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330話 世界史における日露戦争の影響とは。(1925照和)
330話 世界史における日露戦争の影響とは。(1925照和)
世界史における日露戦争 1904年(明治37年)の影響は物凄く大きいという事を皆様はご存知でしょうか?
向こうの世界の日米戦争(奇襲してきたグレートホワイトフリート、アメリカ大西洋艦隊に日本が完全勝利してアメリカを没落させた戦争)や、
こちらの世界の日露戦争は世界史に大きな影響を与えました。
孫文は、「今ではアジアに日本があることで、白人はアジア人を軽視できなくなってきた。アジア人全体の国際的地位が高くなった」と述べています。
当時、欧米列強の支配下にあり、第二次世界大戦後に独立した国々の指導者たちの回顧録に「有色人種の小国が白人の大国に勝ったという前例のない事実が、アジアやアフリカの植民地になっていた地域の独立の気概に弾みをつけ、人種差別下にあった人々を勇気づけた」と記されています。
欧米列強による植民地時代を終結させるきっかけになったのは、紛れもなく日露戦争でしょう。
局地的な戦争ではなく、大国ロシアが総力を上げて戦って日本と講和せざるを得なくなったのです。
しかも日本より有力だった海軍もすべてを失いました。
日露戦争における日本の勝利は、有色人種国家独自の軍隊による、白色人種国家に対する近代における大勝利と言えます。
また、絶対君主制(ツァーリズム)を続ける国に対する立憲君主国の勝利という側面もありました。
実際に、日露戦争の影響を受けて、ロシアの植民地であった地域やヨーロッパ諸国の植民地がそのほとんどを占めていたアジアで特に独立・革命運動が高まり、清朝における孫文の辛亥革命、オスマン帝国における青年トルコ革命、カージャール朝における立憲革命、仏領インドシナにおけるファン・ボイ・チャウの東遊運動、英領インド帝国におけるインド国民会議カルカッタ大会、オランダ領東インドにおけるブディ・ウトモなどに影響を与えています。
日露戦争研究で知られるイスラエルの歴史学者ロテム・コウナー(en:Rotem Kowner)は、「白人は打ち負かされうる存在であると思わせた日露戦争の結果はアジアにおけるすべての国民解放運動に影響を与えた」と述べています。
インドのネルーは、「小さな日本が大きなロシアに勝ったことは、インドに深い印象を刻み付けた。日本が最も強大なヨーロッパの一国に対して勝つことができたならば、どうしてそれがインドにできないといえようか」
「だから日本の勝利はアジアにとって偉大な救いであった。インドでは我々が長くとらわれていた劣等感を取り除いてくれた」
「日本が大国ロシアを破った時、インド全国民は非常に刺激を受け、大英帝国をインドから放逐すべきだとして独立運動が全インドに広がった」
「インド人はイギリス人に劣等感をもっていた。ヨーロッパ人は、アジアは遅れた所だから自分たちの支配を受けるのだと言っていたが、日本の勝利は、アジアの人々の心を救った」と述べています。
チャンドラ・ボースは、来日の折「日本の皆さん、今から四十年前に一東洋民族である日本が、強大国のロシアと戦い大敗させました。このニュースがインドへ伝わると興奮の波が全土を覆い、旅順攻略や日本海海戦の話題で持ちきりとなり、子供達は東郷元帥や乃木大将を尊敬しました」というメッセージを日本国民に送っている。
ビルマのバー・モウは、「アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点であった」と回想しており、ウー・オッタマは、『日本』なる著書を刊行し、「日本の興隆と戦勝の原因は明治天皇を中心にして青年が団結して起ったからだ。われわれも仏陀の教えを中心に青年が団結、決起すれば、必ず独立を勝ち取ることができる」「長年のイギリスの桎梏から逃れるには、日本に頼る以外にない」と述べています。
フィリピンでは、アメリカからの独立を目指す革命軍総司令官リカルテから一般庶民に至るまで、日露戦争を独立の好機と捉え、日本海海戦での日本の勝報に接するや、民衆はそれを祝福する挨拶を交し合い、マニラでは旗行列まで行われました。
イランの詩人、ホセイン・アリー・タージェル・シーラーズィーは、明治天皇を称える『ミカド・ナーメ(天皇の書)』を出版し、叙事詩の形で明治天皇の即位から明治維新、近代改革、日清戦争、三国干渉、そして日露戦争までを語っており、立憲体制下の日本が世界に新しい光を投げかけ、長い無知の暗闇を駆逐したと日本を賛美しています。
東方からまた何という太陽が昇ってくるのだろう。
眠っていた人間は誰もがその場から跳ね起きる。
文明の夜明けが日本から拡がったとき、
この昇る太陽で全世界が明るく照らし出された。
— ホセイン・アリー・タージェル・シーラーズィー、ミカド・ナーメ
イランでは、ロシアなどの進出を受け、弱体ぶりを露呈したガージャール朝における革新的な運動が台頭するが、こうした運動が台頭したのは、日本がロシアに勝利を収めたことが関連しており、日本がロシアに勝利を収めたという事実は、多くのイラン人に変革への欲求をもたらした。日本の勝利の原因についてイラン人が考えたことは、立憲国家(日本)の非立憲国家(ロシア)に対する勝利であり、憲法こそが日本の勝利の秘訣という結論に至り、憲法が必要だと考えるイラン人たちは、「カーヌーン(憲法)、カーヌーン」と叫んで憲法を要求し、イラン立憲革命の運動へと広がりました。
ペルシアの雑誌『ハブラル・マタン』(1912年8月)は、明治天皇の崩御を受けて、「日本先帝陛下はロシアを撃破した後、アジア全般に立憲思想を普及させた。日本の立憲政体に倣った最初の帝国はペルシャであり、それにトルコ、最後に清国がつづいた。そもそもこの三帝国は終始ロシアの圧迫、威嚇を受け、専制君主国であるロシアに配慮して立憲は不可能だった。それゆえに日本先帝陛下は全アジアに対する解放の神であり、アジアの真の仁恵者であると明言することができる」という論説を掲載した。
トルコでは、日露戦争中、上は皇帝から下は庶民まで、日本に声援を送り、赤十字社や新聞社を通じ、日本に寄付金を送るものも多く、ハリデ・エディプ・アドゥヴァルは、東郷大将にちなみ、次男をハサン・ヒクメトッラー・トーゴーと名付けるなど、トルコでは日露戦争で活躍した東郷将軍や乃木将軍の名前が、人名や通りの名前に付けられており、現在でもイスタンブールには「トーゴー通り」「ノギ通り」がある。
エジプトの政治家・ムスタファー・カーミル(英語版)は、「日本人こそ、ヨーロッパに身のほどをわきまえさせてやった唯一の東洋人である」といい、『昇る太陽』という日本紹介書を著した。「昇る太陽」という表現にはエジプト独立への期待や希望が込められており、イギリスからのエジプトの完全独立を達成するために日本から教訓を得ようという考えのもと、明治の日本の発展の秘談が日本人の愛国心と、それを支える教育、政治、経済などの諸制度にあると主張した。
実は日露戦争後なのですが、満洲へのアメリカ進出を警戒した日露両国は次第に接近しました。
1907年に日露両国は第一次日露協約を締結し、相互の権益を保全するという合意を締結しています。
以降、日露関係は敵対関係から大きく転換してほとんど同盟状態に近いものとなっていました。
しかし、ロシア革命の勃発とその後のソビエト連邦の成立によってこの幸せな関係は崩壊することになってしまいます。
向こうの世界で宇垣昌弘が日露戦争を回避し、アメリカを見据えていたのは
この日露戦争後の日露関係から見て、
回避できる可能性ありと思っていたからなんですね。
日米戦争に勝利したおかげで、日本は損害少なく有色人種の希望の星になれましたし、インドを独立させる事ができて植民地独立の流れを完全に作る事ができました。
有色人種国家の希望の星として、多くの国のリーダーとなって大きな外交的影響力を持つかもしれなかった日本。
自由世界諸国のリーダーとしてソ連を包囲しようと考えていたアメリカにとって日本は極めて厄介な存在になるかもしれませんでした。
だから日本の首に首輪を嵌めようと画策したと思うのはおかしいでしょうか?
イギリスと日本の同盟を破壊した事といい、アメリカは時間をかけて日本を孤立させ弱体化を測っていたとしか思えないのですが。
一般のアメリカ人は良い人が多いです。
ですが、外交で弱い国に対して棍棒を振るって殴る事を躊躇しないアメリカ国家の支配層は一般の善良なアメリカ人とは違う恐ろしい存在です。
(ちょっと長くなりましたが、これだけは書いておきたかったんです。
特に中東方面の人達がどう思ってくれていたかとか。)
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