第19話 (裏切者side)船底の穴

 ここは下北沢のとあるライブハウス。レンタルスタジオに信彦と結愛はいた。


 金吾を切り捨てた二人はかなり前から準備してた上京計画をさっさと実行に移し、すでに東京に引っ越して同棲を始めていた。

 そして上京して数日経ち、生活にひと段落がついたためいよいよ音楽活動を始めることにした。


 リコネスのプロ活動は来春の方向で事務所と話がついている。年明けに契約することで調整済みで、信彦としてはそれまでに新人ギタリストとの結束を強めたかった。

 早めに上京したのにはそんな深謀遠慮があった。


「結愛、お待たせ! 我らの新しいギタリストを連れてきたぞ!」


 スタジオの扉を信彦が意気揚々と開く。自信たっぷりの彼に続き、ギターケースを背負った青年が入ってきた。


「遅いよー、信彦ー」


「悪い悪い。道に迷っちまってな。さて、紹介するぞ。ギタリストの多田くんだ」


 信彦は大して悪びれた様子もなく、さっさと新メンバーを紹介した。


「どうも、多田です」


「はろー、多田君! 私はベースボーカルの結愛。これから一緒に頑張ろうね!」


「うっす」


 結愛に愛想良く迎えられ、多田は安堵するとともにデレっと相好を崩した。


「多田君はバンド経験も豊富で即戦力間違いなしだ」


「はは、頑張るよ。それで、?」


 照れ笑いを浮かべたまま多田は部屋を見渡す。だがここには彼ら三人以外に姿はない。


 怪訝にする多田に、信彦はすっぱりと答える。


「あぁ、金吾か。あいつはやめた」


「えっ?」


「だから多田君が金吾の代わり」


「ええっ!!?」


 希望に満ちていた多田の顔が一気に青ざめた。


「は、話が違うんじゃないかな? 金吾君がリードで俺がリズムのはずだよね?」


「その予定だったが色々あってあいつは脱退した。だから君に金吾の穴を埋めてもらう」


 寝耳に水だ。

 リコネスは3Pバンドだが、多田は四人目のメンバーとして誘われたのだ。

 そもそも多田が誘われたのはリコネスの表現に幅を持たせるためである。

 それが3Pのギターとなると話がめっきり変わってくる。驚くのも無理はない。


 前情報と現状が違い過ぎて多田は混乱した。


「事務所の人は知ってるの?」


「実はこれから話すんだ」


「冗談だろ?」


「いや、マジだ」


「………………この話は無かったことに」


「待て待て待て!」


 踵を返して出ていこうとする多田を強引に引き止める。


「言い出せなかったことは悪かった! でも俺だっていっぱいいっぱいだったんだ。あいつがてんやわんわだ。今君に抜けられると困る」


「困るのは俺の方だよ。俺、金吾君とギターできるって聞いて興味が湧いたのに」


 多田は初めてリコネスの曲を聴いた時からギタリスト金吾の腕前に惚れ込んでいた。

 こんなに上手い人とやってみたい、と憧れを抱いて四人目のメンバーのオファーを受けたのだった。


「それに3Pなんてやったことないよ」


「気にするな。俺らは最初から3Pで、素人からのスタートだった。金吾にできたなら君にもできる」


 多田の顔から難色は消えない。プレッシャーに戸惑っているのもあるが、何よりも重大情報を隠されたせいでにわかに不信感を募らせていた。

 そんな多田の顔色を敏感に察知し、信彦は戦略を変える。押してダメなら引いてみろだ。


「ま、そんなに嫌なら止めはしない。でも良いのか? せっかくデビューできるチャンスなのに」


「そ、それは……」


「多田君、夢を追っかけて田舎から上京したんだろ?」


「う、うん。親父とお袋の反対を押し切って岐阜から飛び出した。五年も前の話だよ」


「分かるよ。地元が窮屈で、でっかい夢を諦めきれずに上京したんだろ? 俺と結愛もそうだ。俺たちは似た物同士だ。そんな君を誘ったのは、夢を追う君を他人と思えなかったせいだ」


「信彦君……」


 多田は信彦の言葉に絆されかけた。

 だがそんなものは見せかけだ。

 ビッグマウスと口先八丁は信彦の得意技だ。最初に多田を誘った時も、事務所のスカウトもこれで話を回した。もちろん金吾をバンドに誘った時もだ。


(こいつはうだつの上がらないギタリストだ。きっとすぐに落ちる)


 そんな侮りを抱いた薄っぺらい言葉で口説いた。


「悪い、やっぱ無理だ」


 だが多田がなびくには至らなかった。


「作詞も作曲もやってた人を失って、バンドが立ちゆくわけないだろ? ちょっと考え甘いんじゃない?」


「な……」


「当面は発表済みの曲でやってくとして、その先はどうするの? 誰が新曲作るの?」


「そ……それは……」


 突然核心をつかれて信彦は言葉を詰まらせた。

 作詞作曲の担当は未定だ。それも東京で捕まえるつもりだった。だが結愛には自分がやると言った手前、本心は言えない。


「リコネスに声がかかったのは今までの曲が良かったからだろ? その曲をかける人がいないんじゃ、この先やってけないだろ。悪いが、沈む船に乗るつもりはない。達者でな」


 多田は残念そうに言い残すと足早にスタジオを去った。

 残された信彦と結愛は予想外の展開にただただ沈黙した。


 やがて大きなため息と共に結愛が口を開く。


「信じらんない。金吾が抜けたこと、彼に話してなかったの? しかも事務所にも知らせてないなんて」


 怒りの矛先は多田ではなく信彦だった。多田が翻意したことよりも信彦が彼に嘘をついていたことが許せなかった。


「しかも金吾が自分からやめただなんて嘘までついて」


「なんだよ、俺一人が悪いのかよ。お前だって訂正しなかったろ」


 信彦は低い声で反発した。

 結愛は演者としての腕はあるが、難しいことを考えるのが苦手なのでバンドの運営は他人任せだ。そんな彼女から非難されたのが気に入らないらしい。


「驚いて何も言えなかったんだもん。それよりどうするの? ギタリストいなくなって、作曲家もいないよ?」


「曲は俺が作るって言っただろ?」


 信彦はムキになって念押しする。そうは言っても新曲など全く準備してないが。


「ならいいけど……。でも、作るならちゃんと売れる曲作ってよね! 地元の友達に自慢しちゃったから、鳴かず飛ばずなんて恥ずかしいから」


 結愛は愚痴を言うだけ言うと荷物をまとめ始める。


「じゃあ、私バイトあるから行くね。帰りは八時頃だから一緒に夕飯食べようね」


「お、おう……。頑張れよ」


「信彦も頑張ってね。今日バイトでしょ?」


 上京して同棲生活を始めた二人は日々の糧を得るためにアルバイトを始めた。

 未来は青天井でも今を生き抜くには先立つものが必要だ。


「えっと……言ってなかったが、バイトはやめた」


「…………は?」


 機嫌を持ち直した結愛だったが、さっき以上にドスの効いた声を漏らした。


「やめたって、どっち? 牛丼屋? それともコンビニ?」


「……どっちも」


「はぁ!? なんで!?」


「しょうがないだろ!? どっちも店長がすっごい嫌なやつで俺には合わなかったんだ」


「何それ、信じらんない! 家賃も電気代も払わないといけないのにどうするの!?」


「次のバイトは探すつもりだ! だからそんなにカリカリするなって」


「だったらいいけど……。しっかりしてよね。信彦のこと信じて上京したんだから」


 結愛は大きなため息をつくと、彼を置いて早歩きで行ってしまった。


 ギタリストに逃げられ、恋人にもきつくあたられて散々である。


「クソ! どいつもこいつも勝手ばかり言いやがって。黙って俺に従ってろよ!」


 思い通りにいかない現実に苛立ちを募らせる信彦。


 しかしこれは序の口である。

 彼はこれから先も厳しい現実を思い知らされることになる。


†――――――――――――――†

 次回は金吾と空李のマンツーマンレッスンです。

 お砂糖多めにつき、ブラックコーヒーと一緒にお楽しみください。

†――――――――――――――†

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