第21話 問題発生→秒で解決

 翌日も図書館でレクチャーをすることになった。二日続けてはさすがに空李さんも息が詰まるだろうから最初のうちは土曜日だけにしようと申し出た。だが、


「やだやだやだ! 日曜日もするの! 金吾に勉強見てもらうの!」


 と食い下がられた。

 俺としては空李さんのペースに配慮したつもりだが、冷や水浴びせることになりかねないので希望通り勉強を見ることにした。

 空李さんの向上心には脱帽である。


 ところがここで問題が発生した。


 図書館で座席を確保できなかったのだ。

 これは俺の誤算だったが、考えてみると至極当然だ。今は受験の大詰めの時期なので受験生で溢れるのは必然。加えて中間試験の時期でもあるので受験生以外の学生も集まっている。

 俺はレッスンの場所の変更を余儀なくされた。


 余談であるが、図書館のエントランスには『図書館はデートスポットではありません。イチャつかないでください』という張り紙がされていた。

 図書館でイチャイチャだなんて、けしからん奴がいるものだ。空李さんみたいに勉強したい人だっているのに……。


 閑話休題。


 結局その日は屋外のベンチで青空教室にすることにした。隣り合って座り、参考書を読みながら解答のコツなどをレクチャーした。

 だがこの形では机が無いため問題を解けない。


 俺は早急に解決策を見出さねばならなかった。


 *


「さて、と。勉強場所をどう確保したものかな……」


 大学のベンチに腰掛け、空に向かって悩みを溢す。

 手の中には北斉大学の赤本がある。空李さんに指導するにあたっての復習のためだ。だが内容は頭に入ってこない。


「よ、金吾。何読んでるの?」


 と、いつの間にやら涼子が目の前に立っていた。俺は驚いて咄嗟に本を閉じてしまった。が、かえって涼子の興味を引く結果となる。


「それ、赤本? 家庭教師のバイトでも始めるの?」


 大学生が高校生向けの教材を読む理由はそれ以外にない。彼女の予想は的を射ている。


「始めるというか……もう始めているというか……」


「ん? もう始めてるの?」


 切れ長の怜悧な双眸がどんぐりみたいに可愛く見開かれる。

 そういえば涼子に相談も報告もしてない。

 俺は今のバイトを始めるにせよ、リコネスのデビューにせよ涼子には一言伝えていた。が、今回は急なことだったのですっかり忘れていた。

 驚くのも無理ないか。


「実は俺、空李さんの家庭教師を始めたんだ」


「ふーん、そうなんだ頑張ってね」


「………………」


「………………………………はっ!?」


 一瞬だけ漂った妙な沈黙。そして一呼吸分置いた涼子は呆気に取られてしまった。


「ちょっと待って!? 家庭教師!? 空李ちゃんの!? なんで!?」


 目を白黒させる涼子。


「うむ、実はな、お茶会の日にキャンパスを案内して、空李さんの受験の悩みを聞いてな。志望校を北斉大にするか市立大にするか迷ってたんだ」


「それで?」


「『迷ってるくらいならもう少し頑張ってみなよ』みたいに励まして、そしたら空李さんは当面は北斉大を志望することにしたんだ」


「そんな大事な決断に安易に口出しして大丈夫なの?」


 涼子は呆れ半分に俺を叱った。

 ごもっともだ。大学受験はその後の人生を左右するし、負担を背負うのは本人と家族だ。安易に他人が関わるべきことじゃない。

 そうと分かってても、自分を抑えられなかった。


「もちろん、焚き付けたからには俺にも責任がある。だからただ応援するだけじゃなく、家庭教師として協力することにしたんだ」


「それで赤本引っ張り出して復習してるってわけ?」


「あぁ、やるからにはしっかり指導するつもりだ」


「あんたって本当にお人好しね」


「お前はいっつもそう言うな」


 お決まりなセリフが面白くて俺はつい微笑を漏らした。


「それで今悩んでるのは勉強場所なんだ。土曜日は図書館で指導したけど、日曜日は席が埋まってて、結局青空教室になってしまったんだ」


「家庭教師なのに空李ちゃんのお家じゃないの?」


「うん。図書館は集中しやすいし、彼女が家に呼ぶのは恥ずかしいっていうから。それで図書館にしたものの座席を確保できないリスクがあるから、別の場所をと考えているんだ。さすがに俺の部屋は……なぁ?」


 チラッと涼子の様子を窺う。すると彼女はニンマリ笑って釘を刺していた。「二人きりの部屋に連れ込むなよ」と。


 それくらい分かってる。俺だって初めて会った翌朝に彼女に忠告をした身だ。誠実なフリをするような真似はしない。


「どこかいい場所知らないか?」


「そうねー。コワーキングスペースはお金がかかるし……。しょうがない、ここは私が――」


 涼子も一緒になって考えてくれている、その時だ。


「小早川君!」


 横手から俺を呼ぶ声が。涼やかだが、いつもよりどこか落ち着きのない美墨先輩の声だった。


 先輩は似つかわしくない小走りで俺に駆け寄ってくる。それから涼子に軽く会釈をすると早々に切り出した。


「小早川君、今から少しお話いいでしょうか?」


「え、お話ですか? 構いませんが、何かご用ですか?」


 ゼミ以外で接点がなかったので用事なんて驚きだ。


「はい、空李ちゃんのことが気になって」


「「えっ?」」


 俺と涼子は同時に驚く。


「空李ちゃん、あの後志望校をどうされたかご存知ですか? 私があんなふうに焚き付けたから悩んでいないか心配で」


「そういうことですか。空李さん、悩んでましたが志望校は北斉大にしましたよ。出願は共通試験の結果次第ですが」


「そう……ですか」


「そんなわけで先週から俺が家庭教師を務めてます」


「……はい?」


 素っ頓狂な美墨先輩の声。


「わけ分かんないですよね、こいつの発想」


 茶化した笑顔の涼子。まぁ、我ながら大胆な発想だとは思うよ、ボランティアで受験指導なんて。


 俺は端的に家庭教師を願い出た経緯と今の悩みを先輩に打ち明けた。

 先輩は驚きながらも真剣に頷いて耳を傾けてくれた。

 やがて、


「小早川君、偉いです!」


 と目を輝かせて褒めてくれた。


「先輩として助言や励ましを送るだけでなく、協力までしてあげるなんて、誰にでもできることじゃありません! お見それしました」


「あはは、恐れ入ります。でも早速勉強場所を失って前途多難です。女の子を部屋に連れ込むわけにもいかないですしね」


「それでしたら私に協力させてください!」


「先輩が?」


 美墨先輩のいつになく覇気に満ちた口調に違和感を抱く。




「私にも家庭教師をさせてください!」




 それが先輩の申し出だった。俺は呆気に取られて言葉を失う。


「私も北斉の学生ですし、その……受験勉強は人一倍頑張ったつもりです。なのでお役に立てるかと。それに私が同席すれば女の子と二人きりじゃないでしょう?」


「確かに。それは渡りに船ですが、先輩はいいんですか? テストやゼミで忙しいでしょうし……」


「期末の協力は難しいでしょうね。ですがそれは小早川君も同じはず。三人四脚で頑張りましょう」


「なんだか申し訳ないです。俺の言い出したことなのに……」


「焚き付けたのは私も同じです。それに、私は小早川君にも協力できますよ?」


「俺に?」


「はい。小早川君には期末テストの過去問を提供します。それでテスト対策をして時間を浮かせれば空李さんに協力できますよね?」


 確かに! 俺は容易に単位を取れるし、空李さんは指導をたくさん受けられる。皆ハッピーな案だ。

 そこまで言ってくれるなら断る理由はない。


 しかし一つだけ懸念がある。それは美墨先輩が大の男嫌いだという噂だ。俺の部屋に上がるのに抵抗はないのだろうか?


「それでは美墨先輩、週末は俺の部屋までご足労頂いてよろしいですか?」


「もちろんです。小早川君の連絡先とご住所を教えてください」


 先輩はあっさり承諾してくれた。まぁ、空李さんもいるので先輩にとっても男と二人きりという状況は避けられる。考え過ぎか。


「では、土曜日からよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 約束を交わし、俺たちは解散しようとした。が、


「ちょっと! 何二人だけで終わらせようとしてるの!?」


 涼子が解散に待ったをかける。


「どうした涼子? まだ何か心配事か?」


「何か、じゃないわよ!? なんで私には声かけないの!?」


「なんでって……。空李さんを焚き付けたのは俺と先輩だから涼子には関係ないだろ?」


「あるし! 私も空李ちゃんと友達だし!」


 涼子は力強く食い下がる。この流れはもしかして……




「私も家庭教師やるわ!」




 おぉ、やっぱりか! 涼子は気が利くからな。

 だがさすがに気を遣い過ぎだ。


「嬉しいけど、お前に迷惑かけられないよ。俺が言い出しっぺだし」


「私には責任がありますので。ですが神田さんを巻き込むわけには」


 俺と先輩は遠慮する。

 この件に関して涼子は部外者だ。空李さんと友達とはいえ、負担を背負わせるのは俺の気が咎める。


「いや、この流れで私だけ何もしないとか寂しいでしょ! 私が薄情でしょ!」


 ははーん、涼子め、寂しかったのか。

 寂しいのは察するが、薄情とは思ってないぞ?


「それに、空李さんの志望学部は社会学部なんですって? ということは二次試験に数学が出るってことでしょ?」


「確かに。実はそれもどうするか悩んでたんだ」


 涼子のいう通り、空李さんが志望する社会学部の二次試験には数学が出題される。俺と美墨先輩は文学部なので二次の数学は受けてない。共通試験は復習でよいが、二次試験は最初から学び直しであった。


「でしょ? だったら経済学部の私の出番よ。社会学部と経済学部は分かれてるけど問題のセットは同じだから、むしろ私こそ家庭教師におあつらえ向きってわけ。これでも私は不要かしら?」


「く……お前の言う通りだ。空李さんに必要なのは俺たちよりもむしろ涼子の方だ。それじゃあ改めてお願いする。涼子、力を貸してくれ!」


「神田さん、私からもお願いします。空李さんの受験に協力してください」


 俺と先輩は状況を冷静に判断し、一番の適任者に頭を下げた。


「ちょっと、そこまでかしこまってお願いしないでくださいよ! 私が協力したくて申し出たんですから!」


 涼子は得意げな笑みを一転、慇懃に頼み込まれて慌てふためいた。

 涼子はリアリストなところがあるが人がい。空李さんのためになりたい気持ちは本心だろう。


 かくして勉強場所の確保の問題はあっさり解決した。しかも心強い講師を二人も獲得した。きっと空李さんも喜んでくれるだろうな。


 *


 そんなこんなで迎えた土曜日。俺の部屋を空李さんが訪れた。


「お邪魔しまーす」


 おずおずと戸を開いて顔を覗かせる空李さん。そして室内を見て嬉しそうに目を見開いた。


「いらっしゃい、空李さん」


「空李ちゃん、久しぶり!」


「こんにちは、空李ちゃん」


 俺と先に来ていた涼子と先輩が各々迎え入れる。


「わぁ! 本当に涼子さんと詩乃さんも家庭教師してくれるんですね!」


「もちろんですよ。私が背中を押したんですから協力させてください」


「私も協力するわ。ビシビシいくから覚悟してね!」


「えへへ、二人ともありがとう! 頑張ります!」


 空李さんは大喜びで二人にまとめて抱きついた。


 きゃあきゃあと賑やかな女子の声が俺の部屋にこだまする。


 つい先日、ひたすら打ち込んだバンドを追い出されて恋人まで取られた。

 その後、紆余曲折を経て俺の部屋に女子が三人も集まっている。

 こんな縁が作られるなんて予想だにしなかった。


 空李さんの受験が終わってもきっとこの縁はほどけない。


 俺はそんな予感がして、彼女たちとの関係を大切にしようと誓ったのだった。


†――――――――――――――†

 ようやくタイトル回収が終わりました。

 これからは四人で空李の大学受験に挑みます。

 受験というと鬱々とした思い出しかありませんが、基本楽しいことだけ書いていきますので安心してお楽しみください!

†――――――――――――――†

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