限られたパイは、大きく切り取れるところが切り取る。清の扱いからも分かる悲しい真理なんですねぇ。
作者からの返信
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ええ。本来なら北海道庁が下げ渡す土地の事に関しても管理して開拓民に
渡すべきだったんですけど、開拓民が逃げ出した場合の事も考えて土地の管理を移民会社にさせたんでしょうね。
で、住居とかに掛かる費用を極端に切り詰めようとして、ああなっていったのではと思っています。
本来なら北海道庁が村ごとに出張所を作って開拓民を支援しなきゃいけなかったんですよね。
現実の昭和初期の北海道は内地・外地なんですよ交通も不便極まりないし広いし内陸部の寒さは内地の人間には想像も付かないと思いますよ
当然非道いヤツはアイヌを騙してた時からズルく居る訳ですよ
米もまだまだ改良されて無いから粒が小さめですし、寒冷地に強い作物がメインです。木の植生が松・白樺系なので内地とは別物なのです。
気候的には湿度が低いので良い面もありますが
作者からの返信
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内地人の差別もあったし、『騙された貧農の連中なんか』という差別感情もあったかもしれませんよね。
なんにせよ、かなり大きな日本の黒歴史の1つと言えますね。
試されまくる大地北海道!試すのは大自然くらいにしてくれないかなー、人間が関わると矮小な地獄になるからなー!許さんぞー!
作者からの返信
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はい。ただでさえ自然が過酷で冬の寒さを乗り切って生き延びるのが大変なところで奴隷の様な労働環境ですからね。
筆舌に尽くし難い苦難があったと思います。
百姓貴族の話でもあったけど、初夏に農耕馬を連れて開拓地に入り、秋に人は本土に帰るけど、馬は野に放す、翌年また農耕馬を連れてくるってサイクルだったらしい。(生き残ってた馬は捕まえて農耕馬として利用)
農家にとって、重要な財産であるはずの馬すら持って帰れないほど本土への往来が困難な点も問題なんだろうな。
作者からの返信
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当時の船だと馬の輸送は大変だったでしょうからねえ。
厳寒期は開拓できない為
開拓する期間が短いのも
北海道の開拓を困難にしてましたね。
かと言って馬がいなければ開拓は困難だったでしょうし。