175話目 裕仁親王殿下イギリスへご出発。
1921年2月18日、東宮御学問所は日程を繰り上げて終業式を挙行、この日をもって閉鎖される。
22日より25日にかけて、裕仁親王は巡遊奉告のため、伊勢神宮、神武天皇陵、橿原神宮を参拝。3月1日には、宮中三殿参拝と、葉山御用邸滞在中の両親である大正天皇・貞明皇后への挨拶を済ませた。
3月3日、横浜港において原首相、原内閣閣僚ら参列のもと出発式が行われ、午前11時30分に裕仁親王御召艦近江と供奉艦で旗艦美濃・高尾による遣欧艦隊が出港した。
両親の大正天皇と貞明皇后は小磯浜に出御し、出港を見送った。
現時点で世界最大の2万6000トン級戦艦近江と2万トンに近い戦艦の美濃と高尾の威容に国民は熱狂して見送るのだった。
一行の艦隊は6日午前9時には最初の寄港地である沖縄県の中城湾に到着した。
裕仁親王は与那原から那覇、首里に行啓し、さらに尚侯爵邸で中学校生徒の唐手の演武を台覧した。
ここで裕仁親王は沖縄県特産の「エラブウナギ(エラブウミヘビ)」に興味を示しており、同県出身の漢那憲和艦長に食べてみたいと話していた。
漢那艦長は沖縄県知事川越壮介に連絡を取り、「エラブウナギ」を取り寄せて食卓に供した。裕仁親王は「たいへんおいしかった」と漢那艦長に告げている。
(作者注、ウツボの方がお勧めなのだが。)
午後6時には中城湾を出港した。沖縄での滞在時間はほんの半日足らずであった。(史実では香港に行かれるのだが、清国は厄介なのでスルー。)
艦内で裕仁親王は規則正しい生活を送り、御用掛山本信次郎海軍大佐にフランス語の御進講を受け、空いた時間には甲板でゴルフや相撲に興じた。
裕仁親王殿下の食事マナーは良いもので、艦長達は安心した。
(史実ではテーブルマナーの猛特訓が
開始される。)
16日午前8時、一行は英領シンガポールに到着し、シンガポール総督ローレンス・ギルマードの奉迎を受けた。18日には市内を見学し、20日にはラッフルズ博物館を訪れた。
21日にはヨットでシンガポール島を一周している。
22日午前9時にシンガポールを出港した。
シンガポール総督は近江、美濃、高尾
の威容に驚いた。
特に高尾は前美濃級戦艦であり、艦首、艦尾の延長工事も行っているのに、まるで新品の戦艦にしか見えない、、、
28日、一行はイギリス領セイロンのコロンボに到着、初めて公式に上陸した。
29日には特別列車で旧都キャンディを訪問し、寺院跡や博物館を訪れている。
31日には海岸までのドライブやゴルフを楽しんでいる。
4月1日午前9時、コロンボを出港した。
(史実の3日には鹿島の機関室で汽罐が破裂する事故が発生し、機関兵3名が死亡した。殉難者1人あたり500円を遺族に送ることなり、4日午前9時、裕仁親王は水葬礼を起立して見送った。
7日には香取でも汽罐破裂事故が発生し、機関兵2人が死亡し、2人が重傷を負った。8日午後2時半、水葬で送られる。裕仁親王は現場に行くと主張し、漢那艦長や鈴木美三機関長を慌てさせた。12日午前、兵員用の作業服で香取の事故現場を視察する。赤道付近の航海は両艦の配管に負担をかけ、さらに熱による火薬暴発の危険もあったため、漢那艦長は爆薬や砲弾の炸薬を海中投棄させた。また侍医の高田寿は暑熱で体調を崩し、ポートサイド入港とともに船を降り、帰国途中のインド洋上で死亡した。)
もちろん『近江・美濃・高尾』の三戦艦は冷房完備しており、汽罐破裂事故などは起きるはずもない。
ゴーレム戦艦ならではである。
冷房の性能の高さなどは西暦2000年代の未来の自衛艦以上かもしれない。
特に稼働中の機関室の温度の低さは列強のどの船よりも低く快適である。
風精霊の加護と氷の精霊の加護と冷却魔法のおかげである。
(戦艦はすべての精霊の加護を持っている。)
山本大佐や西園寺八郎は親王と相撲を取って幾度も親王を投げ飛ばしたものの、何度も立ち上がる親王にスタミナ負けするほどであった。
15日、一行は英領エジプト(ムハンマド・アリー朝)のポートサイドに到着した。
(史実の16日にはスエズ運河航行中に先行の鹿島が座礁する事故が起きている。)
18日にはカイロに到着し、イギリスの特別高等弁務官エドムンド・アレンビー元帥の奉迎を受けた。裕仁親王はアレンビー元帥の案内により、ピラミッドの見物やエジプトのスルタン・フアード1世との非公式会談を行っている。21日、カイロを発つ。
24日、一行はマルタ島に到着した。マルタ島では当時海軍士官として勤務していたケント公ジョージとも面会し、夜にはマルタ総督プルーマ―男爵の案内でオペラ『オテロ』を観劇している。
26日正午、マルタ発。
30日、一行はジブラルタルに到着した。
海軍工廠の見学を行う。
またジブラルタル総督ホレイショ・スミス=ドリエン、ニブラック中将とともにノース・フロントの競馬場を訪れた。ニブラック中将は親王らへ馬の番号を書いた手製の馬券を渡し、裕仁親王へ渡した番号の馬が一着になると、「正式ではないがとにかく賞金」として数枚のペニー銅貨を手渡した。
裕仁親王が金銭を手にしたのはこのときが初めてであり、対処に困った親王は第三艦隊司令小栗孝三郎中将へ銅貨を渡し、「こまったよ…あとでニブラック中将に返すように」と告げた。
5月3日午前10時、ジブラルタルを出発する。
(裕仁親王そうなのね、、、上皇陛下はストックホルムで色々とお土産を買われたり、出歩かれたりしてたのだが、、、)
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