201話目形意拳の達人、尚雲祥

尚 雲祥(しょう うんしょう)は清国の武術家である。

拳児のファンなら知っていそうだが、

「半歩崩拳遍く天下を打つ。」と言われた武術の達人である。


尚雲祥の字を霽亭という。

その性格は武を好み義気に篤かったと言う。

郭雲深・孫禄堂らと共に、「形意拳の近世三大名手」の一人に数えられている達人である。


実戦の逸話や伝説などを数多く残す形意門きっての英雄である。


1864年、尚雲祥は鐙(あぶみ)職人の家の子として生まれた。


3歳の頃、山東省一帯を襲った大地震により尚は母親を失い、 残された家族も家を失った為、北京に移り住むこととなった。


だが移り住んだ先の北京でも一家は極貧の中で暮らしていたという。


困窮し尽くした尚の父親は、幼い我子を山東で富豪として成功を収めていた友人の邵承栄の家の下僕として使わせることにした。

邵は義に篤く、かって黄四海を拝して八極拳を学んだこともある。

武術に熱心な人物だった。

邵の家には練拳所が設けられており、また常時多くの武術家を食客として世話していたともいう。

幼い尚雲祥はこの邵の元で、日夜身を粉にするかの如く奉公し、また雇い主である邵も、幼いながらも誠心誠意尽くす尚を不憫に思い、やがて奉公の合間を見ては、尚に武術の基本功などを指導するようになったという。


こうして尚が12歳の時、晴れて今までの奉公を認められ親元に帰ることを許されるが、この時邵は、尚に帰郷のための従者を使わせると共に、銀大枚二百両という大金を餞別として渡したともいう。親元に帰った尚は家業を手伝いながらも腕を磨くが、ところが親元に帰ってからも、世はまだ太平が続いていたためか、相変わらず仕事の注文(馬の鎧の注文)の方はほとんどなく、一家の日々の生活のために、邵から送られた銀もたちまち底を突いてしまう。

そこで尚は家業を継ぐことを完全に諦め、武術で身を立てることを志して、当時、北京で有名な武術家であった馬大義について、功力拳などを学び、次第に門内の中堅の内の一人として頭角を表す様になっていったという。


尚が形意拳を学ぶきっかけとなった出来事とは、一説によれば尚24歳の頃、形意門の李志和なる謎の人物に、試合で負けたことからだと言われている。


こうして尚は当時形意拳の達人として中国全土に広く高名が知られていた李存義に、平凡な学生の内の一人として入門するが、尚はここで仲間たちに勝る苦練を己に科し、昼夜を問わず激しい荒稽古を行った。


厳寒の真冬の屋外でも木綿の着衣一枚というなりで大汗をかく稽古を行い、証言によると(孫剣雲談)尚は、-10度を越す寒さの中でも、雪上で裸足というなりで練拳したとも伝えられる。


やがて尚の両腕は最も繰り返し練習され、その後尚の得意技ともなった崩拳の練習のために、まるで鉄で出来たかの如く見事に鍛えられていったという。


またある時、地道な練習をひたすら行う尚を、冷やかして笑い者にしようとした性質の悪い者たちに、練習中の足元に大豆をばら撒かれるという悪戯をされるが、尚はそれを意に介せず、大豆で足を滑らせて転ぶどころか、ばら撒かれた大豆は尚の強烈な踏み込みにより、ある物は粉々に破砕され、ある物は大地にめり込み、ばら撒かれた大豆は悉く消滅してしまったという。


また尚が庭先で拳を練っていると、足元の石畳は忽ち踏み割られていくので、この光景を見ていた人々は、「尚の足はまるで(鉄で出来た)仏のようだ、鐵足佛(鉄足仏)だ!」と驚嘆したという。


日々このような苦練を繰り返した尚は、師の李存義に認められるほどの驚異的な成長を遂げた。


その後、尚は北京の五城兵営において匪賊の取り締まりなどを行う探偵(捕盗官)の仕事に従事し、尚は軍隊でも手を余すほどの凶悪な犯罪者たちを相手に大活躍をした。


そして尚は、こうして命がけで得たはずの賞金を貧民たちに施し、己は荒れ寺に住まい赤貧であることを良しとしたという。


また後にはその腕を見込まれ、宮廷に使える宦官の長であった李總管の邸宅の護院の職にも就いている。


こうして尚は実戦の場で腕を磨きつつ、やがて天津に出向いた際に張占魁、王向斉らとの知遇を得て、その縁により河北派形意拳の大家郭雲深にも直接師事することが叶ったともいう。郭について尚は益々己に修練をかし、郭への人々の賞賛であった「半歩崩拳遍く天下を打つ。」の代名詞は、やがて尚へと引き継がれるほどとなったという。


尚は生涯において南北で数多くの門弟たちを育てたが、晩年は故郷の山東省に隠棲し、そこで極少数の弟子たちに、これまでの自己の編み出した独特の工夫を加味した『尚派形意拳』を伝授しつつも、1937年、73歳でその生涯を終えたと言われている。


尚の門弟で著名なものに尚芝蓉、王永年、趙克礼、桑丹啓、李文彬などがいる。


武名高く、民からも慕われた尚雲祥だが、だからこそ第二の李書文のような義勇軍を作らないかとロシア軍は厳重に監視していた。


そして李氏義勇軍に手を焼いたロシア軍は尚雲祥は危険人物だと思い殺害を決意する。


義勇兵を恐れて夜に出歩く事をしなくなったロシア軍だが300名もの夜間移動は美味しい獲物だと門を出た瞬間に超巨大ゴーレムは『対ロシア李氏義勇軍本部』に通報した。


その時、尚雲祥は世話になった人々や

弟子達が無事な様子を知って喜んでいた。

李書文の故郷の村や街がロシア軍に襲撃されたと聞き、心配して北京郊外を訪れていたのだ。


武術の里が襲われるのなら、形意拳の盛んな土地も危ないからだ。



ロシア軍を音もなく追跡していた李氏義勇軍は包囲して消音ライフルで一斉射撃しほとんどの兵士を僅かな時間で倒してしまった。

遠距離から鑑定魔法を使用して生死の確認をしつつトドメを刺す甲賀衆達。


ロシア兵の装備や服などのすべてを奪い、首を晒す為に切り落とすと襲われそうになっていた寺に入った。


寺の中に居たのが形意拳の達人の尚雲祥と弟子達と知って驚いたが、安全な島があるから『尚老師の家族や親戚を受け入れます。』と伝えるのだった。



その後、ロシア軍は夜間活動をしなくなっていく。


尚雲祥と家族や高弟達は済州島に移住するのだった。

以前にさらっと、済州島に武術家が移住したと書きましたが、李書文老師と同郷の武術家達は台湾に。

尚雲祥老師や形意拳の達人達は済州島に移住します。

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