460話 大正9年の戦後恐慌(1920照和日本)

ここで、この照和世界のちょっと前に触れておきたい。

向こう側の昭和の手前では第1次世界大戦が起きていない為、もっとも違うのがWW1、(第1次)世界大戦と戦後の恐慌である。


日清戦争の時も日露戦争の時も戦争前と戦争中は派手にお金が動いて物資を買い漁る為株価は実態よりも大幅に上昇していて投資家の日本国民は儲けていた。


史実の朝鮮戦争もそうだが、周辺国にとって戦争は実に美味しいものだ。


1918年(大正7年)11月のドイツ帝国の敗北により、第一次世界大戦が終結したとき、同じように大戦景気は一時沈静化はした。

しかし、ヨーロッパの復興が容易でないと当初は思われ、また、アメリカ合衆国の好景気が持続すると見込まれたこと、さらに、中華民国への輸出が好調だったことより、日本の景気は再び加熱し始める。


ヨーロッパからの需要も再び増加して輸出が伸びはじめた1919年(大正8年)後半には金融市場は再び活況を呈し、大戦中を上まわる大正バブルとなった。

このときのバブルは、繊維業や電力業が主たる担い手であったが、商品(綿糸・綿布・生糸・米など)・土地・株式などの投機が活発化し、インフレーションが発生している。


1920年(大正9年)3月に起こった戦後恐慌は、第一次世界大戦からの過剰生産が原因である。

日本経済は、戦後なおも好景気が続いていたが、ここにいたってヨーロッパ列強が生産市場に完全復帰し、日本の輸出が一転不振となって余剰生産物が大量に発生、株価が半分から3分の1に大暴落した。

4月から7月にかけては、株価暴落を受けて169もの銀行で取り付け騒ぎが続出する。


大戦景気のおかげで日本は債務国から債権国に転じたが、上記のように1919年(大正8年)以降は輸入超過となり、大戦景気で輸出が好調だった綿糸や生糸の相場も1920年(大正9年)には半値以下に暴落して打撃を受けた。

これにより、21もの銀行が休業、紡績・製糸業は操業短縮を余儀なくされた。休業した銀行の多くは地方の小銀行であったが、横浜の生糸商3代目茂木惣兵衛の経営する茂木商店が倒産したため、茂木と取引のあった当時の有力銀行第七十四銀行も連鎖倒産している。


政府の救済措置により恐慌は終息をみたが、大戦中に船成金として羽振りのよかった山本唯三郎、一時は三井物産をうわまわる取引をおこなった神戸の貿易商の鈴木商店、銅の値上がりで巨利を得た日立鉱山の久原房之助、高田商会、吉河商事など、大戦時に事業を拡張した事業者の多くが痛手を受け、中小企業の多くが倒産した。


こうした事態に対し、企業経営者の間には粉飾決算で利益があるように見せかけることが横行し、銀行も不良債権を隠匿して利益を計上するケースが多く、これが事態をさらに拗らせた。


これに対し、三井財閥、三菱財閥、住友財閥、安田財閥など財閥系企業や紡績会社大手は手堅い経営で安定した収益をあげ、その地位を向上させ、結果的に独占資本の強大化をもたらした。


手堅い経営をしている企業にとって、

恐慌は大儲けのチャンスなのだ。

『資産家は恐慌時に生まれる』

という株の格言もある。

ジョン・F・ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディ(1888年 - 1969年)が空売りを行って大儲けをしたのも世界大恐慌時だし、石油王のジャン・ポール・ゲティが財閥を作ったのも大暴落前に売り抜ける事ができたからだ。


日本の大財閥達も不況や恐慌のチャンスの時に株価が暴落した競争相手の株を買い占めて経営権を握り、吸収してより大きくなっている。


1920年代は、「慢性不況」と称されるほどの長期不況が支配し、大戦期の輸出で花形産業となった鉱山、造船、商事がいずれも停滞し、久原・鈴木は破綻し、重化学工業も欧米製品の再流入で苦境に立たされることとなった。


1920年代の「慢性不況」は、大戦時の輸出が主な「大戦景気」と戦争直後の「バブル経済」的なブームのあとにきた反動によるものと把握できる。


この慢性不況時に起きたのが関東大震災(1923年9月1日)である。


せめて関東大震災の1年前、いや、1915年頃にこちらに来ていたらとか

思ってしまうが、もう取り返しはつかないのだし、これから頑張るしかないだろう。


大正デモクラシーといっても、大正9年には戦後恐慌でこんな事になっているのだ。


鈴木商店だって死ぬ寸前でなんとか息を吹き替えし、宇垣を相手に稼ぎを伸ばしている。


さて、株のフローチャートを見て見ると、戦争前、戦争中の急激な株価の伸びは、上昇したのと同じ角度で戦後に急降下している事が多い。


アメリカにとっては大きな不況だった

1907不況からのアメリカの株価のチャートを見て見ると、第1次世界大戦バブルの膨らみの大きさと同じ角度で株価が急降下した時の被害の大きさが予測できてしまい、セイバーやランサーは

とんでもなく被害が大きくなりそうな予測ができて驚いていた。


あの大暴落でアメリカは最低でも100億ドルは失っている。

当時のアメリカで発行されていた通貨は50億ドルなので、その2倍の通貨が失われている。いや、3倍でもおかしくはない。

なんせ、新しい成功者達やセイバー達は宇垣の仲間なのだから。

彼らの資産は宇垣の物なのだ。



いや、宇垣昌弘はそれほど世界大恐慌の知識は持ってはいなかったが、

大規模な銀行の倒産とか、

あれほど多くの物資を製造したWW2

第二次世界大戦ですらアメリカの経済は復興途中だったという事とかは知っている。



日本は、大勢の金持ちゴーレムの流入、大規模油田の発見、鉱山を再開発して大規模な資源の再発見、戦後恐慌と関東大震災から復興する為のケインズ的な積極的財政投資と日本の通貨価値が高くなっている事から金本位制への復帰をやめた事が良い方向に向かって、日本は好景気を維持している。


そして錬金工場でより高品質に改造して高級製品にして輸出している綿製品や絹製品の関連企業は息を吹き替えして好景気になっている。

なんせ宇垣はあればあるだけ買っている。


米価の高値安定政策の方は宇垣に時間が流れないアイテムボックス内部保管と、錬金工場で品質を高くしつつ、米不足の時を見計らって売却できているからこそ、できている事だが。


こうして農家の経営を安定させる為に

農作物を高めで買い取りつつ、学校給食も余剰食糧の消費の為、都市部から導入を推進し始めたりしている。



余談だが、都会の小中高大で相応の給食、学食を食べている作者だが、

ゴーレム達の作ってる給食や学食は

美味しくて量も多い事で評判が高い平成後半の大学の学食や有名企業の社員食堂なみにレベルが高い、、、


うわっ、羨ましい。

こんな学食があったら1日に2回は食べに行くわ。

と言いたくなる作者なのだった。


だが、宇垣昌弘や作者が大好きな青椒肉絲のメニューはピーマンが多い為、

美味しいのに子ども達からは大不評らしい、、、


ピーマンの肉詰めなんか惣菜として出ていたら必ず買うくらい好きなのだが、、、


ともあれ、先に戦後不況がやって来て、不況対策をしていた日本は世界大恐慌の悪影響を史実でも躱す事ができていた。


宇垣がやって来た、この日本は更に経済が安定して良くなっている。


だが、世界大恐慌はまだこれからが本番なのだった。

今までのダウ平均株価を見て判明した。

宇垣昌弘は思い出していた。

たしか、ダウ平均は史上最安値になってたと、、、

そう、1800年代の頃のダウ平均の最低値に下がっているのだ。


アメリカは溜まりに溜まったお金を注ぎ込んでマネーゲームをやりまくった結果、ダウ平均株価をそこまで下げてしまったのだった。


つまりグラフは全然足りていない。

1870年代くらいから今までのダウ平均のグラフが必要なのだった。

上がるだけ上がったアメリカの株価は

そこまで落ちてしまう。

史実と同じならだが。


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