205話目イギリスの児童労働の酷さ。
イギリスの炭鉱では多くの児童が働いていた。
働き始めるのは8歳から10歳が多かったとも言われているが、1日14時間も働く過酷な環境なだけに可哀想としか言えない、、、
これらの子ども達は親がいない子ども達が多く、中には4歳〜5歳から働き始める幼児も居たという。
幼い幼児から10歳までの子ども達の仕事は炭鉱の通気番という、交代交代で
空気を炭鉱内に送り出す作業を行う仕事である。
10歳から14歳の子ども達の役割は
馬引き運搬夫である。
石炭を運搬する馬車の馭者だ。
14歳から18歳はトロッコを押して石炭を運ぶ運搬夫見習い。
そして18歳になったら炭鉱夫になる。
1838年にハスカーコリエリー炭鉱で
起きた事故の犠牲者の1番幼い子の年齢は8歳。
男の子が15人。
女の子が11人亡くなっている。
この事件がビクトリア女王の耳に入り、炭鉱での児童労働の実態が明らかになるきっかけになったのである。
だが、1日最長で18時間労働、平均は12時間労働だったが賃金が良い方だった炭鉱労働はマシだった。
都市部の煙突掃除人は大変で長時間労働なのに賃金が安いという酷い労働だった。
4歳なんて幼児が働かさせられていた。
しかも狭い煙突内に入らせ続ける為に
食事を少なくさせられていた。
入浴は週に1回である、、、
1875年に子どもに煙突掃除をさせてはいけないという法律ができるまで、
この酷い状態は続いていた。
食器工場で働く子ども達は朝5時に家を出て工場に行き、夜の9時過ぎまで働いていた。
1日の労働時間は平均で13時間だった。
1847年に工場法改定があり、女性や18歳未満の子ども達の労働時間は10時間までになるのだが、実態はどうだったのか、、、
縫製工場などの工場では子どもが大怪我をしても『片腕を切断するくらいの
死なない負傷は頻繁に起きていた』為
記録に残さずに隠蔽されていた。
記録に残るのは死亡事故のみである。
しかもイギリスでは物乞いは禁止されている。
物乞いは逮捕され刑務所に入れられる。
しかも物乞いは刑務所内カーストの
最底辺になってしまう、、、
中世ヨーロッパより産業革命が起きた近代ヨーロッパの方が過酷な環境なのは皮肉だ。
『ビクトリア女王』とか『産業革命』と検索すると美辞麗句ばかりが出てきたりする。
末端は悲惨なのになぁ。
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