223話目英国労働党政権は。①

1924年のイギリスは荒れに荒れていた。

インドで反乱が起きた時、それが大乱になると予測していたイギリス人政治家は誰もいなかった。


オーストラリアとニュージーランドの混成軍のアンザック軍を鎮圧に向かわせるまでもなく、イスラム地域の部隊などの藩王国軍やネパールのグルカ兵を向かわせれば充分だと思っていた。


だがインド全域で『インド独立』の声が高くなって行く。


インド全域でイギリス人士官や指揮官が殺害されて藩王国は次々にイギリスへの協力を拒絶し、インド独立に賛成し始めた。


イギリス政府は絶句して声も出なかった。


セポイの反乱の時もイギリス直轄領、旧藩王国領をはじめ、北インドを中心におよそインドの3分の2近くの地域に拡大しはした。

前年に併合されたアワドは特に反乱の勢いが激しかったのも事実だ。


また、デリーでは7月にバフト・ハーンの率いる軍が到着したことから反乱軍が勢いづき、デリー防衛戦を優位に進めた。デリーではムガル帝国の国家体制が一時整えられたかに見えた。


しかし、内紛もあり反乱軍はまとまりを欠き、支配地域の拡大にも陰りが見え始めた。


シパーヒー達反乱軍は有能な指揮官が

いなかった。


シパーヒーが離脱したことによって兵力不足となっていたイギリスは、周辺民族や旧支配階級を懐柔するなど政治的工作を実施し、結局は

『大半の藩王国を味方につけている。』


イギリスは海外への派兵に非協力的な

シパーヒ(傭兵)を鎮圧しイギリス直轄地を増やし支配体制を強化した。


それがセポイの反乱時のインドだった。


今やインドのほとんど全域が独立を宣言し、ほとんど全域の藩王国が独立に賛成した。


イギリス軍インド師団はイギリス人指揮官とイギリス士官が殺されてインド独立軍になった。

しかも、ほぼ全域のインド師団でイギリス人殺害が行われている。


アンザック(オーストラリア&ニュージーランド)師団やカナダ師団やネパールのグルカ師団が鎮圧に向かったものの大損害を出して敗退した。


隠蔽された塹壕から放たれた機関銃や

小銃の狙撃、雨のように降り注ぐ迫撃砲の砲弾を受けイギリス軍は敗走し

十数万の死亡者を出す。


その後もイギリス軍は翻弄されるばかりで被害を増やし続けて敗走を重ねた。

何十隻もの兵員輸送船が沈没し港に着底しオライオン級戦艦が3隻も失われて

イギリスは戦意を失った。


いや、ウェールズ・スコットランド・アイルランドも包含した連合王国の弱みが噴出した。


ロンドンでは『200万人のアイルランド人をインドに派兵して鎮圧させろ!!』というスローガンが張り紙にされて張り出された。


もちろん、アイルランド人は激怒する。

ウェールズやスコットランドでも反戦運動が盛んになっていった。



国民に一体感がある日本でも東北だけ徴兵されロシアと戦争となったら

東北の人間は激怒するでしょうねえ。


本当に徴兵は公平なのかとイギリス国内で不和の種が撒かれたのはイギリス人ゴーレム達のファインプレイでした。

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