第26話 涼子とラブホテル①

 十二月になった。


 凍える季節になったことで外に出るには上着を羽織り、部屋では暖房をつける日々が始まる。


 そんな師走最初の日曜日の今日、家庭教師はお休みだ。空李さんが模擬試験受けるためである。

 代わりに俺は涼子に頼まれ、バイト先のレストランでウェイターの仕事を手伝うことになった。


 レストラン業界は早くもクリスマスシーズンに突入し、人手が不足しているらしい。

 バンドを辞めさせられた俺はできるだけ受験指導の勉強に時間を割いていたが、さすがにそればかりだと息がつまる。

 涼子にそんな愚痴をこぼしたら


「じゃあ息抜きにウチでバイトしない?」


 と誘われたのだった。


 そんなわけで俺は入学式以来履いていない革靴と支給された制服に袖を通し、レストランのフロアを優雅に、でも忙しく駆けずり回っていた。


「二番テーブルにメイン持ってって!」


「四番様おかえりです! 片付けして!」


 厨房やフロアのマネジャーから指示がひっきりなしに飛んでくる。

 ウェイターの仕事はファミレスでのバイト経験があるため慣れている。しかしテーブルは常に満席なため仕事はひっきりなしだ。


「金吾、六番様にウェルカムドリンク。あと一番様がウェルカム溢しちゃったから代わりのグラス持っていってあげて」


「了解」


 ヘルプの俺は基本的に涼子かベテランのウェイターからフォローを受けつつ動き回る。おかげで仕事はつつがなくこなせたのだった。


 *


「はぁ〜、疲れた〜」


 二十三時。お店の営業が終了し、フロア清掃の手を止めて俺は大きくため息をついた。


「ふふ、小早川君、お疲れ様。もう少しで上がりだから頑張ろうね」


「はい」


 苦笑混じりに俺は返事をしてモップを握る腕を再度動かし始めた。


「氷室さん、クリスマスシーズンって毎年忙しいんですか?」


 話し相手になってくれているのはベテランフロアスタッフの氷室ひむろ冴菜さなさん。黒髪ショートとシャープな輪郭の美貌が眩しく、涼子に負けず劣らずな美女。彼女は同じ大学の四年生で、涼子と仲が良い。ヘルプの俺の面倒を見てくれたのもあり、早々に打ち解けた。


「忙しいわね。特に今年みたいにイブが平日だとね」


「早めのクリスマスデートですか。心なしかギクシャクしてるカップルも多かったような」


「鋭い! クリスマス前に慌てて付き合い始めるって人達多いからね」


 日本のクリスマスは恋人がデートをする日。恋人同士でムードある夜を過ごすものという風潮がある。

 人肌恋しい寒さやイルミネーションが恋愛ムードを醸成するのだろう。


「だからってとりあえずで付き合うのは考えものですがね。年明けたらすぐ別れそうですし」


「分かるー。私の友達も去年その口だったから」


「なんで付き合ったんですか?」


「寂しかったからだって」


 なるほど。やはり木枯らしは人の心を孤独にするのか。

 かくいう俺もこの頃、ふとした拍子に寂しさを感じることが増えた。


「小早川君は今年は一人なの?」


「えぇ、先月別れまして……」


 正確には浮気されたのだが。


 早いもので結愛を寝取られ、リコネスを追い出されて一ヶ月が過ぎた。

 その後空李さんの受験勉強に協力する賑やかな日々が訪れたことで楽しい日々を過ごせているが、不意にリコネス時代を思い出してモヤモヤした気分になることがある。


「あらあら、クリスマス前に災難ね」


「思い出すのも忌々しいですよ。だから嫌なこと忘れるための勤労です」


「あらぁ……。ずいぶんひどい破局を迎えたのね」


 街はクリスマス一色、周りはカップルだらけ。一方の俺はそうそう新しいカノジョができるはずもなく、家庭教師なんぞをやっているのが現実だ。

 無論、カテキョーは好きでやっていることだが、やはりクリスマスムードに虚しさを感じずにはいられない。


 本当なら結愛と連日連夜クリスマスムードだったはずだったのに……。

 アドベントカレンダーで指折りクリスマスまでの日々を過ごすはずだったのに……。

 全部あの腐れ外道の信彦のせいだ。今頃東京で楽しくやってると思うと虫唾が走る。そして嫉妬する自分が虚しい。


 涼子からヘルプを引き受けた理由の一つはそんな空虚感を紛らわせるためでもあった。


 しかし結果としてカップルのおもてなしをしているのだから皮肉である。


「でも小早川君には涼子ちゃんがいるじゃない」


「……はい?」


 突拍子のない氷室さんの言葉にはさすがに手を止める。

 なぜそこで涼子が出てくるのだ?


「高校時代からの友達で、プライベートでも付き合いがあるんでしょ? 涼子ちゃんも今はフリーみたいだし、誘ってみたら?」


「寂しい者同士で聖夜を乗り越えろと?」


「新しい関係が芽生えるかもよ?」


 氷室さんは期待と応援を滲ませたようなウキウキ笑顔で煽ってくる。

 その顔は冗談半分、本気半分といったところか。


「ないですよ、今更。ずっと友達してきたのに……」


「ふぅん……。小早川君って男女の友情は信じるタイプ?」


「もちろん」


 即答した。


 確かに涼子といるのは楽しい。あいつとは話が合うし、変に気を遣う必要もないので思う存分語り合える。

 でもそうやって心を開けるのは俺が涼子を恋愛対象として見ないよう意識していたからだ。

 それは向こうも同じだろう。

 俺にも涼子にも恋人がいた。一方で俺達は友達付き合いを手放さなかった。


 少し間違えば何もかもを失いかねないと分かっていても、関係を断ち切ることはできなかった。

 それくらいに涼子との友情は尊い。涼子との友情は不滅だ。


 例え涼子に恋人がいなかろうと、俺に恋人がいなかろうとだ。


「氷室さんは男友達と築いた友情を崩さずに付き合えそうですね? そういうバランス感覚がありそうですし」


 この人の場合、器用そうだけど愛想が良いからむしろ友情を無自覚に壊すタイプと見た。

 つまり今のは皮肉だ。


「あいにくと男子のお友達っていないのよね。女とばっかり付き合ってるの」


 仕返ししたつもりが上手にかわされた。


「意外です。氷室さんって付き合い良さそうだから異性の友達もいそうなのに。高校の時からですか?」


「私、高校は愛宕だったからむしろ男子と話した経験少ないよ?」


「い、意外です……」


 女子校OGだったのか。男慣れしてる雰囲気あるからてっきり共学かと思っていた。

 いや、『女子校生ゆえに男に免疫がない』というのは偏見か。

 空李さんもそんな性格じゃないし。


「冴菜さん、もうそろそろクロージングです。金吾も早くモップがけ終わらせて」


 人間模様に思いを馳せていると、パントリーから顔を出した涼子に急かされた。俺と氷室さんは慌てて掃除を終わらせる。

 それからマネジャーと閉店のミーティングを済ませて退勤となったのだった。


「金吾、帰りましょう」


 俺と涼子は同じ帰り道。駅は隣同士なので同じ電車に乗る。


「小早川君、次の出勤もよろしくね」


 別れ際に氷室さんに声をかけられる。俺のヘルプはクリスマス当日までの予定だ。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


「あと、涼子ちゃんのこと、ちゃんと送ってあげて。頑張ってね」


 氷室さん、また冗談か本気か分からない応援を……。

 俺と涼子はそんなんじゃないのに。


「冴菜さん、なんのこと言ってるの?」


「さ、さぁ。男らしくお前を守れってことじゃない?」


「ふーん。それじゃあ、私の騎士ナイト様になってね、金吾君?」


 涼子は冗談めかした口調をしながらウィンクをした。

 俺はドギマギしながら乾いた笑い声で曖昧に返事をすることしかできない。


 顔が整っているだけにふと女性らしさを見せられるとつい意識してしまう。

 さっき氷室さんに大見栄きったばかりだというのに……。こいつとの友情を大切にすると決めたのに。


 しかしその後は寄り道することなく俺たちは電車に乗った。

 地方の終電は早い。もたもたしてると帰りそびれる。


「ふわぁ……眠たい。早く帰りたい……」


「着いたら起こすから寝てていいわよ」


「と言って涼子も寝ないでくれよ?」


「起きてるから平気」


「そう。じゃあお言葉に甘えて」


 俺は腕組みして目をつむる。電車がガタゴト揺れ始めるとすぐに眠気が訪れた。

 薄れゆく意識の中、肩に程よい重さと体温の感触が。

 涼子が俺にもたれかかっているのだ。


 まったく、涼子め、お前まで寝たら乗り過ごすだろ。


 そうは思っても涼子の体温気持ちいいな〜。


 起きようにも睡魔に抗えず、俺達は仲良くうたた寝してしまうのだった。


 *


『Z駅ー、Z駅ー。終点ですー』


 はっ!?


 車内アナウンスに起こされ、慌てて車窓を見遣る。


 窓の向こうには見知らぬ夜空が広がっている。


「涼子、起きろ! 寝過ごしたぞ」


「むにゃむにゃ、もう朝?」


「まだ夜中だ。でも知らない駅だぞ」


「ふぇ!?」


 涼子は慌てて飛び起きた。

 そして窓の外をポカンと眺めて事態を把握しようとした。


「とにかく降りるぞ」


「折り返さないと……」


「終電だからもう電車ないぞ」


「げ」


 青ざめた涼子を引っ張り、俺達は改札を抜けた。

 見ず知らずの町はとっくに夜の帳が下りており、睡眠の静寂が支配していた。


「どこか夜明かしできる場所ないかな?」


「どうかしら。二十四時間営業のカラオケ屋かファミレスでもあるといいけど」


 涼子は肩を落としつつスマホで調べ始める。


 しかし望みは薄そうだ。

 終着駅付近はベッドタウンで住宅街が広がっている。

 付近にカラオケボックスの類はなさそうだ。他は個人経営のお店ばかりでもう暖簾を片付けてしまっている。


「どっか屋根のあるところ見つかったか?」


「うーん、あるにはあったわ。朝までいられる場所がね……」


「お、ラッキーじゃん! そこに行こうぜ!」


 もっけの幸い! 寒さで鼻の頭が痒くなり始めていたので俺はせかした。

 だが涼子はなぜか煮え切らない。


「うーん、そこなんだけどちょっと問題が……」


「問題? ここから遠いとか?」


「いや、歩いてすぐよ」


「じゃあいいじゃん」


「……そこ……ルなのよ」


「え、何?」


 もごもご話すのでよく聞こえなかった。

 涼子は決まり悪そうに口をへの字にし、繰り返す。




「そこ、ラブホテルなのよ」




 …………は?


「ラブホテル?」


 聞き間違いと思って俺は聞き直す。しかし聞き間違いではなかった。


「そうよ、ラブホよ。風を凌いで休めるけど……さすがに……ねぇ?」


 涼子は珍しくモジモジと恥じらった。気持ちは俺も同じだ。

 涼子とは健全な関係を保つため、恋愛相談はしてもセクシャルな話題は避けてきた。

 だから彼女とこういう色気のある話にはまずしないため気まずい。

 

「さ、さすがにラブホはどうなんだ……なぁ?」


「そ、そうよね! ラブホはないわよ……ねぇ?」


 なんとも言えない微妙な空気。

 女友達とラブホと連呼するのがこんなに恥ずかしいなんて……。いや、誰とでも恥ずかしいに決まってるが。


 いたたまれず、俺もスマホをいじり始めた時、ひゅうっと木枯らしが吹きつけた。

 風に撫でられた涼子が寒そうにくしゃみをし、両手で二の腕を擦る。今夜はこの冬一番の冷え込みらしい。


 さすがにこの寒さは身体に毒だ。


「他に無いし、行くか」


 腹を括るも、あえてどこにとは言わず打診する。

 涼子はやや思案したが、小さく頷く。


「そうね。いい加減寒いし、足もクタクタだから横になりたい。あんたなら安心できるわ」


 何がどう安心なのか。


 聞いてみたいがそれは野暮か。


『安心』は俺への友情と信頼の表れ。

 ならば友達としていつも通りに振る舞おう。


 俺はこの時誓った。


 だがその誓いを守ることが非常に困難であることを後に思い知らされるのだった。


†――――――――――――†

 恋バナ好きなお姉さん・氷室冴菜さん。

 彼女に約束した『男女の友情』を守れるのか!?

 次回以降、涼子とのムフフなエピソードが展開されます!

 お楽しみに!

 ↓次回の挿絵、先行公開です!

 https://kakuyomu.jp/users/junpei_hojo/news/16817330664653004883


 ちなみに氷室さんは拙著『S弱』の登場人物です!

 本編で活躍の場が少なかったので登場してもらいました!

†――――――――――――†

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