゼントですよね?」


「そうなんです。着物に合うと思って。おかしくありませんか?」


「すっごく似合ってますよ! ね、金吾もそう思うでしょ?」


「は、はい! よく似合ってますよ、先輩!」


 俺は見て思ったままを答える。

 先輩が肩に巻いているストールはクリスマスにデパートで購入してプレゼントしたものだ。すみれの色と模様が先輩に合っていると思い即決した。


「使ってくれてありがとうございます」


「いえ、こちらこそ素敵なプレゼントをありがとうございます。そういえば涼子さんのマフラーも小早川君からのプレゼントですよね」


「ん。使ってあげないと可哀想なので」


「温情かよ」


「冗談よ。温かくて気に入ってる。ありがとうね」


 涼子が首に巻いているマフラーも俺のプレゼントだ。爽やかでクールな藍色は涼子っぽいのでよく似合っている。


「むー。二人ばっかりずるい。ねぇ、金吾、ほらほら!」


 と、むくれた空李さんは両手を掲げて俺に見せつける。その手には桜色のミトンが収まっている。これも俺のプレゼントである。


「空李さんもよく似合ってますよ。使ってくれてありがとうございます」


「えへへ、着物にも合うと思って着けてきたの。プレゼントしてくれてありがとう!」


 上機嫌にぴょこぴょこ跳ねる空李さん。うさぎみたいで可愛い。


「私達、金吾からプレゼントでお揃いだね!」


「お揃い、でしょうか? 色も品も全部違いますが……」


「詩乃さん、細かいことはいいの! 一緒のタイミングでもらったからお揃いでしょ?」


「それもそうですね。お揃いです」


「うん、お揃いの仲良し三姉妹! いえい!」


 三人――もとい三姉妹は何が面白いのか満面の笑みを浮かべてはしゃぐ。

 正月から元気だなぁ。いや、正月だからこそたくさん笑うのが吉か。笑うかどには福来ると言うし、きっと幸せな一年になるだろう。


「三人の女子に……クリスマスプレゼント……!?」


「おぉう、どうした石原? なんか負のオーラが身体から出てるぞ?」


 黒い煙というか、クロカビの胞子が飛び散るみたいで陰気だな。


「石原、正月なんだからもっと明るくいこうぜ」


 とりあえず励ましてやった。受験前でピリピリしているのに浮ついた空気を醸されてしゃくだろうが、正月くらい楽しくいかないと。


「う、うるさい! 俺が必死に勉強している裏で女といちゃつきやがって!」


「いちゃつくなんて変な言い方するなよ。ただだぞ?」


「それをいちゃつくって言うんだよ! 俺が毎日勉強してるのも知らず、お前はバンドと女にうつつを抜かして、それを見せつけやがって! 正月からマウント取ってんじゃねぇ!」


 石原は散々に喚き散らすと憤慨して社と真逆の方へ去ろうとした。


「おい、初詣しないのか?」


「勉強するから帰る!」


 と振り向きもせず帰ってしまった。


「どうしたんだよ、急に怒り出して。俺達何かしたか?」


 全然心当たりがない。空李さんと先輩も怪訝そうに小首を傾げている。


「もしかして私のせいかも」


「え、涼子のせい?」


「うん。今思い出したんだけど、私、彼に告白されたんだったわ」


 え、何それ! 初耳なんですけど!?

 それが原因で居心地悪くなったのか。


 三人とも目をまん丸にして驚く。そして空李さんがすかさず食いついた。


「それでなんて返事したんですか!?」


「普通に『ごめんなさい』って。だって話したことないのにいきなり告ってきたんだもん」


 クールだな。涼子らしいけどせめて名前くらい覚えといてやれよ。


 結局俺達は『石原は受験のストレスと玉砕のトラウマで機嫌を損ねた』と結論づけたのだった。


†――――――――――――――†

 受験生の皆様、お疲れ様です!

 皆さんが必死に勉強している裏で女子三人といちゃつくやつも世の中に入るでしょうが、気にせず頑張ってください!(血の涙)


 レビュー⭐️と応援❤️よろしくお願いします!

†――――――――――――――†

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