第18話 「やらせてください!」
電車を降りて城址公園に到着した頃には太陽はほとんど沈みかけていた。
肌で感じる以上に気温が下がっている気がし、彼女を待たせまいと気が咎める。しかし早く空李さんに会いたいと焦る一方、背中の大荷物が足手纏いとなっていた。
やがて約束のベンチに彼女を見つける。
腰掛けた空李さんは両手を吐息で温めて俺を待っていた。
「空李さん!」
俺は無我夢中で呼び、つい小走りになって駆け寄った。
空李さんも勢いよく振り向き、立ち上がる。
「金吾、こんにちは!」
「こんにちは。待ちましたか?」
「平気。今来たところだから」
そんな短い挨拶を交わして隣り合って座った。
俺はケースのポケットから道すがら購入したはちみつレモンを空李さんに差し出した。
「以前好きだと言ってたので」
「覚えてくれてたんだ」
空李さんはトロッと蕩けるような微笑みを浮かべる。
初めて会ったあの夜の記憶はあやふやなのに、なぜかそのことは覚えていた。
会話もそこそこに俺は本題を切り出した。
「空李さん、北斉大学を受ける気になったんですね」
「うん。金吾たちと同じ大学に通いたいって思ったの。今諦めたら一生後悔する気がして……。そんなの絶対嫌だから」
空李さんははちみつレモンのペットボトルをギュッと胸に押し抱いて語った。
彼女の小さな身体の中では革命を起こすのに十分過ぎるほどのエネルギーが渦巻いているに違いない。
でもそのエネルギーは空李さん一人には大き過ぎる気がして少し不安になってしまった。
「ねぇ、金吾。ギター持ってきてくれたってことは何か弾いてくれるの?」
胸につっかえるものを覚える俺とは対照的に、空李さんは期待の眼差しを俺とケースの間で走らせた。
「は、はい! 大事な決断を下した空李さんにぴったりの曲がありまして……良かったら弾いてもいいですか?」
「もちろん聴きたい!」
「それでは……」
立てかけていたケースからギターを取り出した。
先週、同じ場所で弾いたギターは微妙にチューニングがズレていた。チューナーを使うのがもどかしく、耳でチューニングを済ませる。
準備が終わると空李さんは遊歩道に出て俺と向かい合った。十日ほど前に引退ライブと称して演奏した時と同じ格好だった。
「今日、困難な道を歩む空李さんのために歌います。聴いてください。BUMP OF CHICKENで『Sailin Day』」
*
アウトロが静かに消えてゆく。
演奏している間に太陽はとっぷり沈み、城址公園は逢魔が時の物悲しい空気に包まれていた。
だがそんな寂しさを吹き飛ばさんばかりの笑顔と拍手が俺に送られた。
聴いてくれたのは空李さんだけ。先日のように足を止めてまで弾き語りを聞いてくれる人はいなかった。
でもそれでいい。
あなたを応援したいという気持ちを届けたかったのだから。
肩の力がすぅっと抜ける。頭の中で渦巻いていた不安とか焦りが吹き飛ばされ、ようやく自分の本心が見えたのだった。
「今のも素敵な曲だったね。それも好きなの?」
「はい。一人で時々弾いたりするんです。大事な決断をした空李さんにぴったりの曲と思ったので」
この曲のタイトルを和訳すると『出航日』。険しい船出を決意した空李さんの励ましになればと思ったのだ。
「私もそう思う。叶うかどうか分からない願望を持っても良いのかな、って不安だけど、吹っ切れた気がする。正解か不正解かは自分で決める。愚かなドリーマーになって頑張るよ」
「空李さんは愚かじゃないと思いますけどね。でも、あえて愚か者になった方ががむしゃらになれるかもしれませんが……」
思い悩むとつい歩みを止めてしまうもの。だったら悩む
「金吾の言う通りだよ。残りの三ヶ月間、がむしゃらになって頑張る。それじゃあ、そろそろ塾に行くね」
恐れも不安も断ち切った精悍な顔をした空李さんは決意を新たに船を出そうとした。
「待ってください!」
だがそんな彼女を俺は引き止める。
「実は、空李さんに相談があるんです」
「相談?」
空李さんは小首を傾げて不思議そうに俺を見つめた。
「その……空李さんはきっと頑張り屋さんで、途中で挫けたりせず、最後までやり切れると思います。でも、時々不安になったり焦ったりすることがあると思うんです」
「う、うん。そうかもね」
要領を得ない俺のセリフに空李さんは少し戸惑っている。
俺も上手く回らない舌にもどかしさを感じていた。
「そういう時、目標に向かって一緒に歩く人がいたりすると心強いかなぁと思いまして……」
「えーっと、北斉を受ける友達はいるから、一緒に勉強すると良いかもね?」
会話が噛み合わない。
こんな言い方じゃ当然だ。伝わるはずがないんだ。
ここはストレートに言っちまえ!
「空李さん!」
「は、はい!?」
びっくりして背筋を伸ばす空李さんの瞳を俺は真っ直ぐ見つめてこう申し出た。
「俺に空李さんの家庭教師をやらせてください!」
横なぎに吹き抜ける冷たい風。空李さんの長い髪が風に
「空李さんに何かできることはないかってあれからずっと考えてたんです。頑張れって応援したり、歌って楽しませたりするのも良いかもしれません。でも、それだけじゃ足りない気がして、それで……家庭教師をさせてもらえたら、と。一応、現役合格した北斉大の学生ですし、ちょっとは役には立つと思うんで」
彼女にとって俺はロックスターかもしれない。ステージの上から声援を送れれば、何よりの励みになるだろう。
でも今の俺はステージから降りたただのギター好きの大学生だ。彼女のためにプロの道をまた目指すのも格好良いが、それは今じゃない。
今は、もっとそばで力になりたいんだ。
ポカンと口を開けたまま棒立ちになる空李さん。
あれ、思ってたリアクションと違うぞ?
勉強が捗るから歓迎されると思ってたけど、俺の見当違いだった?
「よ、余計なお世話なら全然お断りしてもらっても……」
「全然お節介なんかじゃない……」
空李さんは静かに首を横に振った。そしてパッと顔をいつもの明るい表情に華やがせて俺の目の前まで迫った。
「金吾が私の家庭教師になってくれるの!?」
「は、はい。ブランクはありますが、空李さんが合格できるように精一杯尽くします」
「すっごく嬉しい! はわわ……推しが家庭教師になって勉強見てくれるだなんて少女漫画みたいだよぉ!」
ぴょこんぴょこんと跳ね回る空李さん。
もしかして嬉し過ぎてフリーズしてだのか?
まぁ、確かに推しが直々に家庭教師を願い出るなんて漫画みたいで現実味がないか。
「それじゃあ毎日金吾に会えるの!?」
「さすがに毎日は……。基本は土日で、細かなことはこれから決めましょう」
「それがいいね! でも、金吾も忙しいんじゃないの? 大学だって宿題とかテストあるんでしょ?」
「……なんとか都合します!」
幸いと言うべきか、リコネスをクビになったおかげで時間はたっぷりある。自分の課題をこなしつつ、余った時間の全てを空李さんに上げるつもりになれば家庭教師は務まるはずだ。
「そこまで言うならお言葉に甘えちゃう! 金吾がついてくれるならもう合格したも同然だよ!」
空李さんは俺の両手を握り、またウサギみたいに飛び跳ねた。
決まりだ。俺は今日から空李さんの家庭教師になる。
「えへへ、これからよろしくね、金吾先生!」
「こ、こちらこそ。でも金吾先生はくすぐったいから今まで通りでお願いします」
「はーい! よーし、今日から金吾と合格目指して勉強頑張るぞー! おー!」
「おー!」
逢魔が時の空。一番星に向かって俺たちの
きっと彼女の中では合格した時のビジョンがすでに描かれていて、だから破顔せずにいられないのだろう。
桜が咲く時、この笑顔を再び見られたらどれほど幸せだろうか。
春にこの子とキャンパスで合間見える瞬間を夢想し、俺も頬を綻ばせたのだった。
†――――――――――――――†
ただのファンと推しから家庭教師と教え子の関係になった金吾と空李。
近いようで遠かった二人は、同じ船に乗る存在になるのでした。
もちろんファンと推しという関係が終わるわけではありません!
そんな二人が今後どう関係を深めていくのか、ご期待ください!
作中で金吾が歌った『Sailing Day』はこんな曲です!
https://www.youtube.com/watch?v=F9L7QAL5m5g
次回から二人でイチャイチャ回……と行きたいところですが、次回はちょっと箸休めに裏切り者のお話をお届けします!
面白いと思った方は⭐️⭐️⭐️+と❤️で応援お願いします!
†――――――――――――――†
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます