100話目(1909)宇垣自動車が自動車を開発。
本当なら良さそうな自動車を買ってリバースエンジニアリングをして自動車の製造をしようと思っていたのですが、フォードもGMもベンツも
動きが鈍く、いつまで待っても良さそうな自動車を売りに出してくれないので、仕方なく自動車を開発する事になってしまいました。
現時点で売ってる車って、欲しいのが無いんですよね。
エンジン付きの馬車みたいなのばかり。
大型重機が開発済みなのにこれから自動車を開発するという、この技術のアンバランスさ、、、
実は、T型フォードが安くなったら、それを輸入してボロ儲けしようとか、思っていたんですよね。
(史実のT型フォードは1911年には780ドルへ下がり、その後は年に50ドルから100ドルの割合で値下げが繰り返されています。
1913年には600ドル、1915年は490ドル、1917年には360ドルまで価格が下がってます。)
ドル資産が多く増え過ぎちゃったんで、車でも儲けつつ日本円にしようと、、、
つまりフォード自動車は下請けってわけですね。
まともに関税を支払うと110%の関税ですからね。
色々な色に塗ったり、メッキで綺麗にしたり、カスタム化したりで付加価値を付けて高く売ってボロ儲けもできたらと思っていたんですよ。
エンジンを馬力アップしたりね。
T型フォードを錬金工場でA型フォードや高級カスタムモデルにして1000ドル高い値段にして売ろうとか思っていたりとかね。
ね?フォードが下請けでしょ?
まぁ、AMGとかのカスタムメーカーみたいなものですわ。
100馬力クラスのゴーレムディーゼルバスとか、ゴーレムディーゼルトラックならすぐにでも開発して大量に生産できるのに、T型フォードもどきを開発するのに苦戦するという、、、
まぁ、2万トンで8万馬力の高速戦艦を量産できる癖に、自動車に苦戦とは、
これいかにですよねぇ。
薩摩級戦艦なら2隻でも3隻でもホイホイ作れるってのに、、、
ともあれ自動車の開発がスタートしました。
4人乗りで四〜六気筒のエンジンの車を見るとなにやら、T型フォードというよりもA型フォードのような。
まだ、開発と量産には時間がかかりそうなようです。
仕方がないので、2サイクル125ccの不整地用バイクにリヤカーを取り付けた
オートリヤカーを発売しました。
こういうのって戦前に使われていたみたいなんですよね。
で、やがてはもう少し大型のオート三輪を製造して、バイクや自動車を製造したいと思っている人達を刺激したいと思っているんですよ。
マツダとかダイハツとかもオート三輪を作っていたメーカーですし。
オート三輪を月に100台くらい生産できる工場がたくさんあれば軍としても国家としても有り難いですし。
明治の末までにいくつものオート三輪や自動車メーカーが誕生して、切磋琢磨して1940年になる頃にはメーカーとして、25年〜30年ですからね。
どのメーカーもそこそこは製造能力が上がってくれると思うんですよね。
このバイクが大ヒットしちゃいましたよ。
需要があったんですね。
勇気を出して最初に海に飛び込んだペンギンの魚が食べ放題の美味しさってのを思う存分に味わえましたよ。
宇垣リヤカーもすっごく売れました。
タイヤの空気入れも売れましたよ。
リヤカーの製造メーカーが増えました。
リヤカーですが、特許はオープンにしましたよ。
オート三輪ですが、わかりやすく説明すると、軽トラの運転席部分が一輪になってるって感じですかね。
大柄な人だと無理だけど、子どもなら
2人くらいを運転席の左右に乗せられるって運転席です。屋根付きです。
ヘンリーフォードにより開発され始めたフォードの初期型ですが、ギアは2段変速、単純な構造の車のようです。
フォード自動車って小型のガソリンエンジンを搭載した馬のいない馬車みたいなの作っていたけど、それの進化系だわって納得しました。
(最初期のT型フォードはマジで単純な構造でして、そこそこメカに強ければ分解組み立てできそうな感じです。)
で、うちの車は馬力は40hpで6気筒エンジン、ギアは4段変速。A型フォードのようなデザインの高級車を作っちゃいましたよ。
あとはこの自動車をいかに改善して流れ作業で作れるかですよ。
(うっ、構造が複雑な分、うちの方が
流れ作業で製造する時のハードルが高くなってる。)
かと言って、ちゃっちいオモチャみたいな車(フォードの最初期型)を作るのもちょっとなぁ。
でも、なるほどとも思いました。
この単純な構造の車だから短時間で作れるのかもしれないと。
1909年(明治42年 皇紀2569年)が日本のモータリゼーション元年と言われるようになります。
国産で良い車ができたと知った政治家や官僚や軍の上層部から注文が殺到した為、1000台くらい作っちゃいましたよ。T型フォードをカスタムして楽してボロ儲けするはずだったのに何故だ、、、
そして、1909年の3月4日は アメリカ大統領にウィリアム・ジェニングス・ブライアンが就任する1年目でもあるのですが、2月12日に全米黒人地位向上協会が設立されています。
人種不平等なアメリカにおいて、黒人達の苦難の歴史が始まるのですよ。
なんせ南部の州では、黒人の入学は認めないと州知事が宣言したりして、
ケネディ大統領と争って、黒人学生を
SPが守って、それを阻止しようとした
州知事が州兵を大学に配置したりした
事件が1960年代にすら起きています。
50年後ですら、それですから、、、
ちなみに、史実の日本では1900年の明治33年に皇太子殿下が御成婚された時にサンフランシスコの邦人が電気自動車を献上したという。
現在の貨幣価値にすると1億円もするほどの値段だったといいます。
次の年に蒸気自動車が、そのよく年に
ガソリンエンジン車がアメリカから輸入されています。これらは販売目的での輸入車だったらしい。
簡易な構造に見えるオート三輪を見て
アレなら作れそうだと思った事がモータリゼーションの始まりに繋がるのです。
宇垣マーク1と言われる事になる高級車ですが、世界各国の日本大使館にも
運ばれて日本大使の乗用車になります。
運転手兼任整備士は人型ゴーレムが行います。
ええ。あの新型戦艦を製造した宇垣グループが自動車も作り始めたと言う事で、世界的に注目されちゃいましたよ。
デザイン的にはA型フォードをより
高級車にした感じですかね。
やっちゃったかな?
主人公は未来人ですからねえ。
作者の目からマーク1を客観的に見ると、T型フォード的なデザインをリファインした1930年代の車に見えますね。パッカードとかマイバッハの高級車に見えます。
自分や天皇陛下が乗るかもしれないって思って、高級に作り過ぎじゃね?
と思っちゃいますがねえ。
主人公と天皇陛下のマーク1は大人6人が楽々と乗れる魔改造リムジンモデルです。
ええ。車王国のアメリカの大統領やドイツの皇帝やイギリス国王だって、
こんな車に乗っていません。
いや、マーク1(初期型モデル)だって乗ってません。
やっちゃいましたね。
マーク1も4人乗りと言いつつ、
大人4人と子ども2人が乗れそうな
モデルです。
この初期型マーク1は窮屈かな?と反省してリムジンモデルを本採用モデルとして量産する事にしました。
作者視点からのお知らせ
このマーク1ですが錬金工場製造モデルなだけに木製パネルはダンジョンマホガニーの防虫能力が高い物になっていたり、全然故障しなかったり、
オーパーツと呼ばれかねない超高級車になってます。
デザインも未来人の主人公が吟味した
デザインですしね。
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