401話 上海大火(1928照和)
その日は風が強い日でした。
上海の周辺にある中国人の貧民街から
いきなり火事が起きました。
それも1ヶ所や2ヶ所からではありません。
現在の上海の地図で言えば南翔の上海大学のあたりから、道路にそってシン荘の方までの風上地域からの数百カ所を超える出火、いや放火でした。
しかも可燃物による放火です。
大量に可燃物を持ち込み火を付けてできた炎の壁が風下に向けて燃え広がって行きました。
『上海の米国人は皆殺しだ!』『殺せ!殺せ!』と言う声が聞こえてきます。
上海に駐留していた1万数千名のアメリカの師団も必死に消火しようとしたのですが、消火機材も少なく避難誘導するのがやっとでした。
火の勢いは黄浦江でも止まらず、上海の中心部を焼きつくしつつ川向こうまで飛び火しました。
死者行方不明者は十万人を超える大惨事になってしまいました。
火を避けようと川に飛び込んで溺れた人も多かったようです。
そういえば、あの義和団の乱の時は
関羽や趙雲などの有名な武将が神として崇められていたと言いますが、
諸葛亮や周瑜を崇める動きがあったとか、、、
風上の数百カ所以上で放火するとは恐ろしい事をするものです。
しかも、この放火には自発的な放火も含まれていました。
米国人や欧州人、奴らの手先の中国人や富豪(漢奸)は焼かれて死ね!という事なのでしょう。
儲けている中国人に対する嫉妬の感情が伝わってきます。
まるで関東大震災の時のような想像を絶する大火事だと日本でも報道されました。
宇垣昌弘にとっても想像もしていない
大火災でした。
幸い、ゴーレム達は転移して逃げたので無事でした。
まるで風の谷のナ○シカの炎の7日間のようだと思ったゴーレムもいました。
当時、現場にいたゴーレム達は僅かな人数で逃げるのに精一杯。
精霊魔法で何とかしようとしたゴーレムも居たのですが、これほどの大火事になってしまうと大雨を降らすしかないと気がついた時には上海の中心部のあたりにも延焼していました。
アメリカとイギリスは激怒します。
新聞は中華民国なんか滅ぼしてしまえ!と書き立てます。
更に英米本国から中国人が追放される動きが出てきます。
日本人の移民も、アメリカ本土で最も人種差別の少ないユタ準州に引っ越す動きが出てきます。
ユタ州は他の州とはまったく違っていて人種差別が少ない州です。
元々上海には国際共同租界とフランス租界の2つがありました。
ですが多くの中国人が流入し治安が悪化していました。
1925年には中国人の共産党員によるデモとデモに対する発砲事件も起きています。
国際共同租界及びフランス租界は事後通告の形で何度も拡張しており、何度も上海の支配地域を拡大した歴史があります。
アメリカが上海を占領したのは国際共同租界内及びフランス租界から中国人を追い出して、要塞化を行い租界の防御力を高めようとした行動の一貫でした。南京城内部から中国人を追い出して治安を良くしようとしたのと同じですね。
ですが租界から追い出された中国人からは恨まれていたのも事実です。
アメリカが主に占領していた地域は
現時点では65km2。
上海の面積の13%ほどです。
この租界の地域をゲートで囲んで治安を良くしようとしたのがアメリカの計画です。
放火した地域を見るとわかりますが、
国際共同租界とフランス租界の2つを焼き払おうとしている様子が見て取れます。
租界外の地域も焼かれています。
租界外の中国人街が大火事になって
火が押し寄せたので租界のビルなどの建物も延焼して燃え広がってしまったのです。
風下の租界に隣接した中国人街も焼けた為、被害者の人数は何倍に増えるのかわかりません。
これから中国の治安は荒れると昌弘は思っていましたが、まさかの史実にないイベント発生です。
史実の中国共産党の洗脳教育(排日、抗日教育)は徹底しており、老婆に武器弾薬を運ばせたり、女性や子どもにも戦闘をさせたりしています。
敵兵に撃たれ難くする為に女、子ども、老人を盾にするのをあたりまえにしてくるのが中国人です。
史実では、日本の国旗を振って日本軍を出迎えた婦人の団体がいきなり銃を乱射し日本軍の第三師団の先鋒中隊を全滅させています。
しかも上海のウースン桟橋で船から降りたばかりの中隊が壊滅しました。
史実では中国人からも略奪し殺害している中国軍の味方を米国はして船で輸送を協力したりしているのですから、皮肉なものです。
1870年頃のアメリカのカリフォルニアには6万3000人ほどの清国人移民がいました。当時のカリフォルニアの人口の6人に1人が清国人でした。
彼らは何度も虐殺される危険に会い、迫害されます。
当時は対インディアン戦争の時代。
アメリカ先住民は殺害され続けて東部から逃げ続け西部に逃げました。
その祖父達、父達からインディアン狩りの自慢話を聞いて育った人間が今の世代のアメリカ人の若者です。
ちなみに宇垣昌弘は南京の最善の選択は領事館の閉鎖だと新聞で公言していました。
そして、領事館に領事を置くのなら充分以上の武器弾薬と共に300名以上の兵士が必要とも公言していました。
『外務省の領事を守る為に300名の兵士が命懸けで防衛する必要がある場所に
領事館を開き続ける意義があるのだろうか?』とも言っていました。
『数万人の暴徒が押し寄せてきて虐殺されるというのは戦場である。
戦場から領事館は避難するべきだ。』
と言う宇垣昌弘の言葉に同意の声が集まるのでした。
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