空の小鳥、海の大魚

紺狐

第1話

 ある山の上に、鳥の翼を持った人々が住んでいました。彼らは自らを「鳥人」と名乗り、山の獣を狩り、小さな鳥を射止め、木の実などを採りながら、そこに村を築いて暮らしていました。

 ヒバリもまたその一人でした。

 毛並みは穏やかな白で、瞳は丸く、顔は小さい子です。肩には小さなショルダーバックを背負っています。

「あー暇だなー。何か面白いことないかなー」

 彼女はダラけているわけではありません。

 例えば、遠くに彼女が訪れたことのない山があるとしましょう。

 そこまで飛んで、まだ見たことのない景色や初めての体験をすると、彼女の心は喜びに満ち溢れ、興味の山頂に辿りつきます。

 しかしいつまでも、知らないままでは済みません。

 慣れてくると、また新しい体験を感じたくなり、暇の谷底へ転げ落ちていきます。

 今はその谷底です。心を少しでも暖めるため、彼女は優雅に木の上で日光浴をしていました。

 しかしいつまでもさぼっているわけにはいきません。

「ヒバリー、ちょっと手伝ってー」

「分かったお母さん。すぐ行くー」

 木から鋭い角度で滑空して、お母さんのもとに駆けつけようとすると、半分くらいの背丈の子たちに囲まれます。

「ヒバリねえちゃ、ヒバリねえちゃ。あたしにわっかかざりのつくりかたおしえて」

「ずるいよ、あたしにもおしえて」

 ヒバリの妹、ヨシとキリです。姉にかなり懐いていますね。

 しかし、生憎とお母さんに呼ばれたばかり。

「今度遊んであげるからね、お母さんのお手伝いしなくちゃ」

 そういって優しく頭を撫でてあげました。

 しかし中々聞いてくれません。

「「やだー。遊ぶったら遊ぶのー」」

「うーん……」

 そこを通りかかったのは、黒っぽいの頭の青年でした。

「どうしたんだ」

「あ、シジュウカラ」

 シジュウカラと呼ばれた彼は、ヒバリよりも一回り大きな背丈をしていました。頭だけでなく、身体の真ん中を突き抜けるように黒い毛があります。ただそちらの方は、どこか青っぽい要素を持ち合わせている気がしました。

 顔立ちはどこかヒバリに似ています。もちろん、ぼんやりとですが。

 親戚ではありません、ただのご近所さんです。

「ちょっと遊んであげてくれない?」

「今ヨシキリ双子と遊んでる余裕ないんだよなぁ……」

 しかしシジュウカラ、ヒバリ妹たちにはあまり好かれていません。

「シジュ兄嫌い」

「シジュ兄ケチ」

「だってよシジュウカラ。いっつも大人げないからだよ」

 ヒバリにまで追い打ちをかけられて、シジュウカラ撃沈しています。

「別に! 俺だって! 鬼ごっことか、手抜いてるよ!」

「そういうところが小さい子から嫌われるんだよ」

「うるせー!」

 あ、シジュウカラ、むきになって女の子を追い回してはいけませんよ。そういうところですよ。

 かわいそうな彼をフォローすると、それなりに頭も回りますし弓の腕は結構ありますし、ヒバリもちゃんと実力は分かってあげてます。それはそれとして、彼は子供受けがよろしくありません。

 あーもう。ヒバリも当初の目的を忘れて完全に遊んでいます。これはシジュウカラのせいですね。

 さて。

 彼女はここでの暮らしに満足しています。ただ、どうしても時々、抑えられない未知の世界への欲求に駆られ、それを追い求めないことが退屈に感じてしまうのです。

「ヒバリ、遊んでないで。……あら、シジュウカラくん」

 そんなうちに、後ろからやってくるヒバリのお母さん。ヒバリよりも茶色っぽい毛に包まれていますが、ヒバリに似てすらっとした美人です。

「ヒバリが邪魔してごめんなさい」

「いえいえ。こちらこそ邪魔してすみません。じゃあ俺は狩りにいきますんで……」

「あら行ってらっしゃい。おっきな獲物を楽しみにしてるからね」

 そそくさと立ち退いていくシジュウカラ。美人だけれど、眼の鋭いヒバリのお母さんにはどこかプレッシャーを感じるのでしょうか。……頑張れ、シジュウカラ。

「さっ、ヨシ、キリ。あなたたちは空を飛ぶ練習してなさい」

「「はーい」」

「ほらついてきて」

 緩やかな坂を登っていくと、開けた広場のような場所に出ました。

 何羽もの鳥人たちが何かを取り囲んで集まっています。

「ヒバリにはこっちのお魚を捌いてほしいの」

「今日お魚⁉ あの、『お魚』⁉ 私、できないよ」

 普段、魚は食べません。山の上ということもありますし、鳥人は羽が濡れると水を吸い過ぎてうまく飛べなくなってしまうのです。道具を作れば捕まえらますが、どちらにせよ、水辺に近づくので濡れていまいます。

 そのため、魚を食べる機会などほとんどありません。精々、打ち上げられた魚を食べるくらいです。そして、ヒバリは生まれてこのかた、「お魚」を食べたことがありません。

「だから、練習して捌けるようになったほうがいいでしょ。ナイフとってきて」

「今持ってる」

 ヒバリは後ろからさっと石で切った小さないナイフを取り出します。

 それを見たお母さんは、険しい顔。

「……刃物をずっと持ってるのは危ないって言ってるでしょ」

「てへ」

「あんまり女の子が持ち歩くものじゃないのよ。……それじゃあ、まずは背骨越しに……」

 ヒバリは物覚えが良いですから、すぐにコツを掴みました。

 鳥人にとって鮭はかなり大型の魚ですが、ヒバリは上手に体重をかけ、身体を使ってうまく捌いていきます。

 その手際は、周りの大人たちも思わず声をあげるようなものでした。

「……そうしたら、食べやすい大きさに切れば完成よ。残りは私が調理するときにやるね」

「はーい」

「切れ端食べてみる?」

「うん!」

 そこら辺に転がっている切れ端をひょいと掴んで、ヒバリに手渡ししました。

「お肉がお日様の色してる。不思議―」

「全部のお魚がこうなってるわけじゃないのよ」

 初めて見たときは、確かにあのサーモンの色は衝撃的でしょう。

 さて、初めて食べるそのお味は……?

「おいしい! お魚おいしいね!」

 ヒバリの舌ととても相性がよかったようですね。あたり一面に響き渡る声ではしゃいでおります。

「あんまりはしゃいじゃダメよー」

 しかし、お母さんの忠告が耳に入る気配はありません。

 興奮してしまった彼女は、もう居ても立っても居られないのです。

「ねぇ! お魚ってどこにいるの? 川?」

「たしか、海にはたくさんいると聞いたことがあるけれど……」

「わかった! ちょっと行ってくる!」

 圧倒的行動力。

 一気に飛び立とうとするヒバリさん。しかし、お母さんはそうもいきません。

「待ちなさい。今から出かけるなんて駄目に決まってるでしょ」

 もちろん、こんな制止が無意味なことをお母さんは知っています。

 それが彼女の好奇心をせき止められたらどんなにいいことか。そう思っていたことでしょう。一度ヒバリが決意したことをくつがえすのはそんなに容易ではありません。

「そんなに遅くならないから!」

「海に行って、そんなすぐに帰ってこれるわけないでしょう!」

「じゃあね!」

あっという間に飛び立ってしまうヒバリ。

 もうこうなったら誰にも止められません。

 後から追いかければ良いじゃないかって? ムリです、幼いときから好奇心に身を任せるままあちこちを駆け回っている彼女は、村の中でも一番飛ぶのが早いのです。

「おい、どこいくんだよ」

 そこに通りかかったのはシジュウカラ。

 狩りから戻ってきたのか、足にはちっちゃなウサギをつかんでいます。

「うみー」

「海!? ここからどんだけあると思ってんだよ、ずっと飛び続けても半日かかるぞ」

 シジュウカラ、速いです。ぴったりとヒバリの横をキープします。

 なぜこんなことができるかというと、こうやってヒバリが飛び出したときに連れ戻す役回りを回されがちだからです。

 そんな役回りになるのは村のなかで、ヒバリの次に飛ぶのが速いからです。なんで速いかというと、ヒバリが飛び出したとき(以下略)。

「今から行けば明日の朝にはつく!」

「それ絶対、おばさんの許可とってないだろ!」

「うん、シジュウカラ後はよろしく!」

 まるで、「ちょっと散歩行ってくるからよろしく」みたいなノリです。随分お気楽な人です。

「冗談じゃねぇ! こっちはお前がいなくなる度に探しにいかなきゃいけないんだぞ! 叔母さん、お前が帰ってくる日が延びれば延びるほど期限悪くなって……」

「知ってる」

 シジュウカラの嘆きはもっともですが、そうしているうちにどんどん距離は離れていきます。

 最初はぴったり横をキープしていましたが、今やシジュウカラの頭がヒバリのつま先くらいの位置です。

「俺が苦労するから、すまんな!」

 シジュウカラはヒバリの足を嘴でついばんで落とそうとします。レディに対しての振る舞いとは思えませんが、後で困るのは自分自身ですから、本気です。

 しかしタイミングに合わせて足を動かし、首の皮一枚スレスレでの回避をキープ。 

「こっちも私の好奇心だから、ごめんね!」

 返しは見事です。

 空中で華麗にバク転を決めたヒバリ。トップスピードで追いかけていたシジュウカラは思わずバランスを失いかけます。

 そこに間髪入れず、背中へのダイレクトキック!

 小柄とはいえ体重とスピードが乗っている上に、背中に爪を食い込ませたのです。ダメージは大きなものでしょう。

……ドンマイ、シジュウカラ。

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