第33話 真実か挑戦か②

「金吾、キスして」


 静謐とした早朝の空気が少しずつ慌ただしくなる潮目の時。

 部屋の外から聞こえてくる小学生の甲高い笑い声に空李さんの細い吐息が混ざる。


 彼女は恥ずかしげに視線を彷徨わせた後、横髪を掬って耳に引っ掛けると、どこか強い意志を湛えた瞳で俺を見据えた。


「キス……ですか?」


 自分の耳を疑い、俺は無意識に問い返す。

 俺のファンだからといって、俺が推しだからといって、そんな命令をするものだろうか。


「うん、金吾の挑戦は私にキスすることです」


 ふふん、と挑発的に鼻を鳴らす。

 聞き間違いではなかった。

 空李さんは俺に口付けを……キスを命じた。


 キス、口付け、口吸い。好意を持ち合う者同士がする愛情表現。


 それは俺のことが好きだから……?


「さぁさぁ! 私にキスしてごらん!」


 散歩に行きたがる犬のような元気いっぱいの瞳。


 うん、多分違う。完全にノリで言ってるな、この感じ。

 もしくはファンが応援するタレントと握手やハグをしたがるのと同じで舞い上がってるのだ。差し詰め握手会で舞い上がってる熱烈なファンと言ったところ。


 まぁ、パーティゲームだしこういう命令が出てくるのはある種のお約束か。


 とまぁ、上辺だけを観察するとそう推察するだろう。だが俺には読めている。


 俺がヘタレて拒否し、譲歩する代わりに『真実』を引き出そうという魂胆ですね、空李さん。

 その手には乗りませんよ。


「いいですよ。キスしましょうか」


「ふぇ?」


 俺は身を乗り出し、手を差し伸べて彼女の顎に指を添える。小さな顎の肌はスベスベして少しひんやりしていた。


 顎を持ち上げると空李さんはされるがままで俺を見上げる格好にされる。その瞳は呆然と見開かれ、俺の双眸をまじまじと見つめていた。


「き、キスするの……!?」


 空李さんの上擦った声。

 予想を裏切られて戸惑っているのが丸わかりだ。


「はい。挑戦は、拒んではいけないんですよね?」


「う、うん……」


「それじゃあ、断れませんね。念の為尋ねますが、空李さん、ファーストキスは?」


「ま、まだしてない。男の子と付き合ったことないし……」


 それじゃあ俺が初めての相手になるのか。


 空李さんは微かに震えていた。声も、身体も小刻みに。

 まだ何ものにも染まってない純真無垢な少女。男を知らないその身体に俺は触れているのだ。

 そんな空李さんは軽はずみな気持ちでキスを命じたのだろう。俺が動揺して断るとたかを括っていただろうし、予想が外れても俺とならしても良いと安直な気持ちを抱いていたのだろう。

 だがいざ唇を奪われるとなり怖くなったのか、震えは抑えられず、潤んだ瞳は湖面のように揺らめいていた。


「目、閉じて」


「っ――」


 唸るような低い声で俺が囁くと空李さんの瞳がギュッと固く閉ざされる。注射の痛みに耐える準備をする子供のような必死な顔。


 ちょっと面白いし、可愛い。

 でも少しだけ可哀想。


 そんな空李さんに、俺は自らの唇を押し当てた。……………………おでこに。


「へ?」


 間の抜けた空李さんの声。

 何が起こったか分からないと聞きたげな表情で、ゆっくり額に触れた。

 やや間を置いて自分の身に何が起こったのかを悟ると少し安堵したように頬を緩ませた。


「はい、これでミッションコンプリートですね」


「う、うん。コンプリート……」


 空李さんはおずおず呟きながら額を指でさすっている。


 唇にキスされると思っていたのだろう。だがあんな怯えた顔の唇を奪うのは気が咎める。初めてを怖い記憶にするのは空李さんのロックスターの沽券に関わるというものだ。


「ファーストキスは恋人にあげてくださいね」


 その方が思い出になる。実を結ぼうが、俺のように破局しようが、初めては自らの意思でした方が良い。


 空李さんはかぁっと顔を赤くして俯いてしまう。


「うぅ……金吾、ずるいよぉ。私ばっかり恥ずかしいじゃん」


 俺に無理難題を吹っ掛けたつもりが、逆にまんまと手玉に取られて羞恥に襲われている。恥ずかしい挑戦をさせられたのはむしろ空李さんの方だった。


「金吾、もう少し動揺すると思ったのに……」


「あいにくと俺はそこまで子供じゃないので」


「それって恋人とキスしたことあるからだよね……」


「ノーコメント」


 紅茶を啜って誤魔化す。恋人との――結愛との思い出を話すのはまだ早い。そういうのは酒の肴に取っておいた方が面白いだろう。


 だが空李さんは納得していない。不服げに俺を睨むとテーブルに置いていたコインを掴み、また指で弾いた。


「私は表」


「…………裏で」


 話すつもりは無いがどうやら空李さんは意地でも聞き出したいらしい。ゲームで俺に真実を話させるつもりなようだ。


 コインの出た面は……表。


「また俺の負けですか!?」


「ふふん、私の勝ちだね! じゃあ、金吾に質問! ズバリ、ファーストキスの場所とお相手は?」


「まだ『真実』を選ぶとは決めてませんが?」


 せっかちだなぁ。


「じゃあ『挑戦』にする?」


「挑戦にします」


 今度こそ歌かな?


「それじゃあ金吾へのお題。『ファーストキスの思い出を語る』、どうぞ」


「ずっちぃよ!?」


 そんな奇襲作戦あり!?


 だが挑戦を選んで出題があった以上拒むのはルール違反だ。それに『真実』を選ぶのとは違い、ぼかしや脚色は許されるはず。『包み隠さず』との条件は無いし。


 ちょっと恥ずかしいけど、俺が大人なところを見せる良い機会と思って語るか。


 なんやかんやで楽しんでいる俺であった。


「あれは高校二年生の秋、今より少しだけ暖かい時期の朝でした。当時付き合ってた女の子と偶然乗ったバスが同じになって、二人で並んで座ってたんです」


「うんうん、それで?」


 空李さんは目を爛々と輝かせて続きをせがむ。本当に女の子は恋バナが好きだな。


「それで、彼女が突然こう言ったんです。『今日学校サボらない?』って」


 学校最寄りのバス停で生徒達が降りるのを尻目に結愛がイタズラっぽく囁いた。

 俺はサボりに罪悪感を感じつつ、結愛とのアバンチュールに心を躍らせてそのままバスに乗り続けた。


「来たことのない終点は海辺で、俺達は波打ち際をのんびり散歩したり、裸足になって冷たい海に足をつけたりして遊んで……」


「遊んで?」


 二人で学校をサボったあの朝の光景が鮮明に蘇る。

 秋晴れの爽やかな朝、誰もいない浜辺を潮風を浴びながら二人で手を繋いで散歩した。

 まるで滅んだ後の世界に取り残されたみたいに寂しげな光景だったのに、まったく孤独を感じさせない。

 恋は素晴らしいと本気で感じた瞬間だった。


 なんだが耳の辺りがむずむずする。口が勝手にもごもご蠢動し、目元もついニヤけてしまった。


 いつまで経っても黙ってるわけにはいかないので、俺は意を決してクライマックスを語る。


「水平線をぼんやり眺めながら休憩してたら、隣のと偶然目が合って、それでキスを……」


 うわぁ、言っちゃった!

 めっちゃ恥ずかしいんだけど!?

 こんな話、涼子にもしたことないのに!


 普段惚気話とか絶対しないからこんなに恥ずかしいとは知らなかった。


 でも話してみると案外悪い気分じゃない。

 結愛とはあんな形で破局したが、どうやら俺は心底あの子を憎みきれてないらしい。

 

 もちろん、結愛と今更やり直したいなんて気持ちはさらさらない。ただ、辛い別れになったとしても初恋の清さと甘酸っぱさは嘘ではないのだ。


 と、センチメンタルな金吾であった、ちゃんちゃん。


「これが俺の甘酸っぱい思い出です。お粗末様でした」


 さて、空李さんはどんな顔してるかな?

 甘い思い出に共感してニコニコしてるか、それとも聞いてて照れちゃったか。


 だがその予想はどちらも外れた。

 空李さんはポカンと呆けて口を開け、まん丸に見開いた双眸で俺を穴が開くほどに見つめていた。


「金吾のガールフレンドって結愛だったの……?」


 わなわなと唇を震えさせる空李さん。

 俺は自分が口を滑らせたことに無自覚であった。


†――――――――――――――†

 調子に乗って昔語りをするとつい口が軽くなりますよね?

 リコネス脱退の真相を知ることになる空李。

 その反応は……


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†――――――――――――――†

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