167話目カンザス風邪(1918〜1919)下

ここで言っておきたいのが第1次世界大戦は始まっておらず、地域的紛争や小競り合いが起きているだけで、世界は平和だったという事です。


陸軍基地に大勢の兵士が鮨詰めになっていたりしていない為、第1波は普通のインフルエンザの流行と同程度であり、マスコミも大々的に報道したりは

していませんでした。


そして、第2波が始まった。

1918年8月の後半、変異により毒性の高まったウイルスの流行が、アメリカのボストン、フランスのブレスト、

シエラレオネのフリータウンという3つの港湾都市でほぼ同時に発生しました。

(これは史実と同じ。)


アメリカではボストン海軍工廠およびボストン近郊のディベンス駐屯地から各地の軍事施設へと急速に感染が広がりました。


普通のインフルエンザだと思って、

何も警戒していなかった各国政府は

若者の死者が例年より大勢いる事に驚いたくらいであまり警戒はしていません。


第2波は2カ月のうちに北アメリカ全土に拡大し、その後中央アメリカ、南アメリカにも到達した。

ブレストで始まった流行は1918年9月末までにヨーロッパのほぼ全域に広がりました。


ヨーロッパの第2波はロシアにも拡大し、シベリア鉄道を通じて北アジア全域へと持ち込まれた後、イラン(ペルシア)に達しました。

1918年9月にはインドと中国と日本に到達した。

第2波は1918年12月までに世界的にほぼ収束した。


第2波は通常のインフルエンザに類似していた第1波とは異なり、健康な25–35歳の若年者層においても致死性を示し、死亡者数もやや増加した。

第2波の最中である1918年10月はパンデミックの全期間中で最も多くの死者を出した月となった。

アメリカでは最大5万2000人の死亡が1918年9月–12月に報告され(1915年の同時期には最大2万6000人)

普通の時期の2倍の人数が亡くなりました。


イギリスでもカンザスかぜによる総死者(4万8000人)の64%が1918年10月–12月に発生したと考えられている。

(史実と比べるとずっと低い人数である。史実なら29万人を超えていた。)



1919年1月、第2波による被害を免れたオーストラリアを第3波が襲い、2,000人以上の死者を出した。

(史実は1万2000人)


その後、第3波は1月中にアメリカ・ニューヨークとフランス・パリに到達した。

第3波は欧米では1919年の夏(北半球)までに収束したが、その後はチリやペルーなど南半球の国々に遅れて到達し、各地で被害を出した。

日本は1920年1月から2月にかけて第3波に上陸はされたようだ。


第3波の毒性は第1波よりも高く、第2波よりも低かった。


どうやら老人層は前のインフルエンザの流行で感染し免疫を獲得していた様子である。


史実のパンデミックとは違って、カンザス風邪はちょっと流行したインフルエンザと言われるようになってしまった。


強毒性(若者も亡くなった程度)だった第二波のインフルエンザは研究対象とされてはいるが、それほど死者が出ていない為、それほど研究もされていない。


中米から南米、アフリカやチャイナのスラム街では大きな被害を出してはいるのだが、死んだ人間は全世界で1000万人に到達するかどうか?

の規模になってしまった。


風邪で亡くなる人が少ない日本なんかは例年とほとんど変わっていない死者の数でしかない。


アメリカでは軍人の被害者が多く軍人風邪とも言われるようになる。


皮肉な事に、清国国内のロシア軍の被害者は少なく、戦死者も少なく、カンザス風邪の影響は少なかった。


清国側では例年より3倍ほどの死者が出ていたようであるが実態は不明である。統計自体が存在していないからだ。

日本で流行しなかったし、ユダヤ人国家には上陸しただけで、全然死者が出ていない。


アメリカではメキシコとの国境沿いで

断続的に小競り合いが続いており、

3年間の死者は3000名を超えた。

これにプエルトリコやキューバでの戦死者を入れると4000名を超えている。



ウイルス学者ジョン・オックスフォードは、1918年パンデミックの起源を第一次世界大戦中フランスのエタプルに存在した大規模なイギリス陸軍の駐屯地と推定している。

オックスフォードの研究によれば、エタプル駐屯地では1916年末にスペインかぜと症状が類似する致死率の高い新種の病気が流行し、その後1917年3月にはイギリス本土のオールダーショットにある陸軍の兵営でも同様の流行が発生しており、イギリス軍の病理学者はのちにエタプルおよびオールダーショットで流行した病気が1918年のスペインかぜと同一のものであったと結論づけている。

オックスフォードはエタプル駐屯地について、常に約10万人の兵士が密集した状態で存在しただけでなく、敷地内に大規模なブタの飼育所があり、周辺の市場から生きたニワトリやアヒル、ガチョウが持ち込まれていたなど、呼吸器系ウイルスが流行するためには理想的な環境であったと指摘している。


世界大戦が起きていない為、これらの駐屯地はなく、基地でも大規模に兵士が集められて訓練されたりもしていない。

だからパンデミックが起きなかったの

かもしれない。


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