第30話 (裏切者side)お金のために……

「おい、店員! 俺が頼んだのはスタミナ丼だぞ! なんで焼き魚定食が出てくるんだよ!」


 東京のとあるチェーンの定食屋に中年サラリーマンの怒鳴り声が響く。

 お昼の時間帯、忙しいサラリーマンで溢れた店に信彦はいた。


「え、いや、お客さん焼き魚定食を注文しましたよね?」


「してねぇよバカ野郎! 俺は肉食べにここに来たんだぞ!?」


(知るかよ、そんなこと!)


 信彦はにわかに怒りを募らせ、プルプルと拳を握らせた。見ず知らずの客にバカ呼ばわりされたのが癇に障ったのだ。


「とっとと確認してこい!」


「…………」


「なんだ、その態度は? もういい、店長呼べ!」


 また客の怒鳴り声が響く。

 だが信彦はその場に立ち尽くして動かない。この横柄な客の顔面を殴り飛ばしてやりたい怒りを抑えるのに必死だった。


 なぜ客にそこまで高圧的に命じられないといけないのか。客はそんなに偉いのか。

 信彦の心中では怒りと疑念が渦巻いている。


 そこに顔面蒼白の中年女性の店長がやってきた。


「お客様、いかがなさいましたか!?」


「この店員が注文と違うものを持ってきたんです。確認するよう言ったんですけど、詫びの一つもないんですが?」


「大変申し訳ありません! すぐに作り直します!」


「時間無いからこれでいいよ」


「承知しました。お代に差額があるようですが、支払いは結構です。どうぞお召し上がりください」


 平身低頭する店長。


「(原田君、あなたも謝って)」


「……す……せん」


「はぁ……もういいよ。店長さんが優しいからもう怒る気にならないや。でも君ね、そういう態度だと世の中じゃやってけないよ?」


「……っ!?」


 信彦はぎりっと歯噛みした。田舎者の自分をバカにされたと思って屈辱なのだ。


(東京でスーツ着てるやつが偉いのかよ!?)


 信彦にはコンプレックスがある。彼は元々のどかな北斉市よりさらに田舎の出身で、中学生になるタイミングで引っ越した。その時に言葉の訛りをバカにされたのだ。

 以来彼は田舎出身なことにコンプレックスを抱き、都会に憧れていた。

 その憧れた東京に出たばかりに一層コンプレックスを刺激されたのだから皮肉としか言いようがない。


 バックヤードに下がるよう命じられた信彦。少し間を置いて呆れ顔の店長が入ってきた。


「原田君、お客さんにああ言う態度は困るわよ。向こうはうちに来てお金払ってくれてるんだから」


「で、でもあいつが――」


「『あいつ』じゃないでしょ!?」


 店長がピシャリと嗜める。彼女は温厚な性格だが接客マナーには人一倍厳しい。


「仕事覚えるのに時間がかかるのには仕方がないわ。でもね、おもてなしの心は気持ち一つで習得できるものよ。言葉遣いとか作法ではなく、誠意の話よ。大事なのはお客様のためを思うこと」


「す、すみません……。で、でもお客様は確かに焼き魚定食を注文してました! 厨房係の人からあのお客様に持っていくように言われましたし……」


「だとしても、クレームをつけられたらまずはお詫びをするの。それから冷静に確認して対応してください」


 信彦は納得がいかない。白黒ついてないのにまず詫びるというのはガキ大将気質の彼には理解できなかった。


「それからあの方の注文だったけど、だったわよ?」


「え……」


 信彦は全身の毛穴から汗が吹き出すような気がした。

 自分は絶対に間違ってないという確信があったのに、むしろ逆だった。


「で、でも厨房の人が持っていけって……」


「あなたの聞き間違いかもしれない。あるいは、その子が間違ってたのかもね」


「お、俺は聞き間違えてなんか……」


「そこを責めるつもりはないわ。ランチタイムは忙しいから聞き間違い、言い間違いは仕方ないの。でも、持っていく前にきちんと伝票を確認したら結果は違ったと思わない?」


「そ、それは……」


 彼の黒目が縦横無尽に駆け回る。手繰り寄せた記憶では自分は確かに焼き魚定食を持っていくよう命じられたが、その際に伝票は確認していない。信彦の確認漏れが今回のトラブルを引き起こしたと言えなくもなかった。


「忙しいし、入ったばかりで緊張してたんでしょうね。でもね、そういう時こそ落ち着いてよく確認するのが大事なの。小さなミスが積み重なると、いずれ取り返しのつかないミスに繋がるから。何をやる上でも焦りは禁物よ」


 店長は優しい口調で説教を締めくくる。そして彼に昼休みを取るよう言いつけるとバックヤードから退出した。


 一人取り残された信彦は屈辱と羞恥を口の中で噛み殺していた。


 *


「ただいま……」


 定食屋のバイトの後、清掃のバイトもこなした信彦は帰宅した。サラリーマンに怒鳴られ、店長に説教された後に肉体労働もこなし、信彦はヘトヘトだ。


 信彦はクタクタの身体を四畳半の部屋に横たわらせた。築四〇年のボロアパートが彼らの拠点だ。


「おかえりー」


 部屋の隅では結愛は化粧をしていた。これから出勤するため準備に忙しく、振り返りもしない。


「疲れたー。結愛、肩揉んでくれよー」


「もうすぐ出るからそんな暇ない」


 結愛はつれない。


「それと、今月分の家賃を大家さんがもうすぐ取りに来るから信彦の分ちょうだい。家賃は折半でしょ?」


「え、もう!? そんな金無いよ! 結愛、悪いけど出しといてくれ」


「無いってどういうこと!? この前辞めちゃったバイトの給料が振り込まれたって言ってたじゃん!」


 やっと振り返ったと思ったら、結愛は目尻を吊り上げて怒鳴った。昼といい今といい、今日の信彦は怒鳴られてばかりだ。


「い、いや、すぐに辞めちゃったから家賃折半分も無いんだよ。今のバイトはきちんと続けるから貸しといてくれ!」


「ちゃんと返してよね」


 結愛はバッグの財布から諭吉を数枚取り出すと『家賃』とマジックで書いた銀行の封筒にしまった。

 そして不機嫌な顔のまま化粧を終わらせると、ぷりぷりした顔のまま無言で部屋を出ていった。


 上京したての頃、結愛はカフェのバイトを複数掛け持ちしていた。だが東京の生活は思った以上にお金がかかるし、信彦が不甲斐ないので高時給なバイトに変えざるをえなかった。そんなこんなで今はガールズバーのバイトも掛け持ちしている。


 ガールズバーのバイトは日払いなため幾分か生活がしやすい。だが金銭面で結愛に頼る状況になり、そのせいで彼女はだんだん横柄な態度を取るようになっていた。

 信彦としては高圧的な態度が癪に障るが、経済的に依存している弱みや後ろめたさから強く出られず、歯痒い思いをしていた。


(こんなはずじゃなかった……。もっと甘くて楽しい生活を送るはずだったのに……)


 金吾から奪い取った時の甘い恋人ムードはどこへやら……。


「クソ。金がかかるのはお前の飯が不味くて出来合いを食べるしかないからだろ」


 信彦は取り残された部屋で行き場のない不満を吐き出す。だがそれで憂さが晴れるわけではない。


「パチンコでも行くか」


 ストレス解消にはこれが一番だ。


 信彦は自らの財布の中身を確かめる。中には以前のバイト先から振り込まれた金があった。家賃を払えるほどではないが、憂さ晴らしに程よい金額である。


「ストレス解消も大事だよな」


 もっともらしい理由をつけて信彦は遊びに行く支度を始めた。


 昔の彼ならこういう空いた時間はライブの計画やドラムの練習をしていた。

 だが生活に追われ、手頃な娯楽の楽しさを覚えた彼は本分が疎かになっていた。

 結愛もそうだ。不甲斐ないパートナーのために身を粉にして働きつつ、浮いたお金で化粧や服を買い漁ってストレスを解消していた。


 二人とも日々を生き抜くことに必死で楽器に触れる機会はめっきり減った。


 パチンコ屋に足を運んだ信彦はしばらく玉を弾いた。


「うひょお! 今日はついてるぜ! 俺ってもしかしてパチプロの才能あるかも!?」


 思いがけぬ幸運に脳汁をドバドバ出して悦に浸る信彦。結局信彦は八千円を十万円に増やす大勝ちを収めた。


「へへへ、大漁大漁! これで美味いもの食って、東京のお姉ちゃんと遊んでくか!」


 財布をパンパンに膨らませた信彦は軽い足取りで夜の街へ向かった。


 古来より『悪銭身につかず』という諺がある。その言葉通り、信彦は一人で焼肉を貪ったあと、キャバクラと風俗店で豪遊し、財布をすっからかんにして帰宅した。


 酔いが覚めると信彦は自らの計画性の無さを痛感することになる。そして今後は二度と無駄遣いをしないと誓った。


 だが一度泡銭で味わった贅沢は決して忘れられなかった……。

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