203話目 イギリス社会。
前話でイギリスの労働者階級の悲惨な話をしましたが、85話の『上皇陛下の国民皆保険制度宣言』がイギリスやドイツに影響を与えて、戦艦などの建艦ペースが落ち、軍事費が下がって公衆衛生費用や病院の建設費用が
上がっている事が判明してきました。
イギリス労働者党の議席を増やしたくない為、保守党は戦艦の建造を我慢して抑えるようになったんですね。
まぁ、戦争が起きそうとはいえ、
史実の戦艦の建造ペースは異常でした。
1924年というとアメリカでは大統領選挙が行われたのですが、アメリカ先住民達も投票できるようになった歴史的な年です。
イギリスでも労働者の支持を得ている
イギリス労働党が選挙で大躍進して
議席を伸ばしています。
1850年頃のイギリスは公衆衛生に力を入れると言って、川や海に下水や汚物やゴミをガンガン捨てていました。
子どもは労働するのが当然でろくに教育を受けていない為、公衆衛生法が制定されても、中々徹底はされていません。
識字率も上がり方はお寒いかぎりでした。
衛生の概念は古代ギリシャのヒポクラテスやガレノスなどの著書にも記述があるくらいなんですけど。
衛生(あるいは公衆衛生)という概念が一段と重要視されるようになったのは産業革命後のヨーロッパにおいてです。
でも前半の1800年代は酷いものでした。
1770年には天然痘のワクチンが出来ているのに、1870年のイギリスで天然痘は大流行しています。
イギリスで5歳から12歳の子ども達に義務教育が行われ始めたのは1880年です。
産業革命で徒弟制度が崩壊せずに
寺子屋などで読み書きそろばんが学べた日本の子ども達は幸せですよ。
日本は税金もずっと安いですし。
国民皆保険制度のおかげで子どもの医療費は格安ですからね。
コレラや発疹チフスは1924年のイギリスでも根絶はされていません。
当然のように流行しています。
明治天皇の欧州訪問、大正天皇の欧州訪問が反対され、裕仁親王殿下がやっと訪れる事になったのも欧州の色々な
状況を大使達が懸念したからでしよう。
天然痘やコレラや発疹チフスの流行を見れば、そりゃあそうなります。
エジプトのミイラの包帯を剥いでいき
古代の人間の死体を観察するショーが
パーティーの余興として大流行したりしていたくらいですからねえ。
悪趣味ですよねえ。
フランスでは遺体安置所が観光名所になって、観光客に死体を見せていました。
フランスで身元不明の東洋人として
死んだりしたら死体が死体安置所で
晒されてしまうでしょうね。
刑罰の鞭打ち刑の執行も民衆の娯楽に
なってましたからねえ。
まぁ、どこの世界でもありがちですが。
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