第36話 先輩と先生②

 場所は変わってデパート上層階フードコートのイタリアンバル。


 空李さんの家庭教師の件に食らいついたお姉さんから「立ち話もなんだから」と誘われて入店した。

 誘われたと言えば聞こえは良いが有無を言わせぬ静かなる覇気は刑事もかくやで拒否権は無かった。


 お店はクリスマスシーズンだが存外空いていた。店先の通路との壁がなく風通しの良い雰囲気は家族向けな作りなので、クリスマスデートをしたいカップルからは敬遠されるのだろう。


 テーブルに着くとお姉さんはピザと副菜を数品、白ワインをボトルで注文した。


「小早川君は?」


「み、未成年なので……」


 本当はワインに挑戦してみたいが、学校の先生の前で未成年飲酒するのは憚られる。景気良くお酒を飲める空気でもないので遠慮した。


「詩乃は飲むわよね?」


「えっと……」


「飲むわよね?」


「はい……」


 子供をあやすような優しい声なのに絶対に逆らってはいけない圧を感じる。

 これがアルコールハラスメント――略してアルハラってやつ?


 かくして二人分のグラスとワインボトルが配られる。先生は手酌で自分のグラスに注ぎ、続いて先輩の方にも少量を注ぐ。

 前から思ってたけどどうしてワインって少ししか注がないんだろう。


「それじゃあ忘年会ってことにして乾杯しましょうか!」


「はい、乾杯!」


「か、乾杯〜……」


 美墨姉妹はワイングラスを、俺はジンジャーエールの入ったタンブラーを掲げてぶつけ合う。

 お姉さんはコクコクと一気に中身を飲み干し、後味を楽しむように目蓋を伏せた。


「久々に飲んだわ、白ワイン。家だと赤ばっかりだから新鮮ねぇー」


「お姉さんはよくお酒を飲まれるんですか?」


「文乃、で結構ですよ。お酒は………………………………嗜む程度ですよ」


 何すか、今の不自然なは。


「そうなんですか、先輩?」


「えっ?」


 急に話を振られて眉をぴくりと踊らせる先輩。


「そうよね、詩乃?」


「は、はい! 姉さんは家でよくお酒を嗜んでます!」


 お姉さん――もとい文乃さんに念押しされるように問われ、先輩は駆動式のおもちゃみたいに首を縦に振った。

 というか『よく嗜む』なんて日本語初めて聞きましたよ、先輩。


「うふふ、成人してからは私の晩酌によく付き合ってくれてるのよね?」


「(無理矢理飲まされてるだけなんですけど……)」


「詩乃もお酒好きよね?」


「ウン、ダイスキ……」


 言わされてるんですか、先輩?


 なんとなくこの二人の力関係が見えてきた。まぁ、本人達の前であれこれ言わないが、とりあえずいつもたおやかな先輩がたじたじになっているのは面白い。


「さて、と。前置きはこの辺にして本題に入らせてもらおうかしら」


 朗らかだった文乃さんの声に突然重さが生まれる。二人の人間模様を愉快に思いつつ先輩に同情していた俺は空気を読んで苦笑を浮かべていたが、オクターブの下がった文乃さんの声に背中を強張らせた。


「詩乃、校倉さんの家庭教師をしているというのは本当なの?」


 文乃さんの声はあえて声を少し低くしているのだろう。そうやって抜き差しならない状況を先輩に改めて理解させ、包み隠さず話すよう促しているのだ。

 文乃さんの人柄はまだ分からないが、なるほど、教師らしいといえば教師らしい。


 先輩はグラスの表面に反射した自分の顔とにらめっこして口を開かなかった。だが呼吸を二つか三つ置いておずおずと答えた。


「本当よ、姉さん。先月から空李ちゃんの家庭教師として受験勉強を見てあげてるの」


 口を真一文字に引き結び、姉と相対する先輩の瞳は少しの怯えを浮かべつつも強い意志が宿っていた。というより意地になっているみたいだ。


 対して文乃さんは鼻で大きくため息をつき、「やれやれ」とかぶりを振った。


「どうして何も言ってくれなかったの? 校倉さんが私の生徒だって分かったなら一言くらい言ってくれればいいのに」


「言ったら反対したでしょ? 『家庭教師なんか務まるわけない』って」


「そんな言い方しないわ! 大学生が講師のバイトをするくらい普通だから、あなたに無理なんて思わない。私が言ってるのはどうして黙ってたのかってことよ」


 聞き分けのない子供を諭すような文乃さん。そんな彼女は俺の目には良い先生、良いお姉さんに映った。それこそ悩みを抱える人ならすぐに心を開いてしまうくらい。

 だがそんな文乃さんに対して先輩は意固地なくらいに口を閉ざした。


 やはりこの二人、仲が良さそうに見えて余人には読み取れない行間があるのだ。


 気まずい沈黙が訪れる。その瞬間、チラリと先輩と目が合った。

 そしてある疑念が浮かぶ。


 先輩は俺のために黙っていたのか?


 いや、きっとそうだ。先輩が家庭教師を始めるに至った理由は俺に加勢するためだ。加えて先輩が北斉大受験を勧めたという手前もある。

 その経緯を知ると文乃さんは「男子大学生に教え子の女の子を預けて良いのか?」と疑問を抱き、待ったをかけるはずだ。


 先輩はそれを危惧していたのだろう。せっかく空李さんがやる気を出し、力をつけたところに身内が水を刺すのは忍びないからと秘密にしてくれたのかもしれない。代わりに先輩は家庭教師をしつつ空李さんを見守ることにしたのだ。

 うん、我ながら冴えた推理だ。


 だが俺のせいで姉妹の関係に亀裂が入るのは忍びない。先輩の配慮を無碍にするようで申し訳ないが、ここ筋を通して正直に申し出るべきだろう。


「文乃さん、聞いてください! 先輩が黙っていたのは俺のためなんです」


「小早川君のため?」


 黒真珠のような瞳が俺をまっすぐ見つめられ、俺は覚悟を決める。

 俺は筋道を立ててこれまでの経緯を語った。さすがに一晩中介抱してもらったことは「公園で親切にしてもらった」とぼかしたが、他は概ね、バンドのことも含めて包み隠さず打ち明けた。


 文乃さんはグラスに指一本触れることなく「うんうん」と相槌を打ちながら真摯に耳を傾けてくれた。


「きっと先輩は文乃さんに心配かけまいとして黙っていたんです。教え子がどこの馬の骨とも分からない男と付き合いを持ってると不安でしょうから。そうですよね、先輩?」


「へ……? えっと……その……」


「そうなの、詩乃?」


 またしても話題を急に振られて呆気に取られる先輩。

 俺と文乃さんに穴が開くほど見つめられ、パクパクと金魚みたいに口を開閉させた。その末に、


「そ、そうです!」


 緊張した面持ちで肯定してくれた。


 やはりそうだったか。空李さんを思い遣って一人で後見もしてくれていたのだ。なんていい先輩なんだ……。


「そう……そうだったの。確かに知り合って間もない男性と親密になりすぎるのは心配ね。念の為の確認だけど、不純異性交遊は無いのよね?」


「ありません、誓って!」


「その言葉を信じるほかないのでこれ以上申し上げることはありません。気にはなるけど……詩乃がついているなら大丈夫なのよね?」


 言葉通り、一抹の不安を残した表情で先輩に尋ねる。


「もちろんよ。小早川君は元々誠実で礼儀正しい人だから人柄については保証する。空李ちゃんを泣かせるようなことをする人じゃないわ。私や涼子さんもついているし」


「では信じます。あとは家庭教師の方ね。小早川君、お友達として協力してくれることについては担任としてお礼申し上げます。校倉さんがこの時期に志望校を引き上げて心配してたんです。でもやる気はみなぎってますし、学力も上がったので驚いたけどが……なるほど、小早川君のおかげだったんですね」


「おかげだなんて。空李さんのポテンシャルと、神田と先輩の教え方がいいおかげですよ」


「それもあるでしょうね。あと、関わった以上は最後まで責任を持ってください。ロハでしている以上、責任論は筋違いかもしれませんが、受験が人生の分岐点であることはご自身も分かってるはず。家計やキャリアだけでなく、当人の精神をも大きく揺さぶるイベントです。もし途中で投げ出して校倉さんの心を傷つけるようなことをすれば……わたくし、承知しませんからね?」


 今日一番凄みのある声と眼差し。中坊の時に体育の先生にがっつり怒られたことがあるが、ある意味それより怖い。


「もちろんです。俺達は最後まで責任を持ってお世話をするつもりです。だからお姉さん、俺達のことを認めてください!」


 俺は必死になってお姉さんに頭を下げた。その横で先輩は呆気に取られていたようだが、同じようにこうべを垂れた。


「姉さん、私からもお願いします」


 それで俺達の熱意が伝わったのか、お姉さんは鷹揚に俺達を宥めて頭を上げさせた。


「分かりました。最後までよろしくお願いします。詩乃もね」


「姉さん……。私も続けていいの?」


「正直、立場上は複雑だけど個人的な関係にまで口出しはできないわ。その代わり最後まで責任を持ってやりなさい」


 鷹揚に文乃さんは釘を刺し、俺達のことを認めてくれた。

 それが嬉しくて俺と先輩は笑顔を交わしたのだ。


「(あの二人、若そうだけど結婚するのか?)」


「(いや、男の方は責任がどうとか言ってたからデキちゃったんだろ)」


「(ガキが……童貞も守れないやつに何が守れるんだ。社会をみくびるなよ)」


「(受精した……だと!?)」


 他方周囲が少しざわついている。ちょっと騒ぎ過ぎたか。だが俺達にとっては大事にしても過ぎることはない。それくらい空李さんの受験は重大なのだ。


 *


 その後、メインのピザまで食べ終え、プチ忘年会(実質決起会)はお開きになった。


「文乃さん、ごちそうさまでした」


「いいのよ、誘ったのは私の方だもの。お酒に付き合ってくれて楽しかったわ」


「姉さんは飲み過ぎよ。ボトル一人で二本も開けるなんて」


「あら、詩乃だって飲んでたでしょ?」


「実質姉さん一人で飲んでたでしょ?」


「もう。小早川君の前だからって遠慮しちゃって。やっぱり酒好きの女って思われたくないの?」


「だからそうじゃないってば!」


 相変わらず恋バナいじりが展開されてかしましい。あれから二人のピリついたムードは消え去り、元の仲良し姉妹に戻っていた。


「それじゃあ小早川君、私達はここで。成人したら詩乃も入れて飲みましょう」


「お付き合いします」


 別にこの後ハシゴしても構わない。こんな美人姉妹の晩酌にお供できるなんて棚ぼたものだ。だが学校の先生に未成年飲酒を黙認させるのは忍びないのでやはり自重する。


 別れの挨拶を交わし、俺達は別々の方向へ歩き出す。一人で歩くクリスマスロードは少し寂しいが、宴の余韻がそれを拭ってくれた。


「小早川君!」


 そんな俺を呼び止める声。

 振り返ると文乃さんと帰ったはずの美墨先輩が背後に立っていた。


「小早川君。よかったらこれから二人で飲み直しませんか?」


 横髪を耳にかけながら誘う先輩。どこか恥ずかしげに見えたのはアルコールで酔って顔が赤く染まっているせいだろうか?


†――――――――――――――†

 今回は文乃先生との問答回でした。

 優しいお姉さんですが使命感の強い先生でもあるため、空李ちゃんが少し心配なようですね。

 しかし最後は家庭教師を認め、預けてくれることになりました。

 これはますます気を引き締めねばなりません。


 そして次回は先輩と二人きりで……


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†――――――――――――――†

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