345話 ジュネーブで軍縮条約?
1922年に開催されたワシントン海軍軍縮条約ではこう決められた。
戦艦の保有量
米英:52万5000t
日:31万5000t
仏・伊変更なし
よって保有比率は5:5:3:1.75:1.75から最終的に5:5:3:1.67:1.67になった。
空母は巡洋艦と同様補助艦とされているが、巡洋艦と違い保有比率は規定され戦艦と同等で、割り当て排水量は戦艦の3分の1程度である。一艦あたりの規定排水量は2万7000トンとなっているが、2艦に限り3万3000トンまで可能とされている。
今は1926年なのだが、宇垣昌弘としては本当の歴史を知らない為わからないが、ジュネーブで海軍の軍縮会議の事前の予備会議が開催されている。
この手の国際会議って官僚とかが事前に予備会談を行って何が話合われるのか協議される事もあると聞いたのだが、その手の事前会議なのだろうか?
ともあれ、黒田官兵衛と竹中半兵衛の2人を代表として派遣して情報収集をさせたのだが、、、
宇垣昌弘もなんとなく知っていた、
1927年6月20日から8月4日にかけてスイスのジュネーヴで開かれた、補助艦の制限に関する国際軍縮会議の事前会議だった。
ワシントン軍縮会議では巡洋艦や潜水艦について決まっていなかったので決めようと言うのだ。
しかも条約締結後補助艦の性能が著しく向上したことから、その制限は列強の間で急務とみなされていた。
そういえば、宇垣は何も関わっていなかったのだが日本も大量に軽巡を建造していたし、古鷹も建造している。
そういえば、古鷹は武装は20cm砲6門であり、昌弘としては不満なのだが、
見方によっては主砲を連装砲塔にしてコンパクトに纏めて空いたスペースに高角砲を増やした1万トン級巡洋艦なのである。
えっ?、昌弘としては不満な古鷹を脅威に感じて1927年にアメリカの大統領の提唱により始まる予定だった軍縮会議が早まったの?
そして、会議だけど、アメリカの「比率主義」とイギリスの「個艦規制主義」が対立して怒鳴り合いになってるし。
両国の主張は変わりなく、日本は英国と米国で勝手にしろやと空気になって
両国を見守った。
そして、8月4日に決裂してしまった。
史実の1年前の1926年なんだけど。
えっ?
ロンドン軍縮会議も1年早くなるの?
昌弘の記憶違い?
(いえ、古鷹が完成したのが早くなったから早まったのかもしれません
(作者))
古鷹の基準排水量は史実より多いですし。
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