180話目インド荒れる。

ここで少し時は戻って1919年。


1919年の3月21日 - イギリスでインド独立運動を抑圧するローラット法が制定されてしまいました。

無審査でインド人を逮捕、投獄する事が可能な法律です。


日本では社会主義運動もそれほどではなく平和なものだが、欧州では社会主義運動や国民の公民権運動が大きなうねりとなって荒れ狂っていた。

(それでも大戦争が無く税負担も酷く無い分史実よりはマシ。)



4月6日 - インドでマハトマ・ガンディーが第1次サティヤーグラハ(非暴力・不服従)運動を開始してしまう。

そうでもしないと民衆が暴動を起こしかねないほど、インドでは独立を望む声が高くなっていた。


だが、史実では第1次世界大戦で膨大な金額を供出し血も流したから、独立を望むのもわかるが、この世界のインドはイギリスに金や資源を奪われているが、史実に比べたらずっとマシだ。


だが、独立を望む声は高くなるばかりだ。

フィリピン共和国やサンボアンガ共和国に続け!!と望む声は大きくなるばかり、、、

ベトナムやマレー、周辺地域でも独立運動が動き始めている。


そんな、4月13日にインドでイギリス軍が発砲しインド民衆に1千数百人の死傷者がでる(アムリットサル事件)が起きてしまう。

事件が起きた市内の地名はジャリヤーンワーラー・バーグ。


この年、5月23日に日本で衆議院議員選挙法改正される。(1円以上の納税者に選挙権)を与えるという、かなり平等に選挙権を男女両方に与えるものだった。

もちろん、併合されたグアムや台湾でも平等に選挙権が与えられる事になる。

ゴーレム達はこの事実もインドで拡散させた。

「日本では男女両方に選挙権が与えられているというのにインドでは何も得られない!!」

とインドでは独立を望む声が益々高くなって行く、、、


この年の8月8日には、第三次アフガン戦争の結果、アフガニスタンとイギリスがラワルピンディ条約を締結し、

8月19日 - アフガニスタンがイギリスから独立する事に成功している。


インドでは『戦争無くして独立は得られず!!』と言う声が高くなる。


12月23日 - イギリスが州政府に部分的な自治を容認するインド統治法を実施して独立の機運を抑えようとするのだが、、、

イギリス人に対する襲撃事件が多発するなど、インド国内の治安が極度に悪化していくのだった。


翌年、1920年1月19日には、インドでムスリムによる反帝国主義運動(キラーファット運動)も始まる。




ちなみに日本では、

7月、カルピスが販売開始。

11月29日 - 大和運輸株式会社(現在のヤマト運輸)創立

11月30日 - 食品工業株式会社(現在のキューピー)が設立したりする出来事も起きている。


そして宇垣財閥は日本ラジオ放送株式会社を設立しラジオ放送局を日本全土に放送しようとインフラを作り始めるのだった。


電波を発信する電波塔を各地に建造して超巨大ゴーレムと繋げて、ローコストでラジオ電波発信ネットワーク網を設立することに成功するのだった。


大阪及び東京にドーム球場も建設し始めるのだった。


(アムリットサル事件の死傷者の人数は第1報時の不確かな数字です。)


宇垣昌弘達も、まさかイギリス軍が

平和に集会をしているだけの民衆に対して、解散命令とかも出さずに虐殺をし始めるとは思っていませんでした。



近況ノートにてインドの地図を公開しております。

1909年ですが、ほぼ同じかと。


ピンクがイギリスの直轄地です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る