174話目皇太子御外遊

史実のインフルエンザパンデミック(スペイン風邪)と違って、死亡者の数は例年の風邪の流行時の倍程度に収まり、平穏を取り戻しつつある1921年、皇太子裕仁親王殿下の欧州訪問が

行われる事となった。


1921年(大正10年)3月3日からの6か月間にわたる皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)によるヨーロッパ各国の歴訪である。


日本の皇太子がヨーロッパを訪問したのは初めてのことであり、日本国内でも大きな話題となった。


明治上皇陛下夫妻もお元気だし、

大正天皇陛下もお元気である。

北極基地や南極基地には何度も行かれている為、御外遊はまったく行われていないわけではない。

上皇陛下もストックホルムオリンピックで御外遊されているし。



明治期には皇族の外国留学や外遊が行われるようになり、「皇族が見聞を広めるため外遊を行うことが好ましい」とされた。小松宮彰仁親王や有栖川宮威仁親王が、それぞれ妃同伴で欧州や米国を訪問している。


皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)は皇太子時代の当時に国内の行啓を数多く行っている。

1907年には皇太子嘉仁親王の御外遊の話もあったのだが、例のグレートホワイトフリートの卑怯な騙し討ちの一件もあり、御外遊の機会を失う事になってしまった。


明治天皇陛下も皇太子嘉仁親王も事後処理に追われる事になってしまったのだ。


裕仁親王をヨーロッパに外遊させるという計画は、1919年(大正8年)の秋頃から検討され始めた。裕仁親王は将来の天皇となる身であり、裕仁親王に君主制各国の王室との交友を深め、また見聞を広めてもらうという、

元老山縣有朋が提案したこの計画に、元老松方正義や西園寺公望、原敬首相も賛意を示した。


大正天皇はお元気だし、

不安材料は史実よりずっと少ない。

欧州では世界大戦も起きていないので

荒れてもいないし。


そういえば、史実では皇太子妃に皇族の久邇宮良子女王(後の香淳皇后)が内定したが、久邇宮家の色覚異常遺伝が判明する事態が起きている。


ハイヒューマンに進化した宇垣昌弘の

ハイ・ヒール魔法で色覚異常はあっさりと完治してしまった。

残りの久爾宮家の人達も全部治療して

健康体になってしまった。

まぁ、それほど大したものでは無かったし。


1921年(大正10年)1月16日、中村宮相と松方元老は大正天皇に拝謁し、皇太子洋行の裁可を得た。

中村はその後沼津御用邸の裕仁親王へ謁見し、親王も許可を喜んだ。


史実では洋行反対運動も起きたのだが、宇垣昌弘達の活躍によって大きな反対運動にはなっていない。


2月15日、宮内省告示第二号によって皇太子裕仁親王が3月3日から、ヨーロッパに外遊することが正式に公表され、随員も発表された。


2月27日には西園寺公望の嗣子で、随員の一人と発表されていた西園寺八郎邸が洋行延期を唱える「抹殺社」を名乗る6人に襲撃されたのだが、護衛が撃退した。

この日には東京大神宮で民労会による「東宮殿下御渡欧平安祈願式」が開催された。


閑院宮載仁親王(皇族、元帥陸軍大将)

供奉長 - 珍田捨巳(伯爵、東宮御用掛)

奈良武次(東宮武官長)

三浦謹之助(東宮御用掛、侍医)

竹下勇(海軍中将)

入江為守(東宮侍従長、子爵)

土屋正直(東宮侍従、子爵)

西園寺八郎(式部官)

山本信次郎(東宮職御用掛)

戸田氏秀(東宮主事)

亀井茲常(東宮侍従、伯爵)

高田寿(侍医)

澤田節蔵(外務書記官)

及川古志郎(東宮武官)

濱田豊城(東宮武官)

二荒芳徳(宮内書記官、伯爵)

松井修徳(宮内事務官)

福田義彌(皇族付武官)

閑院宮載仁親王

供奉長珍田捨巳伯爵


陸、海軍の将校達も高尾にて随行した。



指揮官- 小栗孝三郎第三艦隊司令長官

戦艦近江・美濃・高尾が用意された。


旅費については東京朝日新聞(現・朝日新聞)が「寄付金やレセプション代込みで総計1000万円以上になる」などと独自の推計を発表しているが、宮内省は「総体にて100万円」を出ないとこれを否定した。しかし東京朝日新聞はかえって「五大国の一たる日本帝国皇太子殿下の破天荒の御外遊には1000万円の費用は当然だ」とかえって宮内省を激励する報道を行った。さらに旅行先で叙勲するための勲章500個、贈答用の美術品300点も携行していた。



予定では、警備や国際上の均衡などの配慮から、裕仁親王の公式訪問先はイギリスとフランスの2カ国のみとする予定であった。しかし在外公館や各国王室から訪問の要請が相次ぎ、出発後にも協議が行われていた。4月28日、牧野伸顕宮相は内田外相に予定変更が困難であると回答し、訪問を要請していたベルギーへの通達を行ったが、ベルギー側はなおも訪問の要請を行った。5月9日には供奉長の珍田捨巳伯爵からもベルギー、オランダ、イタリアへの訪問を許可するよう要請があり、バッキンガム宮殿の歓迎会では駐英ベルギー大使が裕仁親王にベルギー訪問を直接要請することもあった。これを受けて宮内省も予定変更に動き、5月17日には珍田伯爵がベルギー訪問決定を大使に伝えている。その後オランダ、イタリアへの訪問の予定が調整された。


近江、美濃、高尾には転移魔法陣もありますし、宇垣昌弘は正式な随員にはなってはいません。

陸軍の中将の東条さんもその他大勢に紛れて旅行を楽しむつもりで参加していますし。

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