第17話 「会いたいです!」

 お茶会が終わり、迎えた平日。


 その後は特に変わったこともなく日々が淡々と過ぎた。

 大学の後期課程が半分に差し掛かり、講義によっては中間課題が出されて少しだけ忙しくなるも、俺の心を揺り動かすほどではなかった。


 音楽がなくなっても寂しさはない。

 恋人がいなくなっても心細さはない。


 なぜなら他に気になる人がいるから。


 大学受験という重大な関門を前に悩む空李さんのことが、頭から離れないのだ。


 そんな調子なので気もそぞろ。

 講義も右から左だし、友達と話していても場をしらけさせてしまった。

 何をやっても空回りしてばかりだった。


 そうして迎えた木曜日、空李さんからLINEのメッセージが届いた。

 時間割の都合、夕方前に帰宅していた俺は自宅で珍しく自炊の準備をしていた。それを中断してスマホに飛びついた。


『(空李)こんにちは。今電話できますか?』


 送られたのはそんな簡素なメッセージ。

 たった二言だけだが、俺の気持ちを昂らせるには十分であった。


 胸を締め付けられるような苦しさに抗いながら返信を書いて送る。


『(金吾)はい、大丈夫ですよ』


 送った直後、スマホがブルブルと震え始める。ディスプレイには空李さんの名前が表示されていた。俺は深呼吸をして通話ボタンをタップした。


「もしもし、空李さん?」


『金吾、こんにちは。突然電話してごめんね』


「いえ、とんでもないです。俺も空李さんと話したいと思ってたんです」


『そうなんだ……。えへへ、なんだか嬉しいな』


 電話口でも照れている顔が目に浮かぶ。俺はつい頬を緩ませてしまった。


「今日はどうされたんですか?」


 俺はおおよそ彼女が言うことの予想がついていた。明るい声音からバッドニュースではないと予感したのだ。


『あのね、あの後、志望校のことをもう一度よく考えたの』


 やはり要件はそれか。


 俺は結論を急ぎたい気持ちをグッと堪え、相槌を打って続きを促す。


『このところ偏差値が伸び悩んで、親に心配かけてたの。それで安心させたいから志望校を変えたんだ。でも実はそれって言い訳で、本当は逃げたかったの』


「逃げる、ですか?」


『うん。偏差値が伸びない焦りとか、周りからのプレッシャーから逃げたかったの。元々勉強が好きじゃないし。だから、楽な方に、楽な方にって流されてた。でも昨日金吾と詩乃さんに言われて考え直したの。「一生物の決断をあっさりし下して良いのかな?」って』


「空李さん、それじゃあ……」


 結局俺は堪えきれず結論を聞き出した。空李さんは特段不快な思いを示さず、むしろ吹っ切れたような清々しい声で答えた。




「私、北斉大学を受ける」




 いつもの空李さんらしい明朗な口調。しかし声の真ん中に一本の硬い芯が通っている。

 その決意を俺は心のどこかで期待していた。彼女にはこの先後悔し続ける人生を歩んでほしくなかったからだ。


 同時に俺は一抹の不安を抱いた。


「親御さんはなんと?」


 そう、彼女の決断の代償を背負うのは本人と家族だ。そのせいでご家族と揉めてたりしないかと憂いていた。


『大丈夫だった。まだ受験まで時間があるし、頑張りなさいって』


「そうですか。ご家族も応援してくれてるんですね」


 俺の心配は杞憂に終わった。ほっと胸を撫で下ろす。


『金吾のおかげだよ。金吾が背中を押してくれたから、弱い自分に打ち勝って頑張ろうって思えた』


「俺は何もしてませんよ。空李さんは元々強い人なんです。ずっと向かい風ばかり吹いて前に進めなかっただけで、追い風が吹けばきっとどこにだって行ける人なんです」


『ふふ、ありがとう。金吾にそう言ってもらえるなら間違いないね』


「俺に、ですか?」


『うん! だって金吾はロックスターだもん! 私なんかよりずっとすごい人なんだから、その金吾がいうなら間違いないよ!』


 その言葉には濁り気がなかった。やはり今でも彼女の中で俺はリコネスのギタリスト金吾で、本心からリスペクトを寄せてくれている。

 その気持ちはくすぐったくて、重荷だ。でも……嬉しい。


『金吾、私、頑張るね。今からいっぱい勉強して、受験戦争に勝って、金吾とキャンパスを一緒に歩けるように努力する。だから……』


 空李さんの声が一瞬途切れる。言葉に迷いを含めるが、それを断ち切るような一瞬の間を置いて続きを発した。


『だから、金吾も頑張って! 頑張って、またステージの上で格好良い姿を見せてよ!』


 今度は俺が背中を押される番だった。

 プロのステージへ進む船から下ろされた俺に、追い風を吹かせようとしてくれたのだ。


 空李さんは今でも俺の夢を叶えられるよう祈ってくれている。それはすごく嬉しい。


 でも、正直今は自分の夢なんてどうでもいい。

 今は空李さん、あなたのために何かしてあげたいんです。


 その時、電話の向こうから車が走っている音が聞こえた。彼女は今外出中なのか。


「空李さん、今どちらに?」


「今? 今は城址公園の近く。塾に行くところだよ。今日から早めに行って、自習するの」


 城址公園……。


 それを聞いて俺は身体に電流が走ったような気がした。


「空李さん、今から少し時間をもらえませんか?」


「え、今から?」


 いきなりこんなお願いをされてさぞ驚いたことだろう。

 俺自身、衝動的に口走る自分に戸惑っていた。でもどうにも止められない。


 だって……




「今から空李さんに会いたいんです」




 抑えられない気持ちが胸の中にあるから。


「金吾……。うん、私も金吾に会いたい」


「それじゃあ公園で待っててください。俺たちが初めて会ったベンチが目印です」


 できるだけ早く行くと約束して通話を終える。


 俺は胸の高鳴りを抑えるため深呼吸をした。

 気持ちは少しだけ落ち着いた。だが会って何を話すか全く考えてなかったことに気づく。


 その時、ふと部屋の隅のギターケースが目に映った。

 ギターにはあの夜以来全く触れていない。触れる理由も無かったし、弾きたいとも思わなかった。


 しかしなぜかこの時は相棒が必要な気がした。


 言いたいことは決まってない。


 でも奏でたい曲はあった。


 ハードケースを背負うと俺はアパートを飛び出し、約束した城址公園を目指して茜差す道を早歩きした。


†――――――――――――――†

 本日は2話一挙更新です。

 次話は20時頃に公開します。

†――――――――――――――†

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る