SS (詩乃side)美墨姉妹の大晦日

 ごーん……ごーん……


 どこかにあるお寺から除夜の鐘が鳴り響く。

 今宵は大晦日。一年の終わりを秒読みするかの如き除夜の鐘が煩悩を一つずつ消し去る、今年最後の夜である。


「詩乃〜、熱燗おかわり〜」


 だが実家のリビングには煩悩まみれの虎が一頭、こたつで丸まっていた。


「姉さん、これで五合目よ。明日の分のお酒がなくなっちゃうじゃない」


 一緒のこたつに入っていた私は呆れ果てた。


 私は実家暮らしだが姉の文乃は市内で一人暮らししている。だが年末ということでプチ帰省してダラダラしているのであった。


「それに脂っこいおつまみばっかり食べてたら太るわよ?」


「えー、詩乃の意地悪ぅー。大晦日くらい美味しいおつまみとお酒で優勝させてちょうだいよー」


「姉さん、定期的に帰って私に酒と肴の準備させといてよく言うわ」


「酒によって覚えてません!」


 ドヤ顔で言わないで。


「はぁ、学校の先生がこんなんで良いのかしら? お酒飲んで、ダラダラしてるところ見られたら生徒に示しがつかないんじゃない?」


「それはそれ、これはこれ。教師にだってプライベートはあります」


 断固として抗議する姉。


 だが一理ある。教師だから四六時中模範人間でなければならない法は無い。むしろ一人の人なのだから息抜きしないとストレスを溜め込む一方だ。年末年始くらい気持ちを緩めないと続かない。


「それに、今年は三年生の担任だから一層疲れるわ……。受験指導、事務処理、保護者への説明。子ども達はひっきりなしに質問してきて休まる暇もない。この前なんて夢の中でも授業してたわ……」


 よよよ、とこたつの天板に崩れ落ちる姉。

 教師は多忙だ。授業だけでなく部活の指導も仕事の内なので休まる暇もない。それは姉の働きぶりを知っているからなんとなく察していた。


 だが最近ではより一層姉の多忙ぶりを思い知った気がする。理由は空李ちゃんの家庭教師を始めたためだ。


 人に教えることがこれほど難しいとは思ってもみなかった。

 レクチャーをするにあたり、問題集で受験の勘を取り戻したとこまでは良かった。だがいざ空李ちゃんに指導するとなると上手く伝えられず、もどかしい思いを幾度となく味わった。姉さんはそれを毎日、しかも何十人もの生徒を相手にしているのだ。


「本当にお疲れ様、姉さん」


 私の想像を絶する苦労を積み重ねる姉には頭が上らない。でも姉さんが頑張ってるのだから私がへこたれちゃダメだ。


 空李ちゃんの学力はぐんぐん上昇して、合格の確度も比例して上がっている。

 もう一踏ん張りだ。私がもう一踏ん張りすれば空李ちゃんは合格できるし、こんな私でも姉さんと肩を並べられる気がする。

 それまでの辛抱だ。


「詩乃もありがとうね。校倉さん、詩乃達のおかげで学力もやる気も上々よ」


 まるで私の心を見透かしたようなタイミング。素直に喜べば良いものを、私は驚いて妙な照れ笑いを浮かべることしかできなかった。

 やっぱり姉さんには敵わないのかな……。


「ところで、あれから小早川君とはどうなの? ちょっとは進展あった?」


「……何で彼の話題になるのかしら?」


 赤ら顔に不適な笑みが浮かび上がる。あ、これ面倒臭いやつだ。


「えー、だってー、詩乃が男の子と仲良くするなんて今まで無かったでしょ? お母さんもおばあちゃんも、『そろそろ彼氏くらい作ればいいのに』って心配してるのよ?」


「ぐぬぬ……大きなお世話よ。小早川君は来年同じゼミに配属予定の後輩で、家庭教師仲間なの。恋愛対象とかじゃないから」


「そう言う割には彼からのクリスマスプレゼント、大事そうに身に付けてるじゃない」


 追求を緩めない姉。彼女が指摘するプレゼントとは今まさに私が肩に巻いている薄藤色のストールだ。

 私はまずいものを見られたみたいにワタワタしてしまう。


「ち、ちが……。これはただ寒いから巻いてるだけよ!」


「暖房十分効いてるけど?」


「私は寒がりなの!」


「あら、初耳。二十年あなたのお姉さんしてるけど知らないことがまだまだあるのね」


 ぐぬぬ……。ああ言えばこう言う。酔っ払った姉さんは意地悪だ。毎度毎度私のことを揶揄ってくるが、何も大晦日まで絡んでくることないのに。しかも小早川君をネタにするなんて……。


「ここだけの話、どうなの? 少しは好意があるんでしょ?」


「好意はあるけど、あくまで良い後輩ってだけよ」


「もう意固地なんだから。ただの後輩がくれたプレゼントにしては随分大事にしてるじゃない」


「頂き物だから大事に扱うのは当然です。それに寒いから身に付けてるだけなの」


「じゃあ私の半纏はんてんと交換する? こっちの方があったかいわよ?」


「酒臭くなるからイヤ」


 巧みな誘導尋問をかわす。どこで揚げ足取られるか分からないからピリピリしてきた。大晦日ってもっと団欒を楽しむものじゃなかったっけ?


「本当に素直じゃないわねぇ。クリスマス前の晩、『寄り道する』とか言って別行動したけど、本当は小早川君と会ってたんでしょ?」


「な、なんのことやら……」


「いったい何を話してたの?」


 ずいずい、と詰め寄ってくる姉さん。うぅ、お酒臭い。


 あの夜は、そう、私がなぜ空李ちゃんの家庭教師を買って出たのかを彼に話したのだ。

 その理由は『姉さんに勝ちたいから』。姉さんが断念した『空李ちゃんの北斉大学進学』という課題を私が達成すれば、少しは姉さんと肩を並べられるという身勝手な願望を打ち明けたのだ。


「姉さんには関係ない話よ」


 それを正直に話すのは憚られる。知ればきっと悲しむだろう。いや、もしかしたら怒るかも。

 だからこれだけは絶対に秘密だ。


 しかし秘密にされた当人はそのこと自体は気に留めていない。


「ふーん、やっぱり彼と会ってたのね」


「あ……」


 語るに落ちる。はからずも小早川君と会ってたことを白状してしまった。

 かぁーっと顔が熱くなる。最悪だ。姉に嘘をついて後輩の男の子と会ってたなんて密会だ。それを知られるなんて……。


「ふふ、照れることないのに。ねぇ、詩乃にとって小早川君ってどんな男の子なの?」


「だ、だからゼミの後輩であって――」


「そうじゃなくて、人としての彼よ。立場とかじゃなく、あなたの目に映る彼個人の印象を聞いてみたいわ」


 手の甲に顎を置いて私を真っ直ぐに見つめる。その微笑みは昔から何一つ変わらない。私の心に寄り添おうとする優しい姉であった。


 小早川君個人の印象……。あまり深く考えたことはない。本当に私にとって彼はゼミの後輩で、そして期せず家庭教師仲間になった男の子。本当にされだけだ。


 だが今にしてふと思う。そんな青年になぜ「姉に勝ちたい」などと本心を打ち明けたのだろう。


 今まで誰にも明かしたことのない、心の奥底の一番デリケートな部分を……。


「小早川君、私は素敵だと思うけどなぁ。優しいし、誠実そうだし、何より真面目な人でしょ?」


「そうね……彼は良い人よ」


 姉に言われて少し納得した。


 彼なら自分の邪な動機を受け入れてくれると期待していたのかもしれない。

 あるいは「自分のファンだから」という理由で空李ちゃんの受験勉強に付き合う誠意と信念の持ち主の彼に認められたかったのだろうか?


 考えても納得のいく理由は見当たらない。


 その答えはきっと私一人では見つけられない。


 もっともっと彼を知り、彼に私を知ってもらって初めて読み解けるのだろう。


「来年が楽しみ……」


 口から自然と気持ちが漏れ出していた。来年度からはゼミで関わる機会が増えるだろう。だからきっとその答えが見えてくるはずだ。


「いのち短し恋せよ少女おとめ。今という時間を楽しんでね、詩乃」


「恋がしたいわけじゃないけど……ありがとう、姉さん」


 小早川君とどうなりたいのか、それは自分でもよく分からない。でも人付き合いの苦手な私でも彼となら良い関係を持てる気がして、つい微笑んでしまうのだった。


「ところで姉さん。姉さんの方こそ恋愛はどうなの? そろそろケッコ――」


「さーて、そろそろ年越しね! 新年迎えるまで飲み続けるわヨォ!」


†――――――――――――――†

 今回は詩乃が主役のSSでした。

 ギクシャクしているようで、それでもやっぱり仲の良い姉妹な二人の恋バナでした。


 次回は豪華なイラストを用意しております!

 お楽しみに!

†――――――――――――――†

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