第35話 先輩と先生①

 街中にジングルベルが響き渡る。


 デパートのテナントの軒先や看板はサンタやクリスマスツリーが勢揃い。街はクリスマスムード、商店はクリスマス商戦一色。

「イブまであと何日」と子供達が指折り数え始める頃合のこの日、俺はデパートに買い物に来ていた。


 大学の講義を終え、アルバイトの予定も無いこの日を狙ったのはもちろんを買うため。

 目当ての品を婦人服階のブティックで購入した俺は、表が冷え込まないうちに帰ろうとしていた。


「あれは……美墨先輩?」


 エスカレーターに乗ろうとしたちょうどその時、フロアに見覚えのある人影を見つけて足を止める。


 艶々の黒髪と磁器のような白い肌、穏やかな顔立ち。

 目立つ面貌ではないが最近すっかり目に馴染んだ顔のためすぐにピンと来た。

 俺は爪先の向きを変えて先輩に向かって歩き出す。


「美墨先輩、こんにちは」


「え?」


 先輩が驚いたような声を漏らして振り返る。同時に瞼を見開き、黒曜石のような綺麗な瞳で俺をまじまじ見つめた。

 が、俺はそのことをさして気に留めなかった。先輩が手に持っていた紙袋に注目したからだ。


「先輩もお買い物ですか? もしかしてご家族へのプレゼント?」


 手に下げられているのは中価格帯ブランドのショッパー。若年層にはやや渋いアイテムを揃えている所なので、ご両親へのプレゼントと推察。親孝行だな、俺も見習わないと。


「えっと……」


「?」


「どちら様でしょう? 以前お会いしたことがあったでしょうか?」


「へ?」


 眉をハの字の形にして誰何すいかされる。

 すっかり馴染んだと思った顔に意表をつかれ、俺は目を点にして固まった。


 まさか先輩、俺の顔を忘れてしまったのか?

 いやいや、そんなバカな。家庭教師で何度も顔を合わせたし、昨日なんて図書館で先輩の方から声をかけてくれた。

 もしかして昨夜記憶喪失になってしまったのか!?


「えっと……美墨先輩ですよね?」


「はい、確かに私は美墨です。ですが、あなたのようなお若い男性の後輩に覚えはありませんよ?」


 んん!? どういうことだ?

 美墨先輩なのに、俺のことが分からないなんてことあるわけない。

 それに俺のことを若いと言うが年齢は一歳差なはず。


 どうにも話が噛み合わないな。


 そう思い始めた時、俺はようやく彼女の雰囲気に違和感を覚え始めた。


 今、目の前にいる先輩はどこかしっかりした雰囲気がある。

 普段は化粧気がないのに今日はきちんとメイクしているし、服装もフォーマルコーデ。加えて声のトーンはいつもより大きく、張りがあって聞き取りやすい。容姿こそ美墨先輩だが、ゆったりした雰囲気が無く、しっかりものの大人に見えた。


 そこまで認めてようやく理解する。


 この人は美墨先輩じゃない。でも美墨さん。

 ということはこの方は……


「姉さん、お待たせ。あれ、そちらの方は……」


 真横から優しく響く聞き馴染んだ声。顎を引っ張られたみたいに振り向くと今度こそ美墨先輩がそこに立っていた。


「小早川君!? どうして小早川君と姉さんが?」


 俺の顔を見るや息を呑む先輩。幽霊でも見たいような……いや、時期的には家に来たサンタクロースに驚く子供みたいな反応であった。


「あら、詩乃のお友達だったの」


 と、もう一人の美墨さんが得心した。


「姉さん、紹介するわ。こちら、同じ大学の一年生の小早川君。それで、こちらは私の姉です」


 やはりこちらはお姉さんであった。

 そして空李さんの担任の先生。


「初めまして、北斉大学文学部の小早川です。先ほどおは驚かせてしまいすみません」


「とんでもありません。妹と仲良くしてくださってありがとうございます」


 お姉さんはニコニコ朗らかに笑ってお辞儀をした。


「姉の文乃ふみのです。愛宕女学院で国語の教師をしております。今後とも妹のことをよろしくお願いしますね」


「いえ、こちらこそ詩乃さんにはお世話になりっぱなしで……」


 やはり学校の先生とだけあってきっちりしている。だがその規律正しさの中に親しみやすい柔らかさがあって、空李さんが慕う理由がよく分かったのだった。


「先輩、今日はお二人でお買い物ですか?」


「えぇ、二人で両親に贈るクリスマスプレゼントを買いに」


「親孝行ですね」


 もちろん先輩だけでなくお姉さんも。


「ところで、二人はどういう関係なのかしら?」


「小早川君とは十月のプレゼミで知り合ったの。その後も縁があって付き合いを持ってるのよ」


「ふーん、縁、ねぇ……」


 お姉さんは「ふふ」と小さく笑み、どこかイタズラっぽい視線を美墨先輩に向ける。すると先輩は天敵が現れた小動物みたいに少し怯えた顔で身構える。


「本当にただの後輩なのかしら?」


 おやおや、お姉さんどうしたのでしょう?

 さっきまで理知的で大人の女性な雰囲気だったのに、急に子供っぽくなったぞ?


「ね、姉さん、何を言っているの? さっきも言ったけど、小早川君はプレゼミの後輩なのよ」


「あら、そうだったわね。でも一ヶ月限りのプレゼミの関係にしては随分仲が良さそうじゃない」


「いや……それは……その……」


 俺との仲に言及され、オロオロ視線を彷徨わせる先輩。俺の顔をチラチラと窺い、何かを伝えたげに唇を蠢動させるが、言葉らしい言葉は出てこない。


「ふふ、そんなに照れることないじゃない。せっかく共学校に行ったんだもの。読書や勉強ばっかりじゃなくて、男の子と触れ合うのも楽しいでしょ?」


「ちょっと、姉さん! 小早川君はそういうのじゃないってば!」


 必死な様子で否定する美墨先輩。耳まで真っ赤にして感情をむき出しにするのは先輩にしては珍しい。普段は淑やかな先輩がお姉さんに手玉に取られているのは面白いし、ちょっと可愛い。


 それはともかく、先輩方は先ほどから何の話をしているのかな?


 お姉さんは子供っぽく夢中な様子であることにご執心。それを先輩は慌てて否定する。

 キーワードは『男の子』『触れ合い』……。


 ははーん、なるほど、もう分かったぞ!

 お姉さんは妹が後輩男子に恋愛感情を抱いていると勘違いしているのか。

 少人数制のゼミで知り合った男女が親しげにしていれば恋愛感情が生まれるのは自然なことだ。涼子から聞いたがゼミがきっかけで付き合い始めた先輩は結構いるらしいし。


 だがそれは無いと断言できる。俺と美墨先輩はあくまで大学の先輩後輩の間柄で、キャンパスではそれ以上の絡みは無い。もちろん大学構外での関係はあるがそれはそれ。恋愛関係に発展する要素は皆無だ。

 そもそも先輩は男性嫌いな性分だというではないか。俺とはつつがなくコミュニケーションが取れているが、それは俺が先輩を異性として見ないよう常々意識しているからだ。


 俺はこういう色恋沙汰には結構なのでお姉さんの推察の理由はよく分かる。だがこと俺と美墨先輩に関しては大外れだ。


「先輩のおっしゃる通りですよ。自分達はあくまでゼミでの間柄です。来年は同じゼミに配属希望を出すので、きっとお世話になることでしょうからこうして気を配って頂いてるんです」


「あら、そうなの? 結構お似合いだと思ったんだけどね?」


「もう、姉さんったら!」


 お姉さんのお世辞にすかさず噛み付く先輩。男性嫌いとあって恋愛経験もないだろうからこういう冗談にも過敏に反応してしまうのか。

 しかしそういう冗談は俺としても困る。同じゼミを希望するので変に気まずくなるのはごめん被る。

 姉妹だから妹御の性格は把握しているだろうに、もう少し気を配ってほしいものだ。それとも身内だから遠慮がないのだろうか?


「お似合いだなんて恐縮ですよ。先輩みたいに理知的な女性は自分にはもったいないです」


「そんなことないと思うわよ? 詩乃には小早川君みたいな優しそうな男の子についてあげてほしいものよ」


「は、はぁ……」


 冗談やお世辞にしては随分熱心だな。それとも二十歳になっても彼氏を紹介してこない妹の恋愛事情を本気で心配しているとか?


「先輩にはきっと自分なんかより素晴らしい人がきっと現れますよ。先輩は俺と一緒に空李さんの家庭教師を買って出てくれたような優しい方ですから」


「空李さん?」


 さっきまでニコニコしていたお姉さんの表情が怪訝そうに曇る。

 そういえばまだ空李さんの家庭教師をやっていることを申し出てなかったな。元々お姉さんの教え子であるわけだからそれについてもきちんと報告するのが筋か。


「申し遅れましたが、先輩と一緒に校倉あぜくら空李さんの家庭教師をさせて頂いております。と言っても講師のバイトではなく週末に勉強を見ているという程度にしかなってませんが……」


 きっと本職の教師からすると俺のやっていることはおままごとだ。それが気恥ずかしくて謙遜気味に言ってしまった。


 だがお姉さんが注目したのはそこではなかった。


「校倉さんの家庭教師をしているってどういうことなの、詩乃?」


 眉間に皺を寄せ、まなじりを釣り上げて鋭い視線で妹を射抜く。似たもの姉妹で柔らかい顔立ちなのだが、やはり教師らしい威厳と迫力がその面貌には備わっている。


「ひ……」


 そんな顔で睨まれた先輩はか細い悲鳴を漏らし、肩を縮こまらせていた。


†――――――――――――――†

 ついに金吾の前にも姿を現した文乃先生!

 圧倒的美貌とお茶目な恋バナにドギマギしたと思いきや、

 怪しい雲行き……


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