104話目打ちのめされるフォードさん上。
1909年〜
1899年8月5日、ヘンリーフォードは
あの発明王のエジソンのエジソン照明会社を辞め、デトロイトの製材王ウィリアム・H・マーフィーの資金援助を得てデトロイト自動車会社を創業した。
副社長兼チーフ・エンジニアに就任した。
しかし生産した自動車は期待したより低品質で高価格で結果を出す事はできませんでした。
同社は1901年1月に解散しました。
1901年、C・ハロルド・ウィルズの助けを得て、フォードが設計・製作した26馬力の自動車でレースに出場しよい結果を残しました。
この成功を見たマーフィーらデトロイト自動車会社の出資者らが1901年11月30日、ヘンリー・フォード・カンパニを創業し、フォードはチーフ・エンジニアに就任しました。
1902年、マーフィーはコンサルタントとしてヘンリー・リーランドをつれてきました。
ヘンリー・リーランドと衝突し、
フォードは自身の名を冠したこの会社を去る事になりました。
フォードが去るとマーフィーは同社をキャデラック自動車会社と社名変更している。
フォードの古い知人でデトロイトの石炭販売業者アレキサンダー・Y・マルコムソンが支援を申し出ました。
彼らはフォード&マルコムソン(Ford & Malcomson, Ltd. )を創業。フォードは安価な自動車の設計を行ったのですが、、、
しかし、フォード&マルコムソンの自動車の販売は鈍く、ドッジ兄弟が最初の出荷分への支払いを要求した際に危機が訪れました。
その際マルコムソンは新たな出資者を集め、日本の宇垣財閥が
増資すると名乗りを上げた。
安価な大衆車は他メーカーの自動車でも1000ドル近い価格であったから、フォードはそれより安く大衆車を売れば大人気になるに違いないと思っていた。
だが、フォードにとって大逆風が吹く事になる。
カリフォルニア、テキサス、テキサスの隣のオクラホマ州の油田が次々と枯渇してオイルショックによる大不況が襲いかかってきた。
石炭販売業社のマルコムソンの会社も経営危機になり出資どころでは無くなった。更には大規模出資相手の宇垣財閥の母国の日本との戦争、、、
出資者でもあるドッジ兄弟に部品代が支払えなければドッジ兄弟だけでなく、自分も破滅する事になる。
(この時点で宇垣財閥がフォードに出資しているのは歴史知識を活かした大儲けの為です。ここでフォードの為にお金を出して、相応の株を手に入れておけばT型フォードを売り出して大会社になるフォードモータースの株の30%くらいは手に入れられるのでは?と思っていました。“株式上場前”の将来、世界的大企業になる可能性の高い企業を助けるのですから、エジソン照明会社を辞めたヘンリーフォードを助け続け、出資し続けてきたのは未来に大金を掴む為の投資です。
ですが、愛国者のフォードはアメリカ大西洋艦隊の壊滅と敗北にショックを受けて仕事ができなくなってしまいました。
宇垣財閥のアメリカ担当の支社長のマイケル・ランサー(ゴーレム)は中性的な顔立ちの美男子で物腰が柔らかくフォードの事をいつも励ましてくれる最高の友人でした。
デトロイト自動車会社の時、ヘンリー・フォード・カンパニーの時、レースに出場する為のレースカーの開発の時、ランサーは出資し続け、フォードの事を助け続けていました。
ヘンリーフォードカンパニーの時は、
常にフォードの味方側に付きフォードを応援し続けました。
ですが、フォードは今まで結果を出せず、大衆車を販売しても売り上げは良くなく(不況とオイルショックのせいです。)心が折れそうでした。
ランサーはビジネスを持ちかけました。宇垣自動車がマーク1という自動車を作ったがアメリカからの注文も多くて困っている。
そして、アメリカで大規模な工場を作るから、フォードにマーク1の大量生産をしてほしいと言われました。
フォードはマーク1を見せてほしいと
言いました。
フォードも金持ち向けの手作りの高級自動車は3500ドルから4500ドルもする
事は知ってはいましたが詳しく見た事はありませんでした。
(宇垣マーク1は3500ドル。)
なぜ、日本の艦隊はアメリカの艦隊に勝てたのか?
なぜ、関税を足さなくても3500ドルもするような車に注文が殺到しているのか、興味を持ったのです。
それにフォード自動車が大規模工場で
マーク1を製造すれば資金繰りの目処がつきます。
『これがマーク1なのか、、、』
見ただけでわかりました。
その自動車はフォードの見た事がある
どの自動車よりも美しく光輝いて見えました。
エンブレムもフロントグリルも眩く
メッキで光輝いています。
美しいドアハンドルを掴み、ボタンを押しながらドアを開くと革張りの座席が見えます。
室内は美しい木材パネルが貼られていて綺麗です。
革張りのシートのクッションも分厚く、座り心地は最高でした。
『これが超高級車なのか』
自分の試作した自動車とは大違いです。
安全ベルトという物を締めて、ランサーを横に乗せてフォードはマーク1を
走らせました。
セルモーターというエンジンをかけるモーターにも驚きましたし、ギアの入りもなめらか、エンジンはトルク感があり、相当に馬力もありそうですが、
とにかく運転がやり易い印象があります。
ぐるっと一周して戻ってきたのですが、美しく大きな車が走っているので
大勢の人に注目されてしまいました。
さすがにデトロイトの住人でも金持ち向けの超高級自動車はそんなに見れませんからね。
『ランサー、、、素晴らしい自動車だ。これが注文生産される金持ち用の
高級自動車なのか、、、』
『ヘンリー、だから困っているんだ。
天才の君ならわかるだろう?
この車は量産には向いていない。
量産する事は考えてはいない。
だが注文は殺到してしまった。
君なら、この車を量産できるかい?
君に量産して欲しい数は数千台だ。』
確かにフォードは大衆車を量産して
コストダウンしようとしていました。
でも、このマーク1は、あまりにも違っています。
腕の良い整備士を何百人も集めるのか?
そんな事ができるのか?
フォードは頭を抱えました。
作れる自信が無かったのです。
1台ではなく数千台とは、、、
フォードの苦悩の数年間が始まりました。
その時、ドイツでもゴットリープ・ダイムラー、ヴィルヘルム・マイバッハ
が苦悩していました。
宇垣マーク1の生産を依頼された
ダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社の苦悩の日々が始まります。
そして宇垣自動車は他のメーカーにも
傘下に入らないか?と働きかけます。
現時点ではどのメーカーも小さな企業ばかり。
会社ごと、車関連の基本特許も宇垣自動車の物になるような物です。
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