342話 宮様達の昭和世界訪問(1926昭和)

今年は1926年。

年末に即位予定の皇太子殿下や

秩父宮雍仁親王(淳宮雍仁親王)、

高松宮宣仁親王(光宮宣仁親王)、

三笠宮崇仁親王(澄宮崇仁親王)

の四兄弟がそれぞれあちら側の世界を訪れて御爺様の上皇陛下にお会いになりたいとの御要望が昌弘の元にやってきた。


それぞれに御爺様との思い出は語っておられる皆様方なのだが(書物などでの発言)実は上皇陛下は政務に忙しく親族らしい思い出があまり無いというのが真実なのだ。

(一説によると玉音(お声)すらあまり聞かれた事がないとか、、、)


まさかとは思うが、実の息子の今上天皇陛下の涙の○○%もあまり本音で話す機会がなかった父上と話せる喜びだったの?

と思ってしまう昌弘だった。


明治天皇陛下は厳しい教育を受けたお方だし、皇太子様には厳しく接して雑談などはあまりされなかったかもしれないかもと思ってしまう。


下手したら孫の殿下達よりも日清戦争の時の海戦の様子を報告したり、色々と報告して指導も受けている宇垣昌弘の方が陛下と親しく付き合っているかもしれないと思うと、殿下達に同情してしまう。


そこへいくと向こうの今上天皇陛下や

皇太子殿下や親王殿下達は上皇陛下と触れ合える機会をたくさん持っている。


北極基地や南極基地に行くとなると数週間は丸々一緒だし。

ともに酒を酌み交わし、話をする機会も増えるというものである。

外国で飛行船の誰もいない部屋の中となると人目を気にせずに話がし易いというもの。

思えば側近だけを連れて、話の席では自分達だけで酒を酌み交わしながら話したからこそ昭和世界のイギリス、ドイツ、ロシアの強固な同盟が生まれたんだし。

日本も参加した4カ国同盟はものすごく居心地がいい同盟だったりする。



そして、天の鳥船のおかげで欧州もアメリカも近くなった。

上皇陛下だが、イギリスの百貨店でショッピングとか、ドイツやアメリカの百貨店でショッピングとか、非公式訪問ならかなりしているくらいだ。


だが、宇垣昌弘も知らない訪米をされていて、ティファニーで朝食を食べようと思ったら、ばったり出くわすというのは、さすがの昌弘も驚きで声が出ない。


すっかり旅行が趣味になってしまっている上皇陛下であった。

そういえば、中東地方も天の鳥船で訪問され現地で大歓迎されている。


イランのパフレヴィー朝(パーレビ朝、パーラヴィ朝とも言われる。)

の皇帝即位の親善訪問などだ。

日本は潤滑油となって橋渡しをしていたりする。


で、出張という事で宮様達は上皇陛下と一緒に北極基地や南極基地を御訪問されて数週間を一緒に過ごして大満足された様だった。


宇垣昌弘は父方の祖父とは色々と話もできて思い出も残っているが、尊敬する母親方の祖父とは小学生の時に亡くなられてしまったので思い出が少なくて寂しい思いをしていた。


ので昭和世界の方では上皇陛下(その時は今上天皇陛下)と孫の親王殿下達との触れ合う機会を何かと作っていたのだ。


そういう経緯があるので、祖父と孫なのに触れ合う機会が全然無くて、上皇陛下との思い出が少ないと聞いて昌弘は驚いた。(作者もこのエピソードを知って驚いた。)



祖父にとって孫って格別に可愛いんじゃないの?と言いたくなってしまう。

(作者)

まぁ、作者は祖父母が待ちかねていた待望の初孫だったからかもしれない。

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