334話 史実では評判が良い加賀。(1925照和)

さて、三段式飛行甲板時代は色々な欠陥を抱えており、赤城と天城が空母に改装されていたら、、、なんて言われる事もある加賀だが実は大きく違う。


むしろ、加賀と土佐が空母になっていたら良かったんじゃないか?と言いたいほど、史実の大改装後の全通式の加賀の評判が良い。


この史実の加賀だが、飛行甲板面積は7,001.7m2にまで達した。

これは大和型戦艦3番艦改造空母信濃に次ぐ面積であり、改装後の赤城よりも約500m2、後に完成する翔鶴型と比べても約700m2も広い。


史実の加賀の搭載機数は常用72機、補用18機の合計90機とかなり多い。

改装後の加賀は以後に完成した日本の空母を含めても最大の格納庫面積があり、常用の上中2段の格納庫面積だけで合計で7,493m2となり、赤城より970m2、翔鶴型より1780m2広くなり、実際には最大103機の運用を可能としていた(ただし零式艦上戦闘機に比べて小型の九六式艦上戦闘機などを使用した場合)。


史実の加賀の燃料搭載量も8,200トンに増加し、航続距離が新造時の14ノットで8,000海里から16ノットで10,000海里に延びた。さらに航空燃料も505トンの搭載も可能とされ、同時期のレキシントンよりも100トン多く積み込めていた。


史実の加賀は速力については内側2本のタービンを最上型巡洋艦搭載の新式の大出力のものに換装し、機関出力の増大と艦尾延長により、それまでの実速度26.7ノット(公称27.5ノット)から28.3ノットまで向上した。本来であれば赤城と同じレベルの30ノット以上に上がるのが望ましいが、本改装で排水量が38000t以上に膨れ上がったことと、復原性確保のためのバルジ追加の影響の下、致し方ないと判断された。


これらの改装により、加賀は日本空母のひとつの完成形に最初に達した艦となったとも言われている。


ただし、改善されたとはいえ速力28.3ノットは太平洋戦争開戦時の日本主力空母の中では最も低速であり、後世に於いては、他の空母と行動をともにする際に障害になったのではないかと言われている。


しかし、実際には航空母艦が最大速力で艦隊行動を行うことは殆どなく、随伴する駆逐艦などの航続能力や、艦隊運用の基本戦術や経済性を度外視しており非現実的である。


さらに加賀の速力が艦隊運用の障害になったという記録や証言・実例は存在せず、あくまで公称値上から憶測した机上の空論である。(ただし、真珠湾攻撃に於ける浅深度航空魚雷の輸送に掛けた日数と航路、運用記録や乗員の証言から検証した場合、公称値28.3ノットに対し、実際は30ノット前後での航行が可能であったとする説もある)。


そして加賀は航続力や積載力が大きく作戦立案がしやすい長所があり、ハワイ作戦にも真っ先に名が挙げられた。

ハワイ作戦の事前調査では加賀は燃料搭載に余裕があり、公称値以上に航続力があると判定されている。


このため史実では赤城すら外されて、加賀と、新型の翔鶴型航空母艦2隻(翔鶴、瑞鶴)の3空母のみによる作戦実施も当初は検討されていたほどだった。


この案には第二航空戦隊司令官山口多聞少将が反対し、結局、赤城、蒼龍、飛龍も作戦に加わったが、これら三空母は艦内に燃料用ドラム缶を多数積載しての作戦参加である。


また史実の大改装後の加賀は赤城と違って、反対舷方向にも射撃が可能なように高射砲が高い位置に取り付けられるなど、航空艤装、攻撃力、防御力の面で僚艦赤城を凌駕していた。

25mm連装機銃も同時に増強されたがその位置・数は公式図面が残されていないこともあって不明である(11基とする説と14基とする説あり)。


史実の加賀は船体が安定しており揺れが少ないこと、艦橋部分の飛行甲板幅も29.5mあるなど広大な飛行甲板を持つこと、また飛行甲板の海面からの高さも高く(21.7m)各種の作業が波の影響を受けにくいこと、艦橋が右舷前方にあるため着艦時の圧迫感もなく、気流の乱れが少ないことなどの利点があり、空母として使い易いと好評だったと伝えられている。


飛龍(飛行甲板217m、幅27m)から転勤したある艦爆搭乗員は、最初の着艦で加賀の飛行甲板の広さに驚いている。「この艦は一種のおちついた威厳を持っていた」「いかにも頼もしい感じがした」という回想も残されている。これらの特徴に加えて、中国戦線を経験したパイロットを多数擁することもあって、加賀は日本機動部隊の最有力空母と言われていた。


しかし、史実の加賀は問題点もいくつか残されていた。ケースメイト式の20cm砲は必要ないし、右舷前部に新設された艦橋は重心上昇を考慮してコンパクトなものが設置されたが、最低限の設備しかなく、作戦の指揮を行うには狭すぎるものだった。


史実の加賀に限らず、日本空母の共通の欠点としてダメージコントロールへの配慮が足りず、格納庫を閉鎖式にしたことは航空機の塩害からの保護という利点はあるものの、被弾時の被害を増加させ、後の喪失の原因となった。


このような問題点は散見されるものの、これら近代化改装の結果、加賀は有力な大型航空母艦となった。


大和型戦艦改造空母信濃が竣工するまで日本の空母の中で最大の排水量を誇っていた。


前述のように、加賀の改装工事はかなり徹底したもので、全通一段甲板、右舷前部の小型艦橋、下向き湾曲型煙突、飛行甲板周囲の対空砲火という艦形は後の日本空母の多くに採用された。また水面からの飛行甲板までの高さが21.7mと日本空母のなかでは一番高く、航空機の離着艦には好都合であったが、一方で復元性の悪化を招いたため、両舷にバルジが追加された。


だが、幅広かつ深い喫水による低重心の戦艦からの改造が幸いして加賀の安定性は優秀であり、ある軍医が横須賀入港時に上陸許可を求めて舷門に行くと、そこで初めてすでに1時間以上も前に出港して洋上を疾走していることに気づいたという逸話が残されている。


荒天のハワイ作戦時においても船体の揺れは新型の翔鶴よりも少なかったと報告されている。

横揺れについて最大加賀3度、飛龍11度、翔鶴20度であり翔鶴型が酷いとわかる。


この横揺れの少なさを見ても加賀が日本最良の正規空母であったと言えるだろう。


史実の翔鶴型は欠陥が幾つも指摘されており、加賀は素晴らしいと褒める声が多い。

なんせ小さい蒼龍型よりも荒天に弱く大きく傾くのだから翔鶴型の欠陥は深刻だ。


なので、宇垣昌弘がやって来てゴーレム空母ばかりになって、1番助かったのはのちに建造される大型正規空母達だろう。

あくまでも予定であり、どうなるのかは未定だが。


なお、加賀も魔改装赤城のように、艦橋の配置も右舷前方にされ煙突の配置も艦橋の後方を斜め外側に突き出す配置で同じで、ハリケーンバウにされ、前方も後方も格納庫面積が大幅に増やされているから史実の数値より、より格納庫面積は大きくなっている。


全通式空母であり、大型蒸気機関が2基と小型の蒸気機関が6基、削除されて無くされて居住スペースが大幅に増やされて、冷暖房完備で凄く快適になっている。


この加賀の安定性は高く評価されて、

帝国海軍は安定性を重視するようになる。


そういえば、史実で日本側の反対を押し切って改装されたミッドウェー級空母が、バランスが悪い大バルジを取り付けた結果、安定性が最悪になったエピソードがあるが、この世界で起きたら面白いエピソードになるだろうな。


帝国海軍の空母は格納庫が高く、戦後もジェット機が搭載させ易く、末永く使える空母なのだが、アメリカのエセックス級空母は僅かに格納庫の高さが低いせいで、ジェット機の運用にものすごく苦労する事になる。


なお、作者も加賀&土佐よりも赤城&天城の巡洋戦艦コンビの方が空母には良かったのではないかと無条件に信じていた人間の1人である。

荒天の時の加賀の揺れの少なさは知っていたのにだ。

ほんと最大速度は速い方がいいという

常識は恐ろしい。


格納庫面積は大幅に広くなった為、加賀にやって来た整備員はさらに驚くようになる。

零戦なら20機分くらい広くなっているのだから。

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