第37話 先輩と先生③

 とっぷり陽が沈んでも繁華街の喧騒は鎮まるところを知らない。

 帰路の寄り道をする人や仕事上がりに一杯引っかける人達で日中とは異なる賑わいを見せている。


 俺と先輩はデパートから少し離れた市役所前の広場に足を運んだ。広場ではクリスマスマーケットが開催され、ここもまた賑わっていた。


 俺は先輩に言いつけられて席を確保して待機。その間に先輩が飲み物を買ってきてくれることになっている。


「小早川君、お待たせしました」


 両手に紙コップを持った先輩が真正面に座る。受け取ったカップは温かく、シナモンの混ざった甘酸っぱい香りが立ち込めていた。


「ホットワインですか?」


 クリスマスシーズンのヨーロッパではお馴染みの飲み物。シナモンスティックとオレンジの果汁と一緒に鍋で煮込むので香りが良く、向こうの人達はこれを飲んで暖を取るらしい。


「お酒、飲みたそうにしてたので」


「でも、俺未成年ですよ?」


「姉曰く『彼はとっくに酒の味を覚えている』とのことですがお嫌いですか?」


「なんでバレてるんです!?」


 子供って大人の見えないところでヤンチャするけど、教師だと分かるのかな。


「酒好きの勘だそうです」


 全然違ってた。

 文乃さん、女性なのにすごい飲みっぷりだったな。人は見かけによらないものだ。


「せっかくですから頂きます」


「どうぞ召し上がれ。今度は私のお酒に付き合って頂きますね」


 ようやく肩の力が抜けてホッとしたのか、先輩は熱で溶けてしまいそうな柔らかい笑顔を浮かべる。

 俺を飲みたそうだと言ったが、それはむしろ先輩の方だ。文乃さんがいたから不完全燃焼だったのだな。


 乾杯をしてホットワインを一口含む。芳醇なワインに隠し味のオレンジが効いている。香りは強いがアルコールは飛んでいるので飲みやすく、俺はすぐに気に入った。


「小早川君は最初にお酒を飲んだのはいつですか?」


 白い息と共に漂ってくる問い。俺はバツの悪さを感じて苦笑混じりに答えた。


「ゴールデンウィークの終わり頃です。ライブの打ち上げで共演者の人から勧められて断れず」


 本当は断らないといけないはずだが、お世話になっている手前無碍にできず流されしまった。以来すっかり酒の味を覚えてしまった。


「先輩はちゃんと二十歳になってから飲んだんですか?」


「えぇ、うちは酒好きの家系ですが姉も含めてそこはうるさいので。ですが二十歳になって解禁になると晩酌に付き合わされてますね」


「それは……大変ですね」


 かなりハイペースでワインのボトルを開けた文乃さんの飲みっぷりを思い出す。飲み会で「強い」と評された俺だが、文乃さんは次元違いな気がする。あれに付き合わされるのは肝が悲鳴を上げそうだ。


「それはそうと、小早川君。先ほどはありがとうございました」


「ありがとう、とは?」


 何について礼を言っているのかピンと来ない。むしろ先輩が知らずに後見役になったおかげで俺は家庭教師を続けられるお墨付きがついた。


「だから礼を言うのは俺の方です、先輩。ありがとうございました」


「よ、よしてください……。私にお礼を言われる資格はありません。私は小早川君の推察に乗っかっただけなんですから……」


「えっ、乗っかった?」


「はい。姉に家庭教師を黙っていたのは他ならぬ自分のため。いいえ、そもそも空李ちゃんの家庭教師を買って出たのも元を正せば自分のエゴなんです」


「どういうことですか?」


 言っている意味が分からず俺は混乱した。


 なぜ秘密が自分のためなのだ。謝礼を受け取っているでもないから後ろめたさを感じる必要はない。秘する理由など無いはずだ。


 胸にモヤモヤするものが立ち込め、強い興味をそそられた。


「あまり面白い話ではありませんが、聞いて頂けますか?」


「もちろんです」


 きっとそれを打ち明けたく先輩は俺をここに誘ったのだろう。ならば聞き届けてあげたい。


 先輩はホットワインを一口飲み、意を決して言葉を紡ぎ始めた。イルミネーションで照らされた顔は緊張して強張って見えた。


「小早川君から見て私達姉妹はどう見えましたか?」


「どう見えたか、ですか。『似ているようで案外似てない』と感じました」


「似てない、ですか? それは初めて言われた気がします」


 先輩は目を丸くして驚いた。

 俺はつい苦笑してしまう。


 容姿や話し方は俺でさえ見間違えるくらい似ている。だが並んで見ると差異は所々あるし、中身は別物だ。

 当たり前だ。別人なのだから。


「先輩、お姉さんのことが苦手なんですか?」


 不躾だが俺は感じたままを尋ねた。


「苦手、ですか。正直複雑です。ある意味シスターコンプレックスなのでしょうね」


 複雑コンプレックスか。


「姉は昔からなんでもできる人でした。勉強も得意だし、あれで運動神経も良い方なんです。容姿端麗、文武両道。人柄も良いので友達も多い。姉は愛宕女学院のOGなのですが、そこの生徒会長だったんですよ」


「スーパーウーマンですね」


「そうなんです! 姉さんは凄い人なんです!」


 漫画かラノベのヒロインみたいな人だ。そんなお姉さんを先輩は息巻いて自慢した。自慢するくらいお姉さんのことが好きらしい。


「でも、そんな姉だから周りからはいつも『姉さんを見習って頑張れ』と言われてきたんです。勉強もスポーツも人柄も……」


 一転し先輩の声に静けさが訪れる。逢魔が時を連想させる孤独のうら寂しさが俺を襲った。


「でも私には姉さんの真似はできませんでした。運動音痴だし、人と話すのも苦手で友達も少なかったです。勉強は少しはできましたが大学受験は失敗して一浪する羽目になりましたし……」


「え、先輩って浪人してたんですか?」


「……お恥ずかしながら」


 お酒で紅潮した先輩がますます赤くなる。


 一浪だから年齢にすると二つ上か。まぁ、一つも二つも大差無いので恥ずかしがることないのに。


「本当は滑り止めの私立に合格してましたがどうしても国立に入りたくて」


「それは文乃さんも国立だったから?」


「はい……」


 運動神経や人となりでは敵わない。

 だからせめて得意な勉強で肩を並べようとしたのか。


 それで一浪までする根性には恐れ入る。


 だが今のところ俺の疑問は解消しない。


「先輩が文乃さんに憧れと負けん気があるのはよく分かりました。しかしそれがなぜ空李さんの受験に協力する理由になるのか解せません。教えてもらえますか?」


「それは、姉に勝ちたかったからでしょうね」


「文乃さんに勝つ?」


 うーむ、ますます意味が分からない。

 昔から文乃さんと比べられ、苦い思いをしてきた美墨先輩。そんな彼女がなぜ空李さんを合格させることが勝つことになるのか。

 その理由はすぐに語られる。


「姉は空李ちゃんの北斉大合格は難しいと判断しました。そんな空李さんを私の指導で合格させられれば姉に勝てる気がしたんです。『姉さんにできなかったことを私が成し遂げた』と思えるでしょうから……」


 そこまで言われて得心した。


 妹の自分にできないことを易々とこなす姉。そんな姉が挫折したことを自分が成し遂げ、姉より優れている点があるのだと証明したかったのか。

 理解はするが共感しかねる。だがその気持ちは姉妹で比べ続けられ、劣等感を植え付けられた彼女だからこその気骨なのだろう。


 そんな先輩は自分自身を嘲笑するように悲しげで寂しげな微笑みを浮かべてワインを口に含んだ。


「浅ましいですよね。自分の見栄のために他人の人生に首を突っ込むだなんて。それに空李ちゃん一人を合格させたところで、毎年何人もの生徒を進学させてる姉さんには敵わない。私がやっていることは一人相撲なんです」


 先輩は最後の一口を飲み干すと紙コップをクシャリと握り潰した。


「こんな私に人を指導する資格なんて無いでしょうね。やはり姉さんには敵わないんです……」


 さっきまでやる気満々だったのに一転して弱気になってしまった。劣等感や後ろめたさを語るうちに己の未熟さを悟ったのだろう。お酒で気持ちが緩くなったのも災いした。


 だがそんな先輩を俺はちっとも浅慮な人とは思わなかった。


「先輩は自分が思っているような独りよがりな人じゃありませんよ」


「え?」


 先輩が意表をつかれて声を出す。俯きがちだった顔が持ち上がり、まん丸な目で俺を見つめた。


「動機がどうあれ、空李さんの力になっているのは事実です。苦手科目だった国語をあっという間に克服させたのは先輩の実績ですよ」


「ですから、それは私の見栄のためで――」


「本当にだったんですか?」


 俺はまっすぐ先輩の目を射抜いて問う。


「文乃さんへの対抗心だけであんなに親身に、あんなに一生懸命に指導できませんよ。あんなに熱心なのは先輩の心には紛れもなく空李さんを応援する気持ちがあるからでしょう」


 邪念というのは存外人に透けて見えるもの。先輩が文乃さんへの見栄だけで指導していたら空李さんはきっと心を開いてないはずだ。


「動機なんて些細なことです。大事なのは今の先輩に『空李さんを応援したい』という真心が有ることです」


「真心……」


「はい。なので伺います。空李さん本人のために家庭教師をしていると言えますか?」


 先輩ははっと気づかされたように目を見開く。そして自らの胸で拳を握り、答えた。


「もちろんです! 今の私の一番の願いはあの子とキャンパスで一緒に過ごすことです。北斉大は良い所ですから思い出もできるでしょうし、彼女の将来や自信のためにも合格させてあげたいです」


「その気持ちが聞けて良かったです。やはり先輩は空李さんの家庭教師にぴったりなんですよ」


 人の心は移ろい、形を変えるもの。初志貫徹に反するが決して悪いことじゃない。動機が浅はかでも最後に真心があれば帳消しになる。


 先輩の安堵した顔を見て俺も自然と顔が綻ぶ。

 その時、俺達のスマホが同時に鳴った。怪訝になって確認するとグループLINEに空李さんからメッセージが届いていた。


『(空李)模擬試験の結果、学校で受け取ったよ!』


 そうか、今日だったのか。共通試験前最後の模試は採点と返却が早い。俺も先輩も首を長くして待ち侘びていた。


 その結果を写した画像が届けられる。


『国立北斉大学 A判定』


 俺は目を疑った。幻を見た気がして咄嗟に先輩の顔を窺う。すると彼女も同じようにまん丸な目で俺を見ていた。


「A判定! 空李さん、A判定ですよ、先輩!」


「す、すごいです……。この時期に判定を上げるなんて怒涛の追い上げです!」


 感極まり、俺達は手を握り合って喜んだ。


 見間違いじゃない。空李さん、わずかひと月で結果を出したのだ。


 そういえば文乃さんは『空李さんが学力を伸ばした』と言っていたっけ。ということは俺達の貢献をその目で見たのだろう。それも俺達を信じる理由になったのか。


 先輩は喜びを噛み締めるように唇を引き結んでいる。空李さんの目標達成が現実味を帯びたこと、自分の貢献が実ったことを喜んでいるのだろう。


 彼女が幼少から抱き続けたコンプレックスは余人には理解できない。だから自ら乗り越える他ない。


 俺はその瞬間はもう間もなく訪れる気がしていた。


†――――――――――――――†

 気持ちを新たに家庭教師を続ける詩乃。

 猛勉強の結果を出した空李。

 次回は少し時間が飛んでお正月🎍のエピソードです!

 それが終わればいよいよ受験本番!

 SSも予定しておりますのでそちらもお楽しみに!


 レビュー、応援、フォローお待ちしております!

†――――――――――――――†

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る