442話 焦土作戦 (1929照和・中華民国)

日中戦争の時に行われた焦土作戦が

今、行われています。


武漢まで駆逐艦を遡らせた米英は千数百発の砲弾を満遍なく武漢に撃ち込みました。

焼夷弾が爆発して武漢は火に包まれて

70〜80%の市街が焼け10万人近くが死亡したのではと言われています。


行きがけの駄賃で漢口も砲撃され、(元)租界地域だけでなく漢口全体が焼かれて数万人が死んだと言われています。


国民党軍も中国共産党軍も焦土作戦を開始して、井戸を汚し敵軍の宿泊所になりそうな村を次々に焼いて

行きました。


米英と中国の戦争の本格的な開始はこれからとも言われています。


この時蒋介石は、

『長江にいくつもダムがあれば一斉に放流して上海に大洪水を起こして大勢のアメリカ人を殺せたのに。』と言って悔しがったそうです。


蒋介石は南京城を取り戻せた時に南京城で死守して戦えと命令したのですが将軍と幹部が逃げ出して、兵士も武器を捨てて逃げ出して米英軍が進駐した時には誰もいない状態だったそうです。

民間人も殺している米英軍には民間人に擬装する便衣兵戦法は意味がないので逃げるでしょうねえ。


ですが、多くの井戸を汚された事は

何気に米英を苦しめていました。


中国兵は南京城防衛の準備はそれなりにしかしておらず、周辺の中国人から略奪する事ばかりしていました。


中国兵は略奪するだけの物を全部略奪して、逃げる時に武器(小銃や鉄兜)が邪魔になるのなら捨てて逃げる事ばかり考えているようでした。

自分の身を守るなら拳銃があれば充分ですし。

もちろん、小銃や弾丸が高く売れるなら売って姿をくらまします。


農村や南京の市街地に嫌がらせで火を付けたのは『清野作戦(焦土作戦)』と国民党軍は言っているようでした。

(史実と同じ作戦名ですね。)


清朝時代に20万人の労働者を動員して21年をかけて作られた三重の城壁を持つ南京城ですが巡洋艦の主砲の前には城壁は役に立ちませんからねえ。


城壁の長さは35kmもあるため、守るにも大軍が必要です。


この南京の再度の占領や武漢への砲撃、襲われて租界の人達が酷い目にあった漢口への砲撃もフーヴァー大統領の支持率を上げました。


アメリカの経済の状態はよくはありませんが、

フーヴァー大統領は『中国各地の租界は広がり、全域を占領した上海や南京は富を生み出すだろう。』

『中国、満州の豊富な資源はアメリカを潤すだろう。』

『領事館を攻撃する悪逆な中国人暴徒を倒さなければならない。』と演説して、マスコミも褒め称えています。


なんせ戦争が始まってからアメリカの新聞の発行部数は増えに増えています。


対スペイン戦争、第1次世界大戦、そして対中戦争、、、戦争になれば確実に新聞社は大儲けできています。


新聞が売れるのでマスコミは戦争を大喜びしていました。


『ソ連と中華民国に苦しめられている

祖国モンゴルを救ってください』と、

モンゴル人美少女は全米の州をまわって訴えて演説会をしています。

洗脳魔法をかけながらの演説だけに効果は抜群です。


彼女は蒋介石や宋財閥を名指しで非難しています。

南京での領事館の襲撃には蒋介石と宋財閥が関わっていると言っています。


まぁ、南京には蒋介石の軍隊が居たのに暴徒の襲撃から領事館を全く守ろうとしていないのだから、責任はあります。


警察も軍隊も1人も領事館を守ろうとして動いていません。

いや、日本領事館の門を開けさせて暴徒を入れようと画策すらしています。


そして排外運動を起こしたのも蒋介石なのですから。


更に上海や南京周辺は宋財閥の地元です。


実は、蒋介石は嫌がらせをすれば米英は租界を放棄して逃げて行き租界を取り戻せると思っていました。


アメリカ大使は排外運動で治安が悪くなるから北京大使館を閉鎖して海沿いや川沿いの避難し易い場所からアメリカ市民を撤退させるべきだと言っていましたし。


アメリカが派兵するにしても、それほど多くの兵士を派兵はしないだろうと侮っていました。

(義和団の時も日本の兵力が頼りでしたしね。)


まさか大勢のインド兵士やフィリピン兵士がやって来るとは思っていませんでした。

第一次世界大戦の時にイギリスが100万を超えるインド兵士やアフリカ兵士を動員した事を知らなかった様子です。



『矢に毒を塗って使えば、米英は恐れる事は無い。』と毒矢のアイデアを出して広めたのは神槍と名高い武術の達人の李書文だとの噂が広まりました。


李書文の義勇兵は『悪逆非道な米英を毒矢で倒せ 李書文』と各地に書き記しました。


その李書文老師は『どうか我々に武術を教えてくださりませ。』と言われ、ダンジョン内で日本人に武術を教えながら暮らしていました。

蒋介石らが各地の富豪から過酷に税金を取り立てているのを見て、大陸に嫌気がさしていた李書文は弟子を伴って

日本に滞在していたのです。


もちろん、李老師の影武者は北京などを転々と移動して米英軍を倒して、英雄視されるようになっていました。


李書文は岳飛将軍の生まれ変わりだと

言われるようにもなっていました。


まぁ、弟子の我らからの師匠へのプレゼントですよ。

李書文の名は千年後の未来にも武名が轟く事になり、関羽将軍や岳飛将軍と

並んで信仰される様になるでしょう。

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