122話目豊田佐吉さんと会う。(1910〜

特命全権大使としてブライアン大統領と会い、帰りにニューヨークに行った俺は、仕事を押し付けれる自動車メーカーはここにもあるかな?と思いながらニューヨーク在住の日本人達と歓談していた。

(銃器メーカーのコルト社とかなら、

自動車くらい製造できるんじゃないかな?)と思っていると高峰譲吉博士が

来られた。

タカジアスターゼやアドレナリンの発見で有名な高峰博士だが、タカジアスターゼやアドレナリンの大量生産は宇垣製薬でもやっているし旧知の人物だ。

高峰先生に紹介された人の名を聞いて驚いた。

豊田佐吉さんと西川秋次さんである。

あのトヨタ紡織、トヨタ自動車の豊田佐吉さんと豊田さんの片腕と言われた

西川秋次さんである。

(チャーンス!!)

『高峰先生、ニューヨークで会うとは

奇遇ですね。』

(高峰先生の住まいはシカゴ。)


『こちらが宇垣財閥の宇垣さんですよ。こちらのお二人は豊田佐吉さんと西川秋次さんと言いましてね』


『発明家で、豊田式織り機を発明された豊田佐吉さんですね。知っていますよ。ニューヨークで会うとは奇遇ですね。』


『お会いできて光栄です。デトロイトを見学しつつニューヨークまで来たのですが、アメリカの自動車会社の工場は

凄い規模なんですね。』


(話し難いな、今デトロイト周辺の大きな自動車工場って全部、うちの傘下のメーカーやん。GMの傘下のメーカーなんて孫会社だし。)


『豊田さんは自動車の製造にご興味が

ありますか?』


『ええ。これから急成長しそうな産業だと思っています。』


『アメリカもドイツも日本の我が社も

年間生産台数5000台規模の自動車工場を稼働し始めたのは去年からですからね。(全部が宇垣自動車の傘下。

現時点での全世界の自動車生産台数の過半数は宇垣自動車と傘下のメーカーが販売している。

そして、マーク1&ミゼット&125が

世界を席巻している。)

今からなら追いつけますよ。

(なんせ、あのトヨタだし。)

ご融資しますし、エンジンやミッションやクランクシャフトは宇垣自動車から手に入れて車を製造されればいい。お譲りしますよ。』


と言うと豊田さん達は驚いて固まってしまっていた。

無理もないか。

異業種だし。

今の日本だとメカの構造を理解して

いる技師自体が少ないし、人材不足だもんな。

有能なゴーレム達が居てくれて、本当に助かってるよ。


その後、欧州の自動車工場を見学したいと言っていた豊田さん達に宇垣自動車傘下のメーカーを紹介して、彼らとは別れたが、ゴーレムの秘書の1人を豊田さん達に同行させた。


高峰博士にもマーク1をプレゼントする事にしてシカゴのご自宅に届けるよう手配する。


その後、欧州を歴訪した豊田さんと西川さんはゴーレム秘書と共に日本に帰国したが豊田自動車を設立する事を決意して東京の我が社で自動車の勉強をし始めた。


自動車の構造を理解した豊田さん達は

小一郎の自動車工場の立ち上げを手伝って経験を積み、ベルトコンベアーを

使った流れ作業の自動車工場の設立に

奮闘する事になる。

豊田さん達が宇垣自動車の子会社として豊田自動車の工場を持つのは2年後の事である。

史実のトヨタが車やトラックを設計、製造し始めるのは1930年代半ば過ぎなので25年くらい早いと言えよう。

だが、マーク1もボントラも初期のトヨタの自動車やトラックよりも、よっぽど良いデザインをしているだけに

これからが大変だ。


そして高峰博士だが、自動車に興味を持たれたらしく、日本に高峰工業を設立し宇垣自動車の日本国内の子会社

として、まずはバイクの125の製造工場を息子さんが経営し始めたのだった。


そして、三菱造船も自動車の製造に興味を持ち自動車開発部門を立ち上げるのだった。

分社化した三菱自動車は宇垣自動車の子会社になる事を決意して豊田自動車、高峰自動車とほぼ同時期に愛知県に3000台規模の工場を宇垣自動車から支援されて建設し始めるのだった。


この時豊田さん達と一緒に苦労して経験を積み同時期に工場を建設したのが

橋本増治郎さんである。

史実では、あの小松鐵工所や日産。ダットサンの元になった快進社の社長さんだ。


ああ、史実の日本の国産自動車第1号はこの人の快進社のダット号だっけ。


1914年(大正3年)に上野で開催された東京大正博覧会に、V型2気筒10馬力エンジンで3人乗、最高速度は32 km/hの「脱兎号(DAT CAR)」を出品したんだよな。


うちのマーク1が奪っちゃったね。

二輪、三輪、四輪の全部の日本初が

我が社の製品だわ。

世界的大ヒットも全部がうちだわ。


なお、川崎造船所も自動車工場設立に動いていたらしい。


戦艦を独占して建造し技術的にも世界のトップを走っている宇垣造船所にライバル心を持っていた川崎造船所。

その宇垣財閥が自動車と三輪車と二輪車で世界的に大ヒットし大企業に成長しつつあるのを見て、マーク1、ミゼット、125を手に入れてリバースエンジニアリングをして技術を学んでいたらしい。


なんでも、戦艦高尾や美濃や薩摩の蒸気機関や蒸気タービンを見て絶句していたらしい。

だろうなぁ。

今の宇垣造船所なら作れるけど、そうなるまで大変だったもん。

錬金工場で作ったものをリバースエンジニアリングして複製するにしても戦艦の蒸気機関は複雑で規模が凄いもんなぁ。

なんせ、今のアメリカの造船メーカーでも戦艦用の蒸気機関や蒸気タービンが製造できないんだから。

史実ではイギリスから技術協力を受けてやっと製造できるようになったんだもんなぁ。

そのイギリスよりも日本の方が先を進んでいるんだからなぁ。


川崎さん頑張ってね。

好きなんだよねニンジャ900Rとか、

Z1とかZⅡとか。


(と、言いつつホンダ、ヤマハ、スズキ

ダイハツ、トヨタ、日産には縁がある癖に、カワサキのバイクだけ所有経験の無い作者なのだった。)

好きなのは事実なのに、、、


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る