478話 アメリカの投資信託会社

10%〜25%のお金を出せば株が買える証拠金の株取引。

後発参入し始めた投資信託会社は大々的に小口投資家に売り始めた。


これらの投資信託会社は1921年には40社しか存在していなかった。


だが、1926年までに139社が設立されるのだが、1927年には1年だけで140社が増え、1928年には186社が設立されて急増している。

そして1929年には265社が設立された。

これらの投資信託会社の増え方が、

まさに株バブル時代を象徴しているような、無茶苦茶な増え方だ。


アメリカの普通の家庭の人が財テクの1つとして薦められるままに買ってしまった株だが、暴落が始まったら売って逃げる事もできずに大損してしまう小口投資家達を大勢出してしまう。


そして現金化しようと売り注文が殺到して株の売り圧力は大変な圧力になった。


そして追い討ちをかけるように失業者の増え方は凄い勢いで増え始めていた。


株の暴落から2ヶ月後には数十万人の失業者が生まれたと言われている。


フォード自動車を見てみると、史実では12万5〜8000人が居た労働者が1929年の末には

10万人に減っており、2万5000人がレイオフされ、その後も減り続けた。

史実では1930年の9月には3万7000人に減少している。70%減に近い減り方だ。ほぼ1年で9万人を解雇している。


新型のタイプAにフルモデルチェンジしたフォード自動車のような優良企業ですら、ここまで工員を減らさざるをえなかったほど売れ行きに急ブレーキがかかっていた。


ゼネラルモータースも同様に判断して

工員を減らす苦渋の決断をしている。


自動車関連の労働者でも10万世帯を超えている世帯が急激に出費を削り、物を買うローンを使うのをやめ、出費は最低限にしている。


株を買っていた小規模投資家、いや普通の人達は、この時始めて株式投資の恐ろしさを思い知ったのかもしれない。

USスチールやゼネラルモータースなどの大企業の株も買う人がいなければあっという間に半分以下の株価に下落してしまう。

もしかして、また値上がりするかもと思って見守っていると、また暴落が始まる。

「「「「「なんで業績の良い大企業の株がこんなに下がるんだ!!」」」」」


もう少しで史上最高値だと言われていたのだが、今では高値だった頃の40%以下を乱高下して50%水準にすら戻らないでいる。


急速にアメリカの景気は悪くなっていった。少なくとも中流階級の人達は嵐が来たものと思って景気が回復し出すまでは出費を抑えようとし始めた。


繁華街も火が消えたようになり始めた。


フーヴァー大統領は選挙のスローガンで『大きな家、ガレージには車が2台あるのがあたりまえの時代になる!』

と言っていた。

家の値段も平均年収2000ドル時代に6000ドルと安い家を注文して建てる事ができたしガレージも普通に持てる時代だった。

新車でも30%ちょいの頭金があればローンで買えたし、モデルTが出始めな頃とは大違いだった。


ところが株は大暴落して戻る気配が無い、、、人々は景気は循環すると藁にすがるように好景気を望んだ。


その時には300億ドル近い金額が失われていた。

あの世界大戦でアメリカが使った戦費よりも10倍以上も大きな金額が失われたのだ。


金本位制のアメリカではドルを出せば金がいくらでも買えたのだが、5億ドルを超える金が欧州へ出て行った。


投資信託会社や証券会社の業績は想像以上に悪化していた。

冷水を浴びて、多くの人達は浮かれた夢の中から現実に覚めていた。


すべての株が大暴落して下がり続ける悪夢を知って小口投資家は株をやめてしまった。

大規模なクビ切りが始まって、株どころでは無くなったのだ。

いや、フォードだって、育て上げたベテランの工員をクビになんてしたくはない。


大暴落が始まる前は更に資本を投入して工場を建設するつもりだった。


だがシボレーの新車のスペリア シリーズに負けて敗北を認めざるを得なくなり、生産ラインをモデルAにする為に

モデルチェンジをしていた時に株の大暴落が起きたのは大きな痛手だった。


大暴落後はガラリと世界が変わった。


歩いてフォードの工場にやってくる失業者の群れ、、、

このデトロイトにも失業者が溢れようとしていた。


それまでのフォードに勤めていた労働者は自分達の給料が日払いの日給制である事になにも不安を持っていなかった。

デトロイトは、ずっと好景気だったし。

デトロイトに働き口が無いと聞いて、

失業者達は耳を疑った。

「「「「そんなのありえないだろう?

ここはデトロイトなんだぜ?」」」」


だが、ヘンリーフォード達、フォードの幹部ですら、状況の悪化に頭を抱えていた。

こんな事になるとは思ってもいなかったのだ。


そもそも、ヘンリーフォードはモデルTに絶大な自信を持っていたのだ。


これほどまでに安くコンパクトで素晴らしい自動車なら売れ続けるだろうと思っていた。


だが数字は残酷だった。

売れ行きは悪くなり、GMの新車は売れているのにモデルTの売れ行きは落ちて行った。


ヘンリーは素晴らしい経営者だったが

彼の理解できない事が立て続けに起きようとしていた。


会社の会議室での彼の姿を見たら、

宇垣昌弘なら、『YouTubeに出てた吹き替えのヒトラーさんみたいだ。』

と言ったかもしれない。


彼は本気で、『フォードの株がこんなに下がるはずは無い』と思っていたし、『なんでモデルTが売れない!!』とも叫んでいた。



いや、ゼネラルモータースのウィリアム・デュラントさんの方が苦悩は大きかったかもしれない。


ゼネラル・モータースは1923年には世界でも2番目に大きなオフィスビルを建設して、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。


自動車やバスやトラックのバリエーションは多く、まさに世界一の自動車メーカーだった。

フォードなんか一周遅れにしてしまって、いずれは買収しようと思っていた。独占禁止法が無ければやっていただろう。



(史実では1920年に起きた金融危機の時にデュラント自身がGMの株式の買い支えを行って莫大な負債を背負ってしまい、デュポンとモルガン商会の資金援助によって危機を脱出するが、デュラントはGMを去る事になっていた。

その後にデュラント・モーターズを設立して、大株主になるなど復活したが、、、)



この世界では金融危機はそれほどでは無く、デュラントはGMのトップに立っていた。

複数の自動車メーカーを買収し、ドイツのオペルを買収したところで株価の大暴落が始まった。


デュラントはゼネラルモーターズの株価を守る為、自分の私財を注いだ為、巨額の負債を背負ってしまう。


ゼネラルモーターズは株価の買い支えで会社としても大きな損失を背負ってしまった。


あの大暴落によって多くのアメリカ企業が粉飾決算を行うようになる。


だが隠し切れるはずも無く、次々に粉飾決算がバレてアメリカの不況はより長く伸びるのだが、、、


銀行にせよ投資信託会社にせよ、

アメリカは野放図に増やし過ぎた。


経済の規模に見合った適正な数というものがあるはずである。


いや、その教訓を得るのはこれからか。


車も家電製品も新しく出て来た物だしね。

それに平均年収2000ドル時代に370ドルの安い車を売りに出したフォードは偉いと思う。

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