第16話 空李の迷い
俺と空李さん、そして美墨先輩はその後、キャンパスの中をぶらぶら歩いて回った。
大学は多数の生徒が頻繁に出入りするため、重要な設備以外は誰でも入れるようになっている。
しかしそれは平日の話で、本日日曜日はどこも施錠されてしまい校舎には入れなかった。
学生はカードキーと一体になった学生証があれば建物に入れる。同好会のメンバーは勝手口から備品を出し入れしているため、そこを使えば屋内に入れぬこともない。だがあくまでスタッフ用の勝手口なので今回は遠慮することにした。
そのため主に屋外を散策する形に留めた。もっとも、空李さんはそれで十分だったらしく、何かが目につくたびに「あれは何?」と子供のように尋ねてきたのだった。
そして今、キャンパスの中央付近にある広場に足を運んだ。
「ねぇ、金吾。ここで金吾はライブしてたよね?」
空李さんは興奮を抑えた声で尋ねた。
「えぇ、ここの特設ステージで」
空李さんが言っているのは九月に開かれた文化祭のライブステージのことだ。リコネスは文化祭のライブに出演したのだ。
それも見にきてくれてたんだと思い、俺は自然と頬を綻ばせた。
「そういえば、小早川君はバンドを組んでたんだそうですね。空李ちゃんから聞きましたよ」
「え、えぇ、まぁ。高校時代の……まぁ、友達と」
「全然知りませんでした。そういえばギターを背負ってることがありましたもんね……」
「学校帰りに合奏練習ある時は背負ってましたね」
「ふふ、小早川君は空李ちゃんの推しなんですっけ? 見に行けばよかったです」
先輩は揶揄うような口調で惜しんだ。彼女にロックバンドの趣味は無さそうだが、空李さんから話を聞いて興味が湧いたのだろうか。ちょっとくすぐったい。
「あの時、結構盛り上がってましたよ。俺たちのこと知ってる人は少なかったでしょうけど、来場者が足を止めて演奏を聞いてくれて、ノってくれて」
俺はほんの二ヶ月前の思い出に浸った。
文化祭の観覧スペースはいつものライブハウスよりずっと広い。ステージから見下ろす
俺は懐かしくてついそんな昔語りをした。
リコネスをクビになったのは悔しい。だがその悔しさはライブの達成感とか充実した気持ちの裏返しでもある。それ自体はいい思い出だ。そこに嘘はない。
「空李さんも楽しんでくれました?」
今となっては俺があのステージに立っていた証拠は人々の記憶の中だけ。それを確かめたかったのだろうか、俺は彼女にそんな質問を投げかけた。
空李さんは何も語らない。彼女は黙したまま、視線をやや上に向けていた。その目は遠いところを見るようで、どこか物悲しげだった。
様子がおかしいと思った俺は先輩に視線を向ける。先輩も同じ気持ちだったのか、彼女と目が合った。
「空李さん、どうかされました? もしかしてリコネスのことで何か考えてますか?」
「へ?」
きょとんとした顔で空李さんが振り向く。
「もしそうだとしたら、俺のことはもう気にしないでください。確かにクビにされたのは悔しいですけど、もう終わったことなので」
俺は一方的に心持ちを語った。
リコネスのギタリストとしてパフォーマンスをしていた俺を思い出して同情するのはやめてほしい。
俺はもうリコネスには戻れないし、戻るつもりもない。何かしらの形で音楽を再開するとしても、リコネスだけはありえない。
だから彼女には懐かしんでも、悔しがったり同情したりしないでほしいのだ。
だがそれは俺の早合点だった。
「そうじゃないよ! ちょっと、私の志望校のことで考え込んじゃって……」
「志望校、ですか? そういえば、空李さんがどこの大学を受けるか聞いてませんでしたね。どこを受験されるんですか?」
何気ない俺の質問に空李さんはややの沈黙を置いて答えた。
「
その声はやはりどこか口惜しげであった。
北斉市には公立の大学が二つある。
一つはここ国立北斉大学で、もう一つは市立北斉大学という。
国立の方が歴史が深く知名度もあるため、普通『北斉大学』というと国立の方を指す。もう一方は『市立大』と略して呼ばれるのが一般的だ。
「でも偏差値がヤバくて最近志望校変えたの。市立大の方なら余裕でA判定だから。親は国公立希望だし、私はまだ地元離れるの怖いから、希望が叶う判断だと思って安心したの。勉強あんまし好きじゃないし。でもね、『それでいいのかな?』って今思っちゃった」
「迷う理由は……俺がいるからですか?」
追っかけてたバンドの推しが通う大学に行きたい、と今になって心変わりしたのだろうか。
自惚れっぽいがあり得る話だ。
「それもある。金吾と同じ大学に通ってみたい。でもそれだけじゃない。ここには涼子さんと詩乃さんがいる。紅茶同好会って面白いサークルもある。文化祭もすごく盛り上がってた。イベントにはまた来ればいいかって思ってたけど、次はお客さんとしてではなく、学生として参加したいって思っちゃった」
空李さんは空元気な笑顔で願望を語った。その表情は決して届かない高嶺の花を物欲しそうに見つめる諦めに俺には見えた。
「判定、そんなにヤバいんですか?」
「前の模試だとC判定だった。でもその前はB判定だったのに……」
なるほど。部活組が引退して追い上げられたといったところか。それがショックで折れてしまったのか。
「姉からは何か言われてますか?」
これは美墨先輩の質問。担任の先生からの評価も確かに気になるところだ。
「えと……『北斉大は難しい』と……」
「そうですか……」
淡白に相槌を打つ美墨先輩の表情は悔しさでも哀れみでもなく、身内の非情さを詫びるふうでもない。何かを思案するような深みのあるものだった。
彼女が何を考えているのか、気になったが今は聞かないでおこう。
「浪人できたらいいんですが、親は浪人に後ろ向きでして。まぁ、もう一年自分が頑張れるかも自信ないんで結局志望校を下げたんですよね……」
弱々しく語る空李さんは、もう諦めた様子であった。
確かに浪人は難しい選択だ。親にとっては養育期間が一年伸びる。予備校に通わせるなら費用もバカにならない。浪人するにしても一年孤独な戦いを強いられる。同級生たちがキャンパスライフを謳歌している陰で孤軍奮闘するのは辛いだろう。
だから空李さんを軟弱だとかは思わない。
ただ、もったいないなとは思う。
「空李ちゃん、もう少し頑張ってみてはどうですか?」
そんな俺とは対照的に美墨先輩は激励を送った。
意外だ。普段から一人でいるのが好きだから、あまり他人に興味を示さない人だと思っていた。
さっき山科に大事な友達と主張したくらいだから落ち込んだ空李さんの顔に心が動かされたのか。
「今は学力が伸び悩んだり、ライバルに追い越されたりする一番辛い時期でしょう。でも、そこで諦めては今までの努力が無駄になってしまいます。辛い時こそ自分が積み重ねた物を見つめてみてください」
先輩の声はいつも通り物静かだ。だが声には一本芯が通った強さがあり、いつにない迫力があった。
俺もそれに触発された。確かに、まだ諦めるのは早い。俺も励ましの言葉を送った。
「今は十一月だから、共通試験まで二ヶ月、本試験まで三ヶ月あります。まだ諦めるには早いと思いますよ。国公立の受験の判断は共通試験の結果次第だから、それまで足掻いてみてはどうですか?」
「金吾……」
空李さんは不安そうな顔で俺と先輩の顔を交互に見つめた。
そんな彼女に俺は続けて言う。
「大学ってどこも似たようなとこかもしれないけど、通ってる学生に同じ人はいないでしょ? だから『どこの大学に行くか』よりも『誰と過ごすか』も大事だと思います。空李さんがここの学生の顔を見て通いたいって思うなら、それはもう一度頑張ってみる理由になりませんか?」
社会人になる前、子どもでいられる最後の四年間に積んだ経験は一生物だと思う。
どこの大学に進学しようともそういう経験はできるだろう。でも、可能であれば彼女には自らの強い意志で選択した場所で経験を積んでほしい。
「大学は入った後に変えるのは難しいから、よく考えて損はないよ。一度きりの選択だから、後悔の無いようにね」
「金吾……ありがとう。私、プレッシャーに負けてつい楽な方に逃げてた。もう少し考えて、親と話してみる。やっぱり金吾は私に勇気をくれるね」
空李さんはにっこり笑顔を浮かべる。まだ不安の色が残るが、言葉通り勇気が湧いたのだろう。いつもの調子に少し戻り、俺は安堵した。
「詩乃さんもありがとう。美墨先生ともよく話し合いますね」
「いえ、差し出がましいことを言ってしまいすみません……」
どうやら先輩は感情が先走ってさっきのようなことを言ってしまったらしい。
でもおかげで格好良い言葉を聞けた。
『諦めない気持ちが大事』
最近はそういうスポ根っぽいセリフに冷たい風潮がある。
でも人生にはその後の運命を変える分岐点というものが必ずある。
他の場所で諦めたり妥協したりしても、その瞬間だけは粘らないと後で後悔すると思う。
空李さんには後悔してほしくない。だから今だけは頑張ってほしい。
そんな彼女のために何かできることはないか?
俺は必死に自問自答するのであった。
†――――――――――――――†
今回は空李の受験に関するお話でした。
空李にとって金吾は今でも勇気をくれるヒーローです。
そんな彼女のために何ができるか必死に考える金吾。
次回も受験関連の話ですが、いよいよ物語が大きく動き出します!
具体的にいうとイチャイチャが始まります!!
乞うご期待!
†――――――――――――――†
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