第2話

 海というのは、山をひたすら下っていって、そこからひたすら平野を飛び続けていると、遠くに見えてきます。

 ヒバリも隣の山やふもとの平野にはよく遊びにいっていました。鳥人の親戚に会いに行ったり、その地域に暮らす動物たちと遊んだり、その場所をくまなく探検したり。

 だいたいは日帰りで帰ってくるのですが、はしゃぎすぎて気が付くと三日間くらい帰ってこないこともザラです。そういうときはシジュウカラが無理やり連れて帰ります。たまにシジュウカラも連れ回されます。

 海はいつも遊んでいる場所のさらに奥にあります。存在はわかっていたのですが、「そこまで飛ぶのは体力的にもキツいし、さすがにお母さんが心配するかもしれない」とヒバリなりに心配して遠慮していたのです。

 ……まぁ、結局行くんですが。

山を降りる頃には太陽の姿はありません。すっかり日は暮れていました。

 森も暗やみに包まれてさっぱり見えません。

「ヒバリ、こんなところで何をしている」

 そんな渋い声が、はるか下の方から聞こえてきました。茂みのなかから光る真ん丸の瞳がちらつきます。

「あ、トラツグミおじさん。こんばんは」

 全速力で飛んでいてもちゃんと止まってあいさつするヒバリ。良い子です。

 彼はヒバリから見ると伯父にあたります。妹がヒバリのお母さんです。

「待て、なぜこんな夜遅くに飛んでいる」

 しかし、飛び出してきたトラツグミおじさんを見るなり、また飛び始めるヒバリ。悪い子です。

「海に行くからです!」

「なぜ」

「魚を食べたいからです!」

「……全く、コウテンシも大変だな。止まりなさい、……連れ戻したりはしないから」

 ヒバリは伯父を無視するような悪い子ではないので、すぐに止まって伯父の方へ近寄りました。ヒバリはあまり夜目が利きませんが、トラツグミおじさんの立派さがよく分かります。

 毛並みは整っていて、茶色の毛並みがお母さんに似ていますが斑点模様がはっきりとしています。

「また好奇心に駆られて村を飛び出してきたんだな」

 ヒバリは、少しこの伯父が怖いところがあると思っていました。声が渋すぎるのです。

 そして彼女は、改めて言葉にされることで自分が軽はずみに村を出てしまったことを恥じていました。

「……はい」

「いや、責めてるわけじゃない。鳥人というのは自由を求めたがる性質がある。コウテンシ……、お前の母さんだって、昔は家出をしてたものだ。娘には厳しいところがあるかもしれないけどな」

「えっ」

 それを聞いてかなり見開いた顔をしています。

「想像もつかないだろう。若いころは君に似て結構お転婆だったからな」

 ヒバリからすると、お母さんはいつもにっこり笑ってるけど、ちゃんとルールを守るかっちりとした人でしたから、それはそれは驚きました。

「母がそんな人だったなんて知らなかったです」

「もちろん、口止めされていたからな。……海に行くんだってな」

 急に話題を変えるトラツグミ。これ以上話しすぎてもまずいと思ったのでしょうか。

「はい」

「あそこは面白いぞ。きっと、君も仲良くなれる」

「……誰とですか?」

 彼はニヤッと笑って、ただこう付け加えました。

「お母さんも仲良くなったからな。あのときは面白かった」

 きょとんとした顔をするヒバリ。やはり、トラツグミは話題を続けることを避けました。

 泊まっていくか? その問いかけに一言「大丈夫です」と返して、また、海にめがけて飛んでいきました。

 やがて、どれほど飛んだでしょうか。すでに息があがり始めていますが、それでもあきらめません。自分の気持ちにまっすぐ向きあって、ひたすら川を下り続けています。

 やがて、地平線の向こうから朝日が見えました。少しずつ、橙の光がこぼれて大地が照らされていきます。

 そのとき。

「水が……たくさんある」

 彼女は確かに、海を見たのです。彼女にとって、水がたくさんある場所ば川か湖しか知りません。彼女は、対岸の見えない大きな湖があるということを、その目を通して初めて知ったのです。

 水が暗い青に染まったそこは、確かに海でした。川は段々と幅を増し、磯特有の潮くさいすえた匂いが鼻をつんざくのです。

「やった! やった!」

 既にフラフラですが、なんとかして陸地に着地したいヒバリ。

 ボスッ。

 着地というより、河口近くの木々の一つに突っ込むような形で飛行をやめました。

 痛そう。

 とりあえず、力を振り絞って地上に降り立ちます。土を踏みしめると、思ったよりさらさらでした。

「粒が細かい……」

 近くからは、どうやら波の音が聞こえてくる様子。山の上で暮らしていると聞く機会のない音です。

「……やっぱりお母さんにすごい怒られるだろうなぁ」

 身体についた葉っぱを払いながら、そんな力のない独り言をこぼしました。

 当たり前ですね。門限はとっくの昔に破っていますし。

 それでも、彼女の顔はこれっぽっちも沈んでいません。

 まだ知らないものに喜びを感じる彼女にとって、海に来るというのは何にも代えがたく嬉しいものなのです。

 半日間飛び続けていたことを一切伺わせない、軽やかな足取り。羨ましいかぎりです。

 たったったったっ……。

 目の前に広がっていたのは、白い雲と青い空、塩辛い水。

 とても穏やかな光景です。

「お魚はどこにいるんだろ?」

 それはひとり言のつもりでした。

「水の中だよ」

 しかしそのひとり言には返事がありました。後ろの森から誰かがでてきたのです。

咄嗟に後ろに飛び退いたヒバリ。

 後ろには、鳥人とは明らかに違う人影がありました。

「あなたはだあれ? 私はヒバリ」

 ヒバリさん、知らない人には迂闊に名前を言ってはいけませんよ。

「僕はタチウオっていうんだ」

 彼は高い背丈をしていました。ヒバリから見上げると、彼女の倍近くあるように見えます。

 身体は幹のようです。太い腕、脚、胴。流線的な、とても整った身体をしています。

 そしてなにより……。

「身体がツルッとしてて変なの」

 彼の身体は鱗に覆われていました。しかし、鱗はかなりツルッツルです。ヒバリからすると毛に覆われてない身体は新鮮なのでしょう。他にも腕や頭には小さなヒレが備わっています。

「僕は魚人だからね」

「魚人……?」

 どうやら聞きなじみのない言葉のようです。

「普段は海で暮らしてるんだ。そういう君も全身毛が生えてるなんて不思議だね」

「私は鳥人っていって、普段は山の上で暮らしてるの」

 だから空を飛べるんだ。そうしてヒバリは、空を一回り飛んでみせました。

 一通りヒバリが飛び終わると、タチウオは「なんで海に来たの?」と問いかけました。

「私ね、海にたくさんいるっていう『お魚』を食べに来たんだけど……、どこにいるか知ってる?」

「その中にいるよ」

 そういって、銛を海に付き出しています。

「え!? 水の中に入らないといけないの?」

「……うん」

 何を言ってるのか、さすがに理解できない様子のタチウオ。まさか、魚が水の中で生活していることを知らないとは考えられないのでしょう。

 しかし、魚について知らないヒバリからするとこういう認識なのです。

「どうしよう……、私羽が濡れちゃうから魚とりにいけない……」  

 それを聞いたタチウオが助け船を出しました。

「とってきてあげようか?」

「いいの?」

「いいよ、だから僕からもお願いがあるんだけど……。あそこにいる鳥を食べてみたいんだ」

 タチウオが指をさした先には、白い羽の小さな鳥がいました。

「鴎のこと?」

「へぇ、カモメっていうんだ。僕、生まれてから鳥食べたことないから、ずっと食べてみたかったんだ」

「えー! おいしいのに……」

「僕には翼がないからね。君たちみたいに空を飛べないから」

 なるほど、空を飛ぶ力というのは誰もが持っている力ではないのか。ヒバリの新たな発見でした。自分たちは当たり前のように飛んでいるけれど、確かに鹿や猪は空を飛べないし。思えば自分だって、水の中を泳ぐことが出来ないじゃないか。

「分かった、ちょっと待ってね」

 ヒバリは少しかがんだあと、すぐに空中に向けてジャンプしました。大きな羽をはばたかせて、少しずつに鴎に肉薄します。

 鴎も狙われていることは分かっていますから、なんとか旋回を効かせて逃げ切ろうとしますが、ヒバリの方が一枚上手。ここからが本番です。

 空中で一気に方向を変えたかと思うと、鴎の飛ぶ方向に先回りしてそのまま嘴でくわえてそのまま戻ってきます。

 中々に鮮やかな身のこなしです。決して大柄ではないですが、その分すばやさとしなやかさで立ち回っているのです。

 弓矢はあまり使いません。そっちはシジュウカラが得意としています。

「すごいね、うん、その、かっこよかったと思う……」

 おやおや、随分といいよどんでいるタチウオくん。

 見ると顔が少し赤くなってるようにも見えます。

「はいどーぞ」

 そう言ってヒバリは手渡そうとしますが、彼は首を横に振ります。

「次は僕の番かな。見ててね」

 ヒバリ二人分にもなりそうな大きな銛をかかえながら、海に向かって全力疾走していきます。首まで浸かったところで、泳ぐのに切り替えてドンドンと加速していきます。

 強い足で勢いをつけ、ヒレを使ってスピードをコントロールする。いいバランスです。

 やがて、彼は視界の端に小さな魚影を見つけました。それを見て迷わず振り下ろします。

 大きな水柱が、少し沖の方で立ち上がりました。

 銛の先には二匹の魚。

「すごい……! これなんて言うの?」

「アジ」

銛についた魚をとって、それをぶっきらぼうに手渡します。ヒバリも思いだしたように、手に持っていた鴎を手渡しました。

「一緒に食べようよ」

 これを機に二人の会話は弾んで、仲良くなっていきました。

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