第7話 「子供じゃないもん……///」

 それから俺たちはお茶を飲みながら世間話に花を咲かせた。と言っても主にもっぱら空李さんの受験勉強の愚痴を俺が聞くという形である。


 その話がひと段落すると、空李さんは突然次のようなことを聞いてきた。


「ねぇ、金吾。バンドは抜けることになったけど、音楽はまだ続けるよね?」


 今まで友達同士のように喋っていた空李さんだったが、この時ばかりは遠慮気味であった。


 どう答えたものかな……。


「音楽やめちゃうの? 辛いかっただろうけど、昨夜は楽しそうにしてたよ?」


 俺が黙こくるのを不安に感じてか、励ますように昨夜のことを語る。


 昨夜のことは深酒のせいでよく覚えていない。ただ、空李さんに弾いてあげた時はすごく楽しかったような気がする。


 だから音楽をすっぱり捨てる気にはならなかった。


 俺はギターを弾くのが好きだ。

 誰かに聴いてもらうのが好きだ。

 だからこれからも弾いていたい。


「気が向いたら……ね」


 だが今は音楽から離れたい気分だ。


 一人で気ままに弾き語りでもするのは悪くないが、今すぐやろうとはならない。

 まして、またバンドを組むなんてまっぴらだった。


「気が向いたらっていつ? いつになったらまた金吾の歌が聴けるの?」


 お腹を空かせた子犬のように空李さんはせがむ。


 そんな顔に心がチクリと痛んだ。

 だがこればかりは明言できない。


 空李さんの存在は、イコール俺の復帰を待ち望むファンの存在だ。だから空李さんが復帰を望んでくれるのはすごく嬉しい。

 だがリコネスをクビになったのは昨日の今日なのですぐに立ち直れない。

 昨夜歌ったのは酒の勢いのラストライブのつもりだったからで、素面の今は何を弾いても楽しくなれる気がしないのだ。こんな気持ちでは再開など夢のまた夢。


 ずっと黙りこくった俺の気持ちを空李さんは汲み取ってくれた。


「ごめんね、催促するようなこと言っちゃって。今はそんな気分になれないよね?」


「そうだね……。もう少し元気になるまでお休みしようと思う」


「そっか。それじゃあ、また来てもいい? 私、金吾が元気になるまでそばで励まして上げたいな」


 恐縮した顔を反転、スイッチを入れたみたいにパッと明るくしてそんな提案をしてきた。


「励ますって……。嬉しいけど空李さん、受験生でしょ? 俺のことより自分の勉強は?」


「大丈夫! 私、志望校の模擬試験判定はAなの!」


 えっへん、と胸を張る空李さん。

 おしゃまなメイクと突っ走る行動とは裏腹に優秀らしい。


「嬉しいけど、自分の足元疎かにして推し活されるのは気が引けるな。それに女の子があまり気安く男の部屋に行くとお父さんが心配するよ?」


「むぅ……。私、もう子供じゃないもん」


「十八歳?」


「……まだ十七歳」


「じゃあ子供じゃん」


 一生懸命背伸びしようとする彼女が可愛らしくて俺は小さく笑った。揶揄われたと思った空李さんは膨れっ面で拗ねた。


「親に心配かけるものじゃありません」


「親が心配するようなこと、金吾はするの?」


 空李さんは頬を紅潮させ、おびえと僅かな期待のようなものを混ぜた繊細な表情をして俺に問う。

 ミュージシャンとしての俺を慕う天真爛漫な少女が、一瞬だけ見せた女の顔に俺は不覚にもドキリとし、邪な考えを浮かべてしまった。


 俺がこの子に迫ればこの子は靡くだろうか、と……。


 そのおかげで彼女の表情が作られたものだと気付くのが遅れた。


「揶揄うんじゃありません」


「あうっ」


 額を人差し指で突き、戯言を咎める。危うく一本取られるところだった。呆気なく芝居を見破られた空李さんはお茶目に舌を出して誤魔化した。


「それじゃあ、連絡先は? 外で会うのはいいでしょ? 私、また会いたいよ!」


 スマホを取り出した空李さんは焦れるのを隠さない口調でお願いしてきた。どうしても俺と仲良くしたいらしい。


「ごめんね、空李さん。それもできない」


「え……」


 空李さんの小さな口から悲しげな声が漏れる。


 普通ならこんなに可愛い女の子から「また会いたい」とか「連絡先を教えて」とお願いされたらどんな男でも嬉しいに決まってる。

 だが今の俺では空李さんファンの存在は重い。


「俺はもうバンドマンじゃない。普通の人なんだ。今は音楽から離れて落ち着きたいから遠慮してほしいな」


 空李さんのお願いを断った理由は二つある。


 一つ目は今言ったように心を落ち着けたいからだ。そこにファンの人がいるときっと過去を思い出し、辛くなる。


 二つ目はこの子に勘違いをさせたくないからだ。推しの人間と連絡先を交換して交流を重ねればなんらかの期待をさせるだろう。

 復帰するとか、好意を向けてくれるとか。


 だが今の俺には再起を図る気力は無い。そしてこの子と恋愛するつもりもない。


 真剣に向き合うつもりがないのに気を持たせるのは可哀想だし、今まで応援してくれた恩を仇で返すことになる。


 空李さんは俺の頼みを聞いて一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐにケロッと笑顔を浮かべた。


「そっか、そうだよね! バンドやめた後だもん。色々考えたいだろうから、私が首突っ込んじゃダメだよね。ごめんね、ワガママ言っちゃって」


 それが空元気なことは僅かな付き合いでも分かる。だから心がまたチクリと痛んだ。

 でもそれがお互いのためなのだ。


「それじゃあね、金吾。元気出してね」


「ありがとう。空李さんも受験頑張ってください。陰ながら応援してます」


「えへへ、ありがとう! 推しに応援してもらえるなんて気力百倍だよ! それじゃあ……さようなら」


 そう言って俺たちは手を振り合い、空元気の笑顔で別れた。


 空李さんが去ったせいで部屋に急に静寂が訪れる。同時に心にも空虚さが訪れた。


 きっとこの先俺たちが顔を合わせることはない。もしかしたらどこかで会うかもしれないが、その時は同じ町の住人としてすれ違う時。俺は二度とステージに立つことのない普通の大学生で、あの子もただの学生さん。きっとそれ以上の関係にはならないだろう。


 そんなセンチメンタルな気分になった途端、ドアの向こうが騒がしくなった。


「(ちょ、あんた誰!?)」


「(ふえ!? あなたこそ誰ですか!?)」


「(そこ、金吾の部屋よね!? 私は金吾の友達なんだけど……)」


「(私は金吾のファンです!)」


 空李さんが誰かと話し込んでいる。相手は涼子か?

 何しに来たんだろう……。


「(ファン!? ファンの女の子が朝から何してるの!?)」


「(えっと……色々あって昨夜からお邪魔してました)」


「はぁぁぁぁ!?」


 秋の空を突き抜けんばかりに涼子の怒号が俺の耳をつんざく。


 その瞬間に悟った。俺が心を休める時間が来るのは当分先なのだと……。


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